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年の瀬に

まもなく2021年が終わる。

人間が決めた区切りとはいえ、少しずつ調整しながら毎年ちゃんと365日で古きものと新しきものが入れ替わり、『今年』と呼ばれていた時間が『去年』となり、数日もしたら『新年』と呼ばれるふわふわキラキラした名前すら使い古される。

12月31日と1月1日って、同じ24時間で区切られているだけで繋がっているのに、掃除してもまた汚れるしゴミだって変わらず出るのに、まるで古い殻を脱ぎ捨てるかのように新たな年に向かって念入りに掃除をしたり、いやいや今年もお世話になりましたあんなこともあったねまぁまぁひとつどうぞと忘年会という名をつけて集まってみたり新しい下着を用意してみたり。我が家では形式的なものになったけどお節やお鏡も用意したりする。クリスマスも過ぎると急に気忙しくなる。

準備といえば年賀状もそうで、もうそのハガキ1枚の交流しかない人もいるけど、そのハガキを見てその人の近況をそれとなく知ったり『こないだ会ったやんなんならまたすぐ会うやん』という関係性でも『旧年中は大変お世話になりました、本年も何卒よろしく』なんて改まる。

それは何かやっぱり【区切り】として必要な感じがするので私も毎年手書きで用意していたのだけど、今年はなんというか…
伯父と伯母が立て続けに亡くなって、喪に服しているというかしきたりというか風習というか、とにかく『今年は、いいかな』と思ったので、出さない。
本来ならば【喪中につき】という黒い枠のついたハガキでご挨拶の失礼をお伝えするのだろうけど、なんとなくそれもしなかったので事情をお知らせしていない面々は単に私がサボったと思うかもしれないな。
でも今飲んでいるデカフェのコーヒーもそれを入れているマグカップも冷蔵庫に冷えているビールもお部屋の良い香りも人から頂いたもので、有形無形問わずそういうものに対して都度お礼は伝えているんだけど、今年1年ありがとうございましたは改めてお伝えしたいなという気持ちは溢れるほどにある。
(モノに対してというか、私のことを思ってくれたその時間をありがとうございます)

だから、年賀状でもなく喪中ハガキでもないんだけどお手紙を書こうと思う。あと寒中見舞い。
お年玉ハガキではないのでごめんなさい。いつ着くのかもわからないけど。
SNSでしか繋がっていないお会いしたことない方の中にも『この人あったかいな』とか面白いから好きだなと思う人達がいて、何気ない投稿に笑ったり感銘を受けたり涙が出たり勇気を貰ったりしてた。そのお礼を伝えたいけど、いきなり熱いコメントは相当飲んでご機嫌さんにならないと恥ずかしくてできそうもないしそれは経済的ではないので、この場で一方的に伝えさせてください。

今年は大変お世話になりました。
あなたとお会いできてとても嬉しかったです。
新たな年が、あなたにとって実りあるものとなりますように。
あなたの笑顔が多い1年でありますように。
どうぞ良い年をお迎えください。
今年1年の感謝をこめて。
大好きです。

sachiyo

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