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猫と娘と点と線【エッセイ】

我が家には3名の小さな生き物がいる。
生後半年の娘。そしてオスメスのきょうだい猫。
ずっと一緒に暮らしているのだけど、この3名、ちょっと不思議な関係だった。

うちの猫たちは室内飼いで、ケージには入れずに自由に歩き回らせている。
だから娘の目には四六時中、猫たちの姿が飛び込んできている。
が、絶対に見えているはずなのに、すぐそばを通ってもまったくの無視。
わざと目の前に猫の顔を持ってきても、焦点は合わず視線は通り抜けてしまう。
お昼寝している時はもっと奇妙だ。娘は僕や奥さんが立てるわずかな物音にも反応して起きてしまうのに、猫たちの立てる物音には一切反応しない。棚の上からドスンと飛び降りたり、エサをねだってニャアニャアうるさく鳴いていても、ぐっすりと寝ている。

猫たちも猫たちで、娘にはあまり関心を払っていなかった。ああ、なんかいるな、くらいの感じ。ぼくや奥さんに対しては積極的に甘えてくるのに、娘に対しては、そこらへんに落ちている洗濯物同然の扱いだった。あくまでも「物体」としての認識、生き物という「存在」じゃあなくて。
お互いがお互いの存在をまったく認知していなくて、一つ屋根の下なのにまるで別次元の世界で暮らしているよう。不思議だったのでそのことを記事に書いた。

あれからひと月半が経った。
娘は猫たちに夢中だ。

はっきりとは覚えていないのだけど、ちょうど生後半年になったくらいの頃からだと思う。
娘が猫たちの姿を何となく目を追うようになり、徐々に徐々にその表情に微笑みが交ざっていった。今では猫たちが近くを通ると、歓声を上げ手を伸ばして触ろうとする。遠慮なくお腹やしっぽの毛をぎゅっと掴んでしまうので、慌てて止めるのだけれど。

どうもこの生後半年というのは、両親の顔もきちんと認識できてくる時期らしい(この頃から「いないいないばあ」をすると喜ぶようになった)。
両親の顔と同時に、家族である猫たちの顔も覚えたということなのだろうか。娘の内面で起こっているメカニズムはちょっとよく分からないけど、ぼくと奥さんとしては、娘が猫たちを好いてくれるのがとても嬉しい。
ばらばらとしていた点同士に線が引かれていく。
我が家なりの家族の姿ができあがっていくような気がする。

一方で、猫2匹から見た娘はどうなっているのかというと、それぞれにスタンスが違っていて面白い。

まず、メス猫のグリ。
グリは小さい。成猫なのに4キロもない。
でも元気が良くて、わがままな性格。
お腹が空くと僕の足に遠慮なく牙を立てる。
自分がこの家で一番だと思っている節があり、どうも僕らがグリの家に居候させてもらっているという設定になってるようだ。ついでに悪知恵も働く。

このグリから見た娘を一言でいうと〈ライバル〉。
どうも僕や奥さんが娘に構いっきりなのが、気にくわないらしい。

娘が大泣きしていると「ふん、またそうやって気を引こうとして」という猫テレパシーを出して、面倒くさそうに別の部屋に移動していく。ぼくがオムツを変えたり、ミルクを飲ませたりしている時をわざわざ狙って、遠くから甘えた鳴き声を出す。僕が動かないと10分でも20分でも鳴き続ける。
ちょっとかまってちゃんの女子っぽさがある。

グリは娘に対して「この子なんなんだろう?」という好奇心はあるみたいだけど、ライバルなので距離を取っている。でも気になる。そういう揺れ動くアンビバレントな気持ちでいるみたいだ。
ちなみに娘のほうは、家中を機敏に動き回るグリは見ていて惹き付けられるらしい。「すごーい」といった感じで素直に目を丸くしている。
グリがもうちょっとプライドを下げてくれれば、もっと仲良くなれると思うのだけれど。

続いてオス猫のヨッホ。
ヨッホという耳慣れない名前の由来については以前書いた。

グリが「動」ならば、ヨッホは「静」。とても穏やかで大人しい。
聞き分けが良くて、僕に怒られると素直に言うことを聞くタイプ。
ただし不器用で引っ込み思案。おもちゃはいつもグリに取られてしまう。
甘え上手で、いつも奥さんの布団に潜り込んで一緒に寝ている。

このヨッホからみた娘を一言でいうと〈後輩〉。
娘のことを新しい子猫だと思っているみたいで、色々と気に掛けてくれている。

ヨッホはおっとりしているので、娘のそばを通るといつも体の毛を引っ張られている。遠慮なくむしり取られてしまったりもする。
そんな時でもヨッホはいたずらに怒ったりしない。
小さく「シャ」と声を出し、「それはダメだよ」と娘に伝えてくれる。
大人の猫が子猫に教えるのと同じ仕種だ。
ヨッホは人間のベッドで寝るのが大好きなのだけど、娘を寝かせたい時はちゃんとどいてくれる。その時、渋々といった顔はするけど、グリとは違って、「まあこっちのほうが兄さんだし、しょうがないか」という雰囲気で、のそのそと移動していく。立場を踏まえた感じが伝わってきて、つい笑ってしまう。
ヨッホは一日の大半を寝室で過ごしているので、もしかしたら娘と同じ空間にいる時間が一番長いのはヨッホかもしれない。
娘のほうも、このままいつも近くにいる存在としてヨッホ兄さんに懐いていってくれたらいいなと思う。


とまあ、三者三様の我が家の小さな生き物たち。
これから娘の成長に伴って、関係性もまたダイナミックに変わっていくのだろう。

〈コンステレーション〉という言葉がある。
英語で「星座」という意味で、転じて「点と線で連なっているもの」を表す。ユング心理学の用語*1としても使われる。

夜空にある星々は、ただ散らばった光の点でしかないけれど、人間の心はそこに星座という大きなイメージを思い浮かべる。
ただ無関係に並んでるようにしか見えないものが、ある時、全体的な意味を含んだものに見えてくる。

僕はこの数年で奥さんと結婚をし、2匹の猫と暮らし、娘が生まれた。
18歳で実家を出てから、ずいぶんと長い間、一人で点のような存在として外的社会や内的世界と向き合ってきたけど、今はいくつかの小さな点を繋げたコンステレーションの一部として、ここにいるような気がする。
命そのものは個々でしか存在し得ないけど、楽しげな家族という姿がずっと浮かび上がってくれればいいなと思う。


*1

布置 (constellation)

個人の精神が困難な状態に直面したり、発達の過程において重要な局面に出逢ったとき、個人の心の内的世界における問題のありようと、ちょうど対応するように、外的世界の事物や事象が、ある特定の配置を持って現れてくることです。
 共時性の一つの現れであると考えられます。

臨床心理学用語事典
http://rinnsyou.com/archives/351

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猫のいるしあわせ

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