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忘れる

最近、というかしばらく前から。
母はいろんなことを忘れるようになりました。

たまに帰ると、前回と同じ話を何度もします。
よくある話。


* * *


あれ?この話、前に聞いたな?って気付いた時は『それ、前に聞いた』って言ってたけど、最近は『ふーん』もしくは無言。
特に返事を求められるものでなければ、そのまま話してるのを聞いてます。

まぁ長く生きたらそれなりに機能は変化していくものだし、私だって忘れっぽいから。

最初の頃はちょっとショックだったし、寂しかったです。
あー忘れちゃったんだなーっていうのと、まざまざと【老い】を見せつけられた感じで。


* * *

でもねぇ。
なんで覚えてないのよ!ってなったところで、覚えてないものは仕方ない。
だって覚えてないんだもん。

いちいち、これこれこう言って、私はこうやって言ったでしょ!って返すと『そうやった?』くらいの反応で、表立って指摘に傷ついたりしてるようには見えないけど、自分の失敗に自分で気付いた時はちょっと悲しげな顔をするんですよね。

鯵の南蛮漬けを作ろうとしてたのに、タッパー開けたら生のままの鯵が玉ねぎとお酢に浸かってたとか、私に持って帰らせるはずだったおかずが冷蔵庫に入れたままだったとか。

そんなのを見て、毎回ショックを受けるのはこちらがしんどくなるのでやめました。

私が覚えてるからいっかー。
っていうのもひとつ。


* * *


でもそもそも、体験したこととか、感情を伴ったその思い出って自分の感覚だし、同じ体験をしていても捉え方は違っていて当然だと思うし。
それを共有できて『あの時楽しかったねー!』って言えるとそれはめちゃくちゃ嬉しいというか、何倍にもなって追体験できるけど、でも見える光景はやっぱり違ってるんだと思うんですよね。

覚えてないから寂しいっていうのは自分の感情で、それを相手に押し付けてもなー、と。

私が覚えてなくて相手が覚えてることもたっくさんあるし、というかよく指摘されます…ごめんね。

いつか、私が全部忘れるかもしれないし、私の存在が誰かの人生から消えるかもしれない。
それでもいいかなと思います。
忘れさられる恐怖というか、寂しさが全くない訳じゃないけど。

ちゃんと繋がっている人とは、必ずまた会える約束をしたので。


* * *

例年よりずいぶん早く咲き始めた桜の時期に、とりとめもなく書き始め、満月の皆既月食の今夜、書き終わりました。





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