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おもろくない独白

子供の頃に怖い物が一杯あったのは何故だろう?

祖父母の敷地内に有った家(家を建てる時に一時的に住んでいた)も、庭に居た蛇も(今も怖い)庭で我が物顔で歩いて居た鶏も怖かった。

母も怖かったし祖母も怖かったし先生だって怖かった、別に叱られた訳でも無いのに。

今思えば怖いし、チョット嫌いだったな、訳もなく怖い物に関して言えば、子供だったから真意って解らないしね。

今だって怖い物が無いわけじゃ無い、注射は怖いし、きっとお化けだって見たら怖いと思う、病気だって怖いし。

結婚していた時は家族の仲たがいが一番怖かった、考えれば気の合わん人間とは住まんだらええだけなんやけどね。

今の自分は理解できて、それでも尚且つ嫌いな物が怖いって為っている気がしている、お化けは見たこと無いでよう知らんけど。

子供の怖い物って理解できない物なのかも知れない、自分の理解の範疇にない物は、怖いって思うんだろう。

年を取ると怖いと思わなくなるのは、死に近づいてきて思わなくなると思っていたけど、違っていて知らない物が少なくなってくるからかもしれないな。

歯医者も何するか解ってるし、他のお医者さんも痛くするために治療しているんじゃ無いんだ、お化けよりも人間の方が怖いし、死は怖いけど望む望まない関わらずに来る。

潔く怖いを受け入れると、結構何も怖くないのかも知れないし、嫌ってるものも好きに為るかもしれない。(無理やなきっと)

人間は知らないから怖いし、怖いから嫌う、子供は歯医者で大泣きするけど、大丈夫と解ると泣かなくなるものだ。

もしかすると人間の諦めって奴かもしれないけどね、兎に角嫌いだけど納得している。

誰かが人間は知らない事を嫌うって書いていた、それって知らない物への恐れなんじゃ無いかと思う。

知らないから怖いに移行して、怖いから嫌いになってしまう人が世の中には多いのだそうだ。

知らなければネットで検索すればいいんじゃない、とアントワネット化して言ってみる。

ネットで検索が出来ない場合、知らない事のみ増えて行って、(ネットで正しい事のみが、書いて在るわけじゃ無いので、信頼できんかもしれないが)調べても解らない物は怖いからの嫌いになるのかな。

自分の奥にある嫌いは、怖くて何処までも好きには移行していかない、そう考えて気付いた事が有る。

嫌いな物を無理に好きにして、怖くないよって自分に言い聞かせる必要って在るのかな?

よう考えたら怖いし嫌いやし、知ったけどヤッパリ無理って云うのは人間に有っても良いと思う。

ちょっと考えてみた。



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