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2023/4/28 恋のおまじない

テーブルの上に剥がした絆創膏があった。
(またゴミも捨てないで…)。いくら言い聞かせても、きちんと出来ないのは何故だろう。ため息をつきながらその絆創膏を見て、おや?と思った。これ、ちょっと変だ。
娘は一昨日、怪我をしたと言って足に絆創膏を貼っていた。

「ほら、こんなに血が出てる」
そう言って差し出した足の絆創膏には、確かに血が滲んでいた。

だけど今朝の絆創膏は違う。老眼の悩ましい目で、ヨレヨレの絆創膏を遠ざけたり近くに寄せたり、よくよく確認してみても、その絆創膏には血のあとがないどころか、黒いサインペンで何かが書いてあるようだ。ガーゼの部分に書かれたそれは、じわりと滲んでいて何が書かれているのかは、定かではない。

え?

どういうことだろう、とは思いつつも、こんなことよりも昨晩脱ぎ散らかされた夫の靴下の方がムカつくし、ゴミも必要なものもごちゃごちゃに積み上がっている娘の机の上の方が大問題だ。テーブルには一枚、未使用の絆創膏が放られていて、それを引き出しにしまった。


午後、ランドセルを揺らし、いつものように興奮気味に帰宅した娘は、
「今日も〇〇ちゃんと一緒に帰ってきたよ、そしてね、恋バナをしたんだけど、ウチの好きな人バレちゃった、3人いるんだけど全部バレてるー」
と一息にまくし立てた。

(3人もいるんかい)

そう思いつつも、「誰かわかる?」と聞くから、
「〇〇君と、あとは誰だろう、△〇くん?」と答えると、△〇くんは違うという。△〇君は、将来はジャニーズ系の甘めのかっこいい少年になるだろう、と私が過度な期待を寄せている男の子だ。〇〇君は正解だった。保育園の頃から仲がいいから、そりゃわかりますとも。2人目は同じクラスのスラムダンクの話が合う男の子、全然わからなかった3人目は、多分他の女子達も「あの人いいよね、かっこいいよね」と言い合っている存在の子で、本気度は薄そうだ。

そうかそうかと、心は多少なりともざわつくものである。小学校3年生ともなれば、私も放課後の校庭で、ヒソヒソと好きな人の名を打ち明けあったものだ。好き、という気持ちがその頃はあまりよくわからなくて、クラスの女子が大体好きそうな男子の名前を、こそこそと耳打ちしたけど、そんなに勿体ぶるほど好きでもなかった。まりこちゃんも好きだと言っていた諸星君は、今はどんなおじさんになっているかしら。

とにかく恋バナが好きなうちの娘は、「実はね」と嬉しそうに切り出した。

「絆創膏に好きな人の名前を書いてね、肘とかに付けてね、3日間それが剥がれなければ両思いなんだって。だからね、ウチ、昨日つけたんだけどね、1日で剥がれちゃったー」

と、ガハハと笑った。

ほほう。

黒いインクがついた絆創膏の謎が解けた。

それは面白いね、とそのおまじないのやり方を詳しく聞いてメモをとっていると、
「え?好きな人 いるの?」
と浮き立つような声で聞かれた。恋バナを始める勢いだ。

なるほど、そうだよね。いやいやいや。でも久々にそんなこと聞かれたかも。
「いないってば」
乾いた声で笑って、メモをしまった。

私も小学校高学年の頃、『好きな人の名前を書いて枕の下に置いておくと、その人の夢が見られる』おまじないをやったことがある。
ある朝、母が私の顔を見てやけにニヤニヤしているから、その馬鹿げたおまじないがバレてしまったのだと分かった。
そのおまじないに即効性はなかったけれど、私はその彼とその後の中高もそこそこ仲良くしていて、大学生になって初めて私をスキーに連れていってくれたのもその人だし、大人になっても時々会い、今は私の会社の税務をやってくれている。

儲かっている時は「お前、布のバッグじゃなくて革のバッグくらい買えよ」となるほど本当だよ、という事を言われ、儲からなくなってからは何も言わなくなった。
もう何年も会っていないけど、メールの文面は交換日記や手紙を交わし合ったあの頃の感じそのままでもある。

彼と生年月日がまるで同じだと分かった中学1年のあの時、『運命』という単語が頭の上でビカビカと光ったけれど、特に何もめくるめく運命は辿らなかった。昨日も彼から手紙が届いていたけれど、それは三つ折りのA4用紙の請求書だった。

娘が嬉しそうに、花占いやおまじない、恋バナをするのを今は楽しく眺めてはいるけれど、これからどうなるんだろう、と少し不安になる。〇〇くんも、△〇くんも、スラムダンクの子も、娘の周りにいる子全員、とにかく真っ直ぐ、ちゃんとした子に育ってくれよ、と願うばかりだ。

請求書には、中学生の頃のままの字で、『4月末締めの請求書です、よろしくね』と書かれた付箋が貼ってあった。

はい!



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