日本はリプロダクティブライツ後進国なのです。
私は子供が4人居て、幸運なことに4人とも健康で大きくなった。
昔、母親に言われた事が有る。
「あんたは狡いわ、私はあんたが病気がちで苦労したのに、何であんたの所の子は誰も病気せえへんの。」
自分の幸運をこんな風に言われると、何か私が悪い事した????となるが、私の身体が弱かったのは別に私だけの所為では無い。
確かに私は身体が弱かったけど、自分で身体をその方向に導いた物では無い。
仕方が無いが、母としては誰かに文句を言いたかったのだろう。
その点では弟は病気もせずに元気で、育てやすい上に男の子で、私よりは随分優遇されていたと思う。
親としては同等にと考えていたのかも知れないが、「あんたは同性やからいかんけど、異性の子供は可愛いからな。」と言われて育つと、そりゃあ同等じゃないでしょ。
そんな幸運に恵まれた私でも、4人を産むのはちょっと考えって居なかった。
夫が父親の会社である程度の役職で働いているとはいえ、物心共に不安は付き無かったからだ。
人に依っては、そんなの杞憂だったでしょ、ちゃーんと子供育ててるじゃないなんて、無責任な事を言いそうだが、自分が当事者だとそうはいかない。
金額的にも、精神的にも子育ては親に圧し掛かるものは大きい。
今の時代、親世代も働く様になって居て、親元に行けば手伝って貰えるから、少しの間親元になんて甘ーい考えでは育てられない。
今の時代は、夫婦ともに育休を取れる事だけが、救いなのかも知れない。
よくよく考えると、子供を産み育てるのは、社会的な規範の様なもので、私やその前の世代は、結婚や出産、育児をする事には疑問を持たなかった。
我が母などは、これから子供が少ない時代で、年金の受給者ばかり増えてくのはあかんから、あんたも子供に結婚して子供を産んだらと言わなあかんと強調してくる。
いや、強要してくる、別にそんな圧力には屈する事は無いが、その考え方には違和感を覚える。
私の母の時代には、子供は2人、家族4人で豊かで健康的に暮らし、親世代が動けなくなったら、子世代が支えるのが一般的だったのだろう。
私が3人目の子を妊娠した時にも、母は子供は2人で良かったのにと言ったし、弟に至っては、「よく3人も子供を産もうと思ったな、身障者で生まれてきたらと思ったら、怖くて産めやんやろ。」と吐き捨てていた。
そうなのだ、一般的な通念の家族像が、その頃は世間には蔓延っていて、それが良しとなっていたのだろう。
日本では自分の身体を取り戻そうと裁判を起こしている女性がいる。
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