sachiyon

私にできることをやりたいので。 誰かの為であり、自分の為でもあるnoteです。

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最近の記事

孤独感

特に入院したりしているわけではないけれど、そう遠くないうちに明らかに終焉を迎えようとしている人を見ているとどうしようもない感情というか、感覚というかそういうものを堪えきれなくなる時がある。 残りの時間がどれくらいなのか、もしかしたらあと10年も生きるかもしれないけどそんなことはわかるはずもなくただ眺めているだけで、それよりもいまこの瞬間をとは思うのだけど。 とてつもない孤独感。 どこまでも孤独だと感じる時、どうすればいいんだろう。 向き合うのは怖い。 押し潰されそうになる。

    • 年の瀬に

      まもなく2021年が終わる。 人間が決めた区切りとはいえ、少しずつ調整しながら毎年ちゃんと365日で古きものと新しきものが入れ替わり、『今年』と呼ばれていた時間が『去年』となり、数日もしたら『新年』と呼ばれるふわふわキラキラした名前すら使い古される。 12月31日と1月1日って、同じ24時間で区切られているだけで繋がっているのに、掃除してもまた汚れるしゴミだって変わらず出るのに、まるで古い殻を脱ぎ捨てるかのように新たな年に向かって念入りに掃除をしたり、いやいや今年もお世話

      • 忘れる

        最近、というかしばらく前から。 母はいろんなことを忘れるようになりました。 たまに帰ると、前回と同じ話を何度もします。 よくある話。 * * * あれ?この話、前に聞いたな?って気付いた時は『それ、前に聞いた』って言ってたけど、最近は『ふーん』もしくは無言。 特に返事を求められるものでなければ、そのまま話してるのを聞いてます。 まぁ長く生きたらそれなりに機能は変化していくものだし、私だって忘れっぽいから。 最初の頃はちょっとショックだったし、寂しかっ

        • かたち

          ルームソックスに穴が空いていた。 お気に入りのものは傷むのが早い。 なんとなくそれを見ていて、父と母にプレゼントしたペアのマグカップを思い出した。 贈った時はとても喜んでくれたけど、ふたりはそれを使っていない。 『もったいないから』 と。 形あるものは壊れるから、いつか壊れるのがわかっているから、なんだろうか。 * * * どういう話の流れだったかはすっかり忘れてしまったけど、中学か高校の時に幼なじみが『プレゼントの、その "物"もちろん大切やけど、そ

          「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

          相田みつをさんの言葉。 この意味を、私はどれだけわかっていただろうか。 そんなの当たり前!と思っていたような気がするけど、ほんとにそうかな。 * * * 美味しいものを食べたり、お友達と楽しい時間を過ごしたり、欲しかったものを手にしたり、新しい景色にわくわくしたり、そんなこと。 私はなぜかそれに後ろめたさや罪悪感を覚えてしまうんですよねー。 例えば旅行のことを母に言ったら『行きたかったわぁ』とか言うと思うんです。 ただそれだけのことなんだけど、一緒に行か

          「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」

          「しょうがない」ということ

          ◆円座 先日、ある集まりに参加してきました。 カウンセリングでもなく、勉強会でもなく…。 説明するのが難しい集まりなんですけどね。 ほぼ初対面の人ばかりの、制限時間が決められた、守られた場です。 思い思いのスタイルで座って、話したいことがあれば話せばいいし、発言しなくてもいい。(実際、沈黙の時間もありました。寝てても良いんだって!) 知らない人達だけど、カッコつけずにさらけ出して大丈夫な空気感みたいなのがあって、そこで自分の苦しかったことを話してきました。 そ

          「しょうがない」ということ

          死にたい人へ

          先に。 私はセラピストでも精神科医でも専門家でもない、ただの一般人です。 ただ、当事者として感じたことと、私がいま生きてることが、いつか誰かの何かに触れたらいいな、という思いから、言葉にすることにしました。 人それぞれに抱えているものは違うし、あなたの苦しみを私がどうにかして直接的に解決して差し上げることはできません。残念ながら。 デリケートな問題だし、素人が迂闊に発言しても良いのか、もっと勉強して正しい答えを得ないと発信してはいけないのではないか、という葛藤もあり

          死にたい人へ