自分の必要な物は自分で考えたい
次女の休みは散歩に行こうと、運動をする為に考えていたのだが、今日は段々雨に向かうと天気予報が教えてくる。
「いつもの緑地は遠くない??今日暑すぎるし。」と次女が話してくる。
確かに暑いし、雨の可能性も高い、ツナ君の目薬の時間に家にいる必要だ、今日はアピタの方に行くか。
「ついでに近鉄でポーチを見たい。」と言ってしまう、カバンを変えるとつどにポーチが欲しくなるのはドウシテダロウ。
私の物欲が酷いのか?それとも誰でもそうなのかは知れないが、家にあるポーチを出しては入れて、これは違う、でもどれなら良いんだと悩む。
昔の叔母ちゃんじゃ無いが、どのバックにも入れたいから、どれにも合うのを探していると、違うなーと思う。
こんな時は見に行くに限る、だけど高いポーチはもう買わないと決めている。
バックを変えるたびに変えるのなら、安いものが良い。
百貨店のバックコーナーは当然ながら高い、エ~、こんなのでこの値段?、作っている人には申し訳ないが、手が出しずらい。
「無印にも有るし、ハンズにも有るよ。」次女が話してくる、そうかそこにも有るのか、ネット通販ばかりでこちらに来ないと、浦島太郎だ。
「今の子は可愛いペンケースが有るよね。」ハンズで見ていると次女が声を出してくる。
ペンケースって安い、ポーチはあんなに高いのに、私はこれで良いわ、と考えて手に持つ。
こんな感じだから、昔は子供たちに「どんだけポーチ持つとったら気が済むの?」と言われていた。
本当に面目ない、ポーチを買うのを止められないんだよね、昔と違って高いのは買わないから、そこは自重している。
それにしても、人間大事な物は違う、私の様にポーチを沢山持っている人も居れば、服が好きな人も居て、キッチン用品の鬼も居る。
私が中学校の頃に、友達が子供の頃の大事なものについて教えてくれたのだけど、(彼女の方が、友達と思っているかは、今となっては解らない)その子が小さい時に土に大事な物を生めたのだそうだ。
まあ大体の人は、ここで犬かよとの突込みを入れるのだろうが、子供は大事な物を隠す時に、土を選ぶ時もある。
家の中に隠すと、親に捨てられてしまう場合は外に隠す、外と言っても其のまま放って於くわけにはいかない。
結論として土に埋めればOKとなる、子供って面白くて凄い。
或る日、外を見て見ると、その土の所が掘り起こされている。
彼女は土の近くを掘り出して、絶望したそうだ、そして母親に尋ねた。
「私の宝物、どうしたの??無くなってる。」
母親としては、宝物と言えば宝石とか、大事なバックなどを想像して、何処に隠したのと聞いてきたそうだ。
「あそこの土に埋めた。」と友達が言うと、慌てて母親は、その土を掘り返した。
わあああん、と彼女が泣いて、土を見ても何も無いので、母親が何処に行ったんだろうねと言うと、彼女が答えた。
「お母さんが壊した。」
彼女は自分が思ったよりもずっと深く埋めていたようで、自分では見つけられなかった。
それが母親が宝石を想像して土を掘り返したら、大事なものが壊れて出てきた。
彼女の大事な物って何だったと思います??
死んだ蝶の羽だったんですよ。
彼女は大騒ぎして母親に随分叱られたそうだ、自分の大事な蝶の羽を壊されて、叱られるのって今でも納得いかないと言ってた記憶がある。(私の記憶が正しければ)
それにしても、人間は大事なものが違う、親にとってはそんな物は要らないやろというものも、子供は大事に取っておく。
家の三女もぬいぐるみのシッポが好きだった。
或る日の事、ぬいぐるみを持って買い物に行ったら、いつも持っている尻尾が無くなっていた。
当然、娘は泣く、夫は新しい縫いぐるみを買ったらええやろと言うが、本人はそんな訳にはいかないのだ。
三女にすれば、彼女はぬいぐるみ本体には興味が無い、必要なのはシッポで、いつも尻尾を持って歩いて居た。
きっと本体が有っても、それは大事にすべきものでは無い、仕方が無いので、おもちゃ屋に行って、選ばせてみた。
全てのぬいぐるみのシッポを触って選んでいて、随分と時間が掛かったが、思ったようなぬいぐるみのシッポを見つけて、ご満悦だったのを憶えて居る。
私はゲームには関心が無いが、我が子はその頃の子供たちの流行だったゲームをしていた。
「そんなことしとったら、バカになるぞ。」夫がよく子供たちに声を掛けていた。
だけど、私が小説を読んでワクワクして読み進めていた様に、子供たちはゲームをしてワクワクして楽しんでいた。
人間の興味も楽しさも必要な物も、不必要な物も、人によって違うのだ。
何が大事か、何が必要かは自分にしか決められない、それは子供でも大人でも人間1人1人違ってくる。
現代は多様性の時代と言われる、その中で人は本当に自分の為に自分に必要な物を選んでいるのだろうか。
若しかすると、今手に取っているそれは、テレビやネットから流れてくる情報に踊らされて居ないだろうか?
多様性の時代だからこそ考えてみる必要があるのかも知れない。
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