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母として考えた

私は人を見る目が無い人間だと思っている。

短大を出た後、流れで元夫と結婚し、子供を産んで4人育てて、彼の会社で仕事をした。

これって彼が悪い人間だと思っていたら、最初から結婚なんて選択肢はない。

だからと云うかでもと云うか、結論として私は結婚した。

いい人だと思って居たし、紹介してくれた人も、親も近所の人もいい人だと言った。

母親も話が持ち上がった時に、出来る限り評判を聞いて、判断をしたみたいだ。

私はそこ迄考えてなかった、結局は結婚なんて人生を掛けた賭け事なのだ、そういう意味では私はギャンブラーであった。

ギャンブルって何にも考えないで賭ける人は居ない(知らないだけで居るのかも知らないけど)パチンコだっていい台とか出ている店とか、競馬なら血統とか騎手とかね。

それが私の場合は良い人そうかも知れない、優しそうかもしれないで決めたんだから、生粋のギャンブラーだと言わざるを得ない。

周りには総じていい人だと思われて居たのだから、自分の見る目が無かったと言う訳では無い。

言い訳だが世間の人が良い人そうと言っても、それがその人の全てじゃない、中に入って見ないと解らないというものは有る物だのだ。

まあ、自分の見る目は無かったんですけどね。

無かったからと言って、仕方が無いと言う訳では無い、人生の選択は自分で受け入れる必要が有るからだ。

ここで出来る事は、他人に自分が間違っていたと他人に広める事では無い、それは無駄になるからだ。

選択肢として3つあって、自分が変わって、彼を受け入れると云うのが1つ目。

彼を変える努力をして、彼の考え方自体を変えるという事が2つ目。

彼と一緒に住む事を止めて、別々の人生を歩いていく事が3つ目だ。

私の場合、2つ目は難しかった、彼が12年上ってのも有ったのだが、影響を受けると信じ込んでしまう。

私が変えようと、一生懸命話をして、考え方を変えようとしても、ネットや知り合いの言葉で直ぐに引っ繰り返る。

変らないのは彼に都合が良い言葉だけで、自分に不都合な言葉は受け入れがたいのが人間なのだ。

3つ目は短大を出て直ぐに結婚して、結婚したら直ぐに子供が出来て、離婚というのは中々決意できなかった。

今の時代なら子供が居ても1人で働く選択肢も有るのかも知れないが、私には無かったな、親の手伝いも当てにならなかったから。

簡単なのは自分が変わって、彼の言う通りに生活をする事だった。

今思うと、これが一番最低な選択肢で、そこに自分の意志や選択肢は余り無かった。

こう書くと、凄く時間や生活を制限されて居たように思われるかもしれないが、そんな事は無い。

動物の実験で、ガラスの蓋に何度もぶつかると、蓋が無くても諦めてしまうそうだ。

人間も同じで、何度も反対されて同じ目に会って居たら、今度は最初から言わない。

諦めって凄く哀しい選択だけど、一番簡単な選択肢なんだよね、だって考えなくても良いんだもんね。

だから私は他人に夫の愚痴と云うのも言わなかった、行った所で何が変わる訳でも無いし、親に言えばあんたが悪いという言葉が吐かれるのを、受け入れなければ為らないからだ。

考えれば、結婚の時も母親が、「明日からもう出て行った身なんやから、帰ってきたらあかんのやに。」と言った。

親としてこの言葉が正しいのか正しくないのかを、この年に成るまで考えて、これは間違っているよな~、なんて結論が出た。

夫に物を云うのを辞めたのも、子供の時からこの親に『あんたは駄目や、何にも出来ない』と言われて育ってきたからかも知れない。

私はそれでも結婚を30年続けたし、離婚するのには時間が掛かった、早く離婚して居たら違った人生だっただろうけど、ここまでの人生を選んできた。

この夏以降に娘が結婚するかもしれない、きっと結婚するだろう、彼氏と嬉しそうに話してくるのは、こちらも楽しくなる。

「お母さん、○○ちゃんいい子やろ?」娘が何度も聞いてくる、きっといい子やなーと言って欲しいんだろう。

でも、何度言われても、私の返事はこうになる。

「うん、いい子みたいやな~、私には解らんけど。」これは娘にとっては正しい答えでは無いらしい。

「ええ子なんやて、優しいんよ。」うん、言って欲しいんは解かる、だけどな、私は偶に有っただけで他人は判断できん。

判断できんと云うか、他人を見る目なんて無いんやから、分からへんのよ。

自分の父親の事を考えたら解りそうな物なのに、彼女はしつこく聞いてくる。

「あんな、人間は暮らしてみんと解らんことがあるし、暮らしてもなかなか見えて来んところはある、でもな、あかんと思ったら直ぐに別れたらええんよ、長く一緒に居ても時間の無駄やからね。」そう言って濁しておいた。

「エエー、これからずっと一緒に居るのに、そんなん言わんといてよ。」でもな、いつでも止めたらええという言葉が、気持ちの余裕になる時がきっとくる。

人間は2人居ると争いが起る、それはどんなに大事な人であってもそうだ。

そんな時に、自分の見る目を反省して、一緒に居なくてもいい選択が有れば、きっと精神的に楽になる。

母としてはそんな事しか言えないな、今日はそんな風に考えた。


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