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文章は流れる、カレーのように【エッセイ】

近所にカレー屋さんがたくさんあります。
とにかくある。
どれくらいあるかというと、一番近いコンビニにいくまでに3軒ある。
半径300m以内でカレーを食べられる店が14軒ある。
ファミレスやチェーン店を除いてですよ。それくらいあるんです。

驚くべきことに、これらのカレー屋さんは見事なくらい、ほとんど味がカブってないんですよね。
北インド風、南インド風、日本風、タイ風、ネパール風、パキスタン風、シンガポール風、ベトナム風、欧風、フランス風、独自風、それからカレーうどん。
毎日昼夜カレーを食べて回っても1週間もってしまう。カレー好きな人にはたまらない町内です。
とにかくカレーが好きな人っていますよね。もうカレー店コレクターというか、店という店をすべて制覇するんだ!という勢いの人。人生をかけている人。元いた映像業界の人間で何人か知っているんですが、そのうちの一人は知識と情熱が凄すぎてマツコの番組にカレー店の導師グルとして出ていましたね。
元同僚からその情報が回ってきた時は、驚きよりも納得ぐあいのほうが強かったかなぁ。ああ、やっぱりそういう人だよねーという、妙な安心感がありました。
そんな並外れた〈狂った情熱〉を抱えている人は、ただの市井の人でいてはいけないと思います。ちゃんと社会においての異物として、テレビなりYouTubeなりで見世物にならないと(言葉が悪くてすみません)、世の均整が取れないです。お盆がひっくり返ってしまいますよ。

〈狂った情熱〉で思い出すのが、友人の紹介で参加した脚本教室にいたAさんです。Aさんはたぶん僕より5つかそこら年上だと思うのですが、毎回同じモチーフ(ここでは仮に「光り輝くクジラ」としましょう)が登場するSFを書いてきていました。残念ながら教室での評価はかんばしくなくて、何度もダメを出されるのですが、何を言われてもその「光り輝くクジラ」の話しか書かないのです。筋は色々と異なるのですが、絶対に「光り輝くクジラ」が物語の中心に据えてあって、その周りですべての出来事が起こるのです。先生に「いい加減、他の話を書け」と怒られても絶対にやめない。
あまりにもこだわりが強いので、飲みの席でそれとなく聞いてみたんです。いつから「光り輝くクジラ」の話を書いていらっしゃるんですか?と。
「ああ、それはですね」Aさんは答えました。「14歳です。中学生の時から」。
中二病という言葉があります。僕も覚えがあります。中学生の時に空想した楽しげな世界。自由と幸福に満ち満ちた自分だけのファンタジー。
Aさんは14歳からずっと、彼の想像した「光り輝くクジラ」のいるSF世界の話だけ・・を書いているのです。30年以上も。
その偏執ぶりパラノイアに背筋がヒヤッとしつつも、同時にどこか胸を打たれる自分がいました。ある種の畏敬の念ですね。

子どもの頃に抱いた〈狂った情熱〉を最後まで持ち続けたミュージシャンと言えば、ダニエル・ジョンストンです。
彼は発達障害があって、心がずっと12歳の少年のままだった人です。2019年に心臓発作で惜しくも亡くなりました。
彼の来歴についてここでは詳しく語りませんが、彼の音楽はギターを買ってもらった12歳の少年が、初期衝動のままにかき鳴らした瑞々しさに溢れています。そのせいかミュージシャンのファンが多いミュージシャンですね。
打ちのめされた時に聞ける音楽って限られていると思うんですが、彼の作品は僕にとってはその数少ないうちの一つ。「光り輝く音楽」ですね。

いやあ、まさか近所のカレー屋の話からダニエル・ジョンストンに辿り着くとは思わなかった。文章ってのは面白いですねえ。
さっき彼の曲をかけ始めました。もう少し聞いたら、寝ようと思います。




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