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かたち


ルームソックスに穴が空いていた。
お気に入りのものは傷むのが早い。

なんとなくそれを見ていて、父と母にプレゼントしたペアのマグカップを思い出した。
贈った時はとても喜んでくれたけど、ふたりはそれを使っていない。

『もったいないから』 と。

形あるものは壊れるから、いつか壊れるのがわかっているから、なんだろうか。

* * *

どういう話の流れだったかはすっかり忘れてしまったけど、中学か高校の時に幼なじみが『プレゼントの、その "物"もちろん大切やけど、それを選ぶ為に相手のことを考えた "時間" と "気持ち" そのものがプレゼントやねんで』と言っていた。

私は当時そういう風に考えたことがなかったので、それを聞いて幼なじみのことを見直したというか、すごいなと思ったのだけど、大人になってからは幼なじみをそんな風に育てたおじさんおばさんや周りの人を尊敬するようになった。

その幼なじみとはいまはほとんど会うこともないけど、そう教えてもらったことはずっと心に残っていて、誰かに何かをプレゼントする時には思い出すし、逆に私宛にいただいた時もその "時間" を想像する。
お土産をいただいた時も、その人のその時間の中に私の存在があったんだなぁと。

* * *

高校生の時、おじいちゃんが病気で寝たきりになった。
完治の見込みなく退院し、畳の上にいつも通り敷かれたお布団の中にいるおじいちゃんに会いに行くと、帰り際に枕の下に入れたお財布からお小遣いをくれた。
もしかしたらもう会えないかもしれないと思った日にも。
もう起き上がることもできなくなったおじいちゃんのお財布にお札が湧いてくる訳もなく、それは同居していたおばちゃんが随時補充していたのも知っていたけど、骨ばったしわしわの手で渡されたそれを断ることもできずに握り締めたままトイレに駆け込んで泣いた。

『このお札は大切に取っておこう』とその時は思っていたはずなのに、いまは跡形もない。

でもその時の光景はいまもありありと思い出す。

* * *

たとえマグカップが壊れてしまっても、それはふたりのどこかに記憶されるだろうし、ふたりが忘れても私のどこかに残るだろうと思う。
マグカップを使わず大切にしまっておくその気持ちと共に。

かたちがなくなっても、その存在は残る。

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