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「しょうがない」ということ


◆円座

先日、ある集まりに参加してきました。
カウンセリングでもなく、勉強会でもなく…。
説明するのが難しい集まりなんですけどね。
ほぼ初対面の人ばかりの、制限時間が決められた、守られた場です。

思い思いのスタイルで座って、話したいことがあれば話せばいいし、発言しなくてもいい。(実際、沈黙の時間もありました。寝てても良いんだって!)
知らない人達だけど、カッコつけずにさらけ出して大丈夫な空気感みたいなのがあって、そこで自分の苦しかったことを話してきました。


その集まりには6人ほどの参加者がいて、円座になって過ごすんですが、特に自己紹介というほどのこともなく、名前も本名を名乗らなくても大丈夫なくらいです。なので皆さんがどんな職業だとか、何歳だとかはわからないし、話した内容は他言無用です。

最初にどんな風にその日を過ごすのか(やりたいことがある人は別の部屋に移動してもOK、賛同する人は一緒に)という説明の後は、話したい人が話し、それに対して発言したい人はしても良いし、という場です。


私は「これを話そう!」と決めていたわけではなかったんだけど、他の方のお話を聞いてるうちに感情があふれてきて、たくさん話しました。
自分でも意外というか、あ、こんな風に思ってたんだなと感じることもあり、ずっと苦しかったことも我慢していたことも吐き出しました。
涙と共に。

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◆Aさん

その日に初めて会った、私の一番近くに座っていた女性Aさんは、積極的な発言はしないけど誰かが話してると暖かく見守っているような雰囲気でした。
うんうん、と頷いてくれるだけで安心感を覚えるような、聡明な眼差しと優しい笑顔が素敵な方。

お昼休憩を挟んで午後からも濃密に過ごし、ぼろぼろに泣いてしまった私にティッシュをくれながら自分も泣いていたAさん。
円座で話してるだけなんだけど、何か共振するものを感じたというか、伝わってるなぁと。

しんどかったことを話し、それにアドバイスを頂いたわけでもないのになぜかスッキリとした気分で、 あっという間に決められていた時間がきて振り返りをして終了。

また数ヶ月後に同じ集まりがありますが、同じメンバーが集まるとも限りません。その場限りの、だからこそ話せるような、そんな会でした。


* * *


帰る方向が同じだったAさんと私は当たり前のように一緒に帰ることになり、数少ない特急を待ちながら話をし、狙い通りに座れたシートでも話が尽きません。
Aさんと私はいくつも共通点があって、より親近感が湧きました。

休憩時間に日向ぼっこしながら撮った花も同じ、
好きな公園が同じ(住んでる場所は全然違うのに)
誕生日も近い。

『仲良くなりたい人と共通点探したら、そもそも同じ時代に同じ国に生まれてる時点でそうだし、地球に生まれたってだけで全員そうよね!』
とふたりで笑っちゃいました。


自分の為に心理学の勉強をしているのも、コンプレックスも似てる。

自分を解放したような時間を共有したからなのか、自然とお互いの今までのことを聞きあっていたら、Aさんの人生はなかなかハードなものでした。

でも、それがあったからいまこうしてこの場にいるのねと感じるところまで一緒だった。

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◆しょうがない

私もAさんも、子供の頃からずっと我慢してきたことがありました。


『でも、しょうがないなと思った。』

と呟くと、Aさんも

『そう、しょうがないってよく言った。』と。


それを聞いた時、この人もそうだったのかと。
繋がりを感じたというか。


帰り際、私が先に降りる駅に着いた時は名残惜しくて、でもまた会うんだろうねと言いながらバイバイしました。


* * *


帰宅後[しょうがない]が気になって、Wikipediaで調べてみました。実際には私達は関西弁で[しゃーない]と言ってたんですけどね。
しゃーない、しょうがない、しかたない、しかたがない。

仕方がない(しかたがない)は、理不尽な困難や悲劇に見舞われたり、避けられない事態に直面したりしたさいに、粛々とその状況を受け入れながら発する日本語の慣用句。


これね、しょうがないって普通に使うし、どちらかというとネガティブな感じで使うことが多い気がするんですけど、

『粛々とその状況を受け入れながら』

発する、んですよね。

そんなニュアンスも感じてはいたけど、明文化されるとハッとしました。

受け入れてるんだ!って。

Wikipediaではこの後

「仕方がない」は日本人の自己犠牲的な悲観性を表す表現として、多くの外国の著述家によって指摘されている。
また、太平洋戦争時のアメリカやカナダで行われた日系人の強制収容において、収容所での絶望感と虚無感を克服するべく、「Shikata ga nai」というフレーズを頻繁に用いりつつ、そのような苦しい状況の中でも、挫けることなく希望を見出そうとし続けていたと言われており、その精神性は現在でも日系人社会において根強く残っているという。

と続きます。
(日系人の強制収容については宮尾登美子さんの『朱夏』、山崎豊子さんの『二つの祖国』などの小説でその一部を知りました。興味を持たれた方は一度読んでみてください。)


しょうがないって言えることって、すごいと思うんです。
辛い状況を受け入れてるんだから。
強いと思う。


もちろんいろんな『しょうがない』があって、戦時中の話ではなくとも、例えば肉じゃがを作ろうと思っていたのにお肉がないとか。あるいは飼ってる犬が鳴き止まないとか。
そういう時、しょうがないなって出てきませんか?
状況によっては大きなため息と共にかもしれないけど。

そこで、その後どうするかは自分で決めたらいいと思うんですよね。

お肉がないから肉じゃがが作れない!だからもうご飯は食べない!フテ寝してやる!でもいいし、宅配ピザ頼んじゃおう!とか、お肉がなくてもポテトサラダが作れるわ!とか。

犬が鳴き止まないなら、おやつをあげるとか、お散歩に行くとか抱っこするとか、言い聞かせるとか。
しつけ教室を探してみる、【犬・鳴き止まない】で検索するとかね。



そんな簡単にどうこうできるようなことじゃなくて、もっと深刻に悩んでいたとしても、

『しょうがない』

って言えた時点で、よく頑張りました!と思う。


そこから動けなくても、それも大切な時間だと思うので、気が済むまでそうしていて。
『だってしょうがないんだもん!』て駄々こねて。
それが嫌になったら動き出せばいいかな。
だってもう受け入れてるんだから、それをどんな風に見るかは自分次第。

しょうがないは決してネガティブなだけではなくて、変化する前のステップにもできると思います。
私とAさんはたぶんそうやって生きてきた。

* * *

ちなみに冒頭の【円座】のように、カウンセリングではないけど話を聞いてくれる集まりみたいなところもあります。
【エンカウンター・グループ】で調べてみてください。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97


説明が難しいので、体験してみるのが一番です。
いまも活動されている人がいますし、"どなたでも参加可能"と記載されていたら思いきって足を運んでみる!緊張するかもしれないけど。
私も初めての時は入り口まで行ったけどしばらく迷って固まってました…。笑

* * *

あと、本を読むのもオススメです。

https://g.co/kgs/C2c7ZS

私は禅が大好きで、こういう本もよく読みます。
ものすごくシンプルなのに奥が深い。
どのページから読んでも大丈夫なやつなので、パカッと開いたとこだけ読むっていうのもOKだと思います。


* * *

誰かが『しょうがない』って言った時、その人はちゃんと受け入れてるんだな、と思います。
本人がそれに気付いてなくても。

今度、笑顔で『しゃーないなぁ!』って言ってみよーっと!

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