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どうしてか、よく道を尋ねられる話【エッセイ】

僕はよく人に道を尋ねられる人間です。
理由は分かりません。
老若男女の別なく声をかけられるし、外国人からもよく助けを求められます。
洋の東西を問わず、他人から見るとなんとなく道を知っていそうな顔つきをしているのかもしれません(それがどんなものなのかは分からないけど)。あるいは神経質な哲学者のように、二十四時間、道について思案している雰囲気が体から出ているのかもしれません。陰鬱な表情でじっとアスファルトを眺めているとか。それならありそうです。

でもまあ家の近所や、新宿渋谷といったターミナル駅で声をかけられるのは分かります。近所を歩いているときはラフな格好をしているから地元民だと見てとれるだろうし、大きくて複雑な駅では迷子はつきものですから。
ただ旅先でも良く聞かれるんですよね。お互いリュックを背負っているんだから観光客同士だって分かっているでしょ?とは思うんですが。それでも道を尋ねたくなる何かを僕は持っている。そう考えると最早ミステリーです。
自分でも驚いたのはニューヨークの地下鉄で道を聞かれた時です。心の底から「知るか!」と思いました。いや、いくらなんでも分からんわ。
もちろんそんなことは言わず、「Sorry, I'm a stranger.」とニッコリ答えましたけど。(一応、断っておくと僕はニューヨークに住んだことはありません)

逆に自分から道を聞くことはあまりないです。生来、わりと地理感覚は良いほうだし、地図も問題なく読めるし、目も良いので看板や構内図をすぐに探し当てることができます。
奥さんや友人と行動していても、大体において僕がすいすい水先案内をしていきます。初めていった場所でも、パパッと周囲を見て「こっちこっち」と連れていくので、考えてみると結構な特殊能力なのかもしれません。そういうところが何かのオーラになって、迷い人を引き付けているのかなぁ。うーん。

子どもの頃、迷子になったこともありません。親とはぐれても必死で探し出していました。そしてきっちり探し出せちゃうんですよね。やはり特別な能力なのでしょうか。確か家族で動物園にいった時だったかなぁ。どこの動物園か覚えていないですけど、両親と僕、弟の4人で遊びにいったんです。小学校の低学年だったと思います。

父と母が並んで歩いていて、弟は父に肩車をされていました。子どもの僕は三人の後を追うように一人で歩いていたんです。ただでさえ子どもの歩幅で大人についていくのは大変ですが、動物園はかなり混んでいて見通しが悪く、前を行く家族を見失わないよう必死でした。でも人混みに邪魔されて、どうしてもうまくついていくことができません。波に押し戻されるように、追いついては離れ、追いついては離れを繰り返していました。父も母も前に進むことに気を取られていたのか、自分のほうを振り返ってはくれませんでした。少しでも気を抜くとはぐれてしまうと思いました。神経を集中させて右へ左へとステップし、人波をかわしていきましたが、ふいに見知らぬおじさんの足にドンとぶつかって、気がついた時には父の姿も母の姿も、弟の姿もありませんでした。
顔からさあっと血の気が引きます。子どもの頃の迷子というのは、どうしてあんなに怖いのでしょう。全身の毛が逆立つように感じました。
必死で父の背中と、父に肩車されている弟の背中を探すのですが、まったく見つかりません。周りは似たような親子連れがいっぱいなので、目が惑わされます。何度となく、父だと思った人が父ではなかったり、母だと思った人が母ではなかったりします。どうしても探し出すことができません。見知らぬ家族の集合体が渦のように自分を取り囲んでいます。行き交う人流に呑み込まれて、自分一人がぶくぶくと溺れてしまったようでした。
怖くなった自分は走り出します。とにかく前に走りました。全力疾走です。特に何か考えがあったわけではありません。少しでも何かを思うと迷子の恐怖にとらわれるので、ただ無心で走っただけです。走りながら五感を研ぎ澄まして父母の姿を探しました。何人もの父ではない父、母ではない母の姿を追い越して、あきらめかけた頃にようやっと、肩車された弟の後ろ姿を見つけました。ああ、助かった。
息を切らしてしがみついた私に父は言いました。聞き間違いではないと思いますが、父は「何回置いてきても、お前は見つけて追いついてくるな」と言ったのです。母は父の言葉を聞いてふふふと笑っていました。

何か怪談のような怖い話になってしまった。
たぶんブラックジョークを好んだ父の軽口だったのだと思います。
子どもの僕は、親と遠くはぐれていたと思っていたのですが、実際は大して離れてはいなかったのかもしれません。父も母もついてくる私の姿を実はちゃんと目で追っていて、息子の戸惑いをくすくす笑っていただけかもしれません。しかし、その言葉を言われた時のショックを、僕は今でもありありと感じることができます。

口直しに迷子にまつわる明るい話。

僕は二十代の頃、下北沢に済んでいたのですが、ある日の昼下がり、駅に向かう途中で一人の女性に声をかけられました。品の良い身なりをした六十代くらいの方でした。
例によって道を尋ねられたのです。ですが、その内容がちょっと変わっていました。
「あのう、吉祥寺まではどういったらいいのかしら?」と聞かれたのです。
下北沢から吉祥寺までは、直線距離で10キロはあります。歩いていったらおそらく健脚な成人男性でも2〜3時間はかかると思います。六十代の女性、しかも足元はスニーカーではなくパンプスを履いていました。
何より奇妙なのは、道を聞かれた場所は下北沢の駅から数十メートルのところで、彼女は駅の方から・・・・・歩いてきたということです。吉祥寺までは快速電車に乗れば15分で着くのです。
駅がどこかではなく、下北沢から吉祥寺までの道を尋ねられるだけでも不可解なのに、女性はどうしてか楽しそうにずっとニコニコしています。失礼な話ですが、僕はこの女性が認知症を患っている方なのかと思ってしまいました。恐る恐る切り出します。
「えーと、吉祥寺まではあそこにみえる線路沿いに歩いていけば着くとは思いますが、その、すごぉく遠いですよ。たぶん3時間以上かかると思いますけど」
「あら、そうなのね」と女性。
「向こうに駅がありますから、そこから電車に乗れば一本で着きますよ」
「うふふふ」
見た目はすごく上品な女性なのですが、それが逆に怖い。僕の動揺を見てとったのか彼女は種明かしをしてくれました。
吉祥寺のご友人宅に行くつもりで、家族に車で下北沢駅まで送ってきたもらったはいいけれど、財布と携帯を家に忘れてきたらしいのです。これでは行くことも戻ることもできません。
じゃあどうせなら!と、歩いて吉祥寺まで行ってみようと思い立ったということでした。
僕はピンときました。この女性は今の状況、つまり迷子を楽しんでいるのでは? なるほど、そうなると彼女の品の良い身なりが、逆に面白く見えてきます。
きっとこの人は今までの人生において、一人で見知らぬ道を何時間も歩いていくなんて野蛮な行いをしたこともないし、しようと思ったことすらなかったのでしょう。ひょっとしたらかなり深層の生まれの方なのかもしれません。
でも、ちょっとした偶然から、歩いてみようと思った。おそらくこんなことは一生に一度きり。
これはそんな淑女の冒険なのです。
「ありがとう。行けるところまでいってみるわ」と笑って、彼女はまた駅と反対方向に歩いていきました。かなり遠い道のりなのは間違いありませんが、あんなに楽しそうにしていたのだから、きっと辿り着いたと思います。
そう信じるのが吉ですよね。

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