見出し画像

人生における〈白露〉の季節です【エッセイ】

雨がしとしと降っているせいか、何だか今日はぽっかりとした余裕のある一日です。

関東はお盆が明けたくらいから、こういった涼しい日が訪れます。
夏の身支度という感じ。季節が変わるな、と思います。

エネルギーに満ちあふれた夏が去っていくのは寂しいですが、今のこの時期もぼくは結構好きなのです。
9月上旬からお彼岸くらいまでの間でしょうか。
夏でもなく秋でもない、ちょうど中間のぽっかりとした季節。
真上に投げたボールが上昇を止めて、落ち始める直前の無重力の感じというか、何にも属さない浮遊感がいいんです。

何か名前はついていないのかと思ってネットで調べました。
二十四節気で「白露はくろ」というらしいです。

白露(はくろ)は、二十四節気の第15。八月節(旧暦7月後半から8月前半)。
現在広まっている定気法では太陽黄経が165度のときで9月8日ごろ。
(中略)
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の秋分前日までである。

大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。

Wikipedia

以前から、何となくもやがかった白いイメージがあったのですが、実際に霞が湧く季節なのですね。なるほど、昔人の目は自然をよく見てるなぁ。

ぼくはいま42才なのですが、まさにいま〈白露〉の季節にいるなと思います。
夏と秋の間。
30代までのエネルギッシュな生活から一転して、ずいぶんと落ち着いた日々を送っています(そしてそこまでくたびれているわけでもない)。
以前はコマーシャルの制作をやっていましたので、大企業、広告代理店、芸能事務所といった大きな組織に囲まれて働いていました。
起きている時間はまるごと会社で仕事をしてるか、プロデューサーと夜の街に飯を食いに行っていたので、家にいる時間≒睡眠時間のような生活でした。

今は自宅で仕事をしていますし、奥さんと子どもとくらいしか顔を合わせません。我ながら極端な転身だと思います。
ネームバリューのある仕事からは遠ざかりましたが、その分、自由にできる時間が増えました。
1日か2日くらいだったら、とりあえず仕事をペンディングして休みにできますし、前もって準備すれば、たぶん1カ月くらい海外旅行にいくことだって可能です。

自分の中ではこれを、お金を稼ぐ代わりに、時間を稼ぐようになったと思っています。
時間を稼ぐ。最近のぼくの指針です。

もちろん自分一人の会社なので、好きなだけ働くこと、仕事を創り出すことはできます(そして基本ぼくはワーカホリックです)。でもそれで自由になる時間をどれだけ損耗させてしまうか、立ち止まって考えるようになりました。
齢四十を越えて、まさかこんな生活スタイルになるとは夢にも思いませんでしたけど。

現代は資本主義経済、合理主義経済が全盛の時代ですし、ぼくもお金は好きです。
お金を稼ぐことは、豊かに過ごすための正解のひとつですが、ストレートに時間をお金に替えることは、かなり交換比率レートが悪いと思います。何故なら、お金で手に入れられるものは交換可能ですけど、時間で手に入れられるものは交換不可能だからです。
若いうちは時間という資本がジャブジャブ湧き出ているので気になりませんでしたが、ぼちぼち人生の折り返し地点を回った自分は、立ち回りを考えないといけないのです。

若くもないけど、老いてもいない〈白露〉の時期は、人生の来し方行く末を考えるのに、そして今まで経験から新しいチャレンジをするのにとても適した時期だと思うのですが、大体の人は〈働き盛り〉と言われて組織でバリバリやってるんですよねぇ。
まあ、それも分かる。分かるんですが、ちょっともったいないなと思ってしまいます。

──

などと、呆けた話を書いていたら。
先日書いた記事がnote公式にピックアップされておりました。
ありがとうございます。
人生、何が起こるか分かりません。
読んでいただいている方々にも感謝感謝です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?