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好きな写真家【エッセイ】

写真集を結構持っているほうだと思います。
アイドルが水着になっているやつではなくて、写真家の作品が載っているやつです。
ソフトカバーとハードカバー合わせて30冊くらい持っています。
海外の写真家と日本の写真家が半々くらいかな。
決してすごく持っているほうではないけど、平均よりは多いと思っています。いったい何冊くらいが平均値なのかさっぱり分からないんですが、なんとなくです。

収集のジャンルは、ポートレートと風景写真に大きく二分されます。
好きな写真家をざっと挙げると、以下の通り。

古屋誠一

上田義彦

川内倫子

大橋仁

Tim Walker

Steve McCurry

Oleg Oprisco

現代はインターネットですぐに、優れた写真家の作品にアクセスできるからいいですよね。気になったらぜひ見てみてください。損はしませんよ。

挙げてみて思いましたが、活字の本を列挙するよりも的確に、僕という人間のトーンが浮かび上がっている気がします。いままで気がつかなかった。面白いなぁ。

活字はどうしても、表現の最終的な表出を、読み手側の想起する力に依存してしまいますが、写真集は有無を言わさずヴィジュアルを突きつけるのでパンチ力が違いますよね。深く世界観を提示してくれる。
瞬間を切り取る故の魔力なんでしょうか。


僕が写真集を集めるきっかけになったのは、古屋誠一の『Portrait』という写真集でした。
大学生の時に、確かMEN'S NON-NOのカルチャー欄で紹介されていたと記憶しています。そんなに大きな記事ではなくて、作品も2、3点しか掲載されていなかったのですが、そのうちの一枚にすごく惹かれたんです。
黒い服を着た女性が、庭園のベンチで仰向けに寝ている写真だったのですが、すごく静かで遠い印象を持ちました。
古屋誠一は死別したオーストリア人の妻クリスティーネの生前の写真を、何度も何度も編集して写真集を作っている方です。
当然、撮影した当時は妻が亡くなるなんて思っていないので、家族との生活を写したもの、「生」を写し取ったものとして撮られたはずなのですが、写真集には静謐な「死」の感覚が朝の霧のように漂っています。胸を揺さぶられるのではなく、ぎゅっと喉を締め付けられるような、そしてそのまま締め続けられていたいと思ってしまうような、危うい魅力を僕は感じます。
それはおそらく古屋誠一が、妻の死と喪失の虜になっているからだと思うのですが、彼の最新作『Face to Face』ではついにそのデストルドーの呪縛から開放されているのを目の当たりにしました。
刊行にあたって古屋誠一本人のロングインタビューが行われているのですが、そこら辺の純文学小説が裸足で逃げ出すほどの凄みがあります。

上田義彦、川内倫子、大橋仁は広告写真もよく撮っているので、作品を見たら「あっこれ見たことある」と思う人もいるかもしれません。それぞれの話をしはじめると長くなるので今日は割愛。
Tim Walkerは雑誌ヴォーグに、Steve McCurryはナショナルジオグラフィックにそれぞれ作品が掲載されるタイプの写真家ですね。ファッション系とジャーナリスト系というくくりでしょうか。
Oleg OpriscoはSNS時代の写真家らしく、Instagramでの活動がメインみたいですね。ウクライナ人なので戦争の影響が心配です。
(本当はもっと語りたいけど、ここは駆け足だ)


最近、活字とYouTubeばかりを摂取しているので、写真集成分が足りないですね。言い換えると〈言葉ばっかり〉です。
言葉は世界を意味で切り取ってしまいます。分解せずに丸のまま受け取ることを体が求めている感じです。
文字も声もない世界にしばらく浸る時間が必要かもしれません。



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