見出し画像

海の記憶と雷の迷信【エッセイ】

今日は書くことが何も思いつかない。
というか、思いつきはするけど長くなりそうなので、書くことを躊躇するという、いつもの無精が顔を出してしまう。
まあ何か夏にまつわることでも書こうかな。

変な記憶があります。
子どもの頃、両親に海水浴場に連れていってもらった記憶(のはず)なのですが、現実なのか夢なのかいまいちはっきりしません。
自分は母と一緒に砂浜に敷いたビニールシートの上に座っています。
海に入りたいのですが、悪天候か何かの理由で入れないのです。
確かに空は曇っていて、海は灰色なんですが、別に雨が降っているわけでもないし、波が高いわけでもない。
そして海パン姿の男たちが30人くらい、波打ち際に横一列に並んでいる。全員腰に手を当てて海をじっと眺めているのです。まったく意味不明なのですが。
母に「お父さんのところにいっておいで」言われ、背中を押されるのですが、その横並びになった男達のいったい誰が父なのか分かりません。
母に尋ねると、母は「あの赤い海水パンツをはいているのがお父さんでしょ?」と言います。確かに列の真ん中にいる男だけが、真っ赤な海パンをはいています。でも、後ろ姿は全然父に似ておらず、どうしようと戸惑う。そこで記憶は途切れます。

思い出というより、なんだかフロイトの夢判断みたいな話ですよね。
それは父親に対するコンプレックスが云々みたいな。
前後の記憶も無くて、場所もどこの海だか分からない。灰色の海の前で、男達が横一列で佇んでいる不可解なだけが、ずっと溶けずに頭の中に残っているのです。
一度、母にこんなことあった?と聞いてみたのですが、「よく分からない」と言われてしまいました。うん、まあよく分からないですよね。

あと夏で思い出すのは、雷ですかね。
僕のいなかは北関東なのですが、夏になると雷がすごいです。本当によく落ちる。
そういう地域ならではの迷信なのかもしれませんが、雷が鳴ると祖母から「電気をつけていると雷が寄ってくるから、電気を消せ」と言われていました。
小さい頃は素直に従って、テレビも電灯も消して真っ暗な部屋で雷が過ぎるのをまっていました。これって科学的根拠はないですよね。でも中学生くらいまで信じてたかなぁ。物心ついた時から言われていたから、疑うという考えが浮かびませんでした。
闇の中、じっと雷の音に耳を澄ましているのは結構好きでしたけどね。だんだん雷鳴が小さくなっていって、よし大丈夫と思ってテレビをつけると、偶然また近くに落ちたりするので、騙されていたなぁ。

海の記憶にしろ、雷の迷信にしろ、子どもの頃の意味の分からない話ではあるのですが、大人になった今では感じることのない、変な手触りがあると思います。
何というか、世界を知識で知るのではなくて、想像でつくっていた感触とでも言うんでしょうか。
僕らはつい知識と想像を対義語のように扱ってしまいますけど、本当は相互に補い合う関係だってことを忘れないようにしたいと思う夏の夜です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?