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子供の時間

人って成長しているって言うけど、自分が成長しているのは解らないよね。

親に「もう子供じゃ無いんだから。」と言われると、そんなに成長して無いのかなってちょっと落ち込んでしまう。

子供でも大人でも無い時期の人間はどっちに向かっているんだろうと、常に思っている私は何なんだろう。

「有紀、今は人生で一番いい時間だからね、大事にしなくちゃだめよ。」陽子叔母さんだ。

「一番って自分でしか解らないし、年を取らなきゃ解らないじゃん。」当たり前の事を返したりする。

「違うよ、比べたら駄目だって言ってるんだよ、いつでも今が一番そう思って生きて行くと楽しい人生が続くんだよ。」続けてくる。

母が言うには叔母さんは勉強は出来ないし、いい大学にも行かなかったし、結婚は遅かったし、直ぐ離婚したし、子供も居ないしで人生の落伍者だという事だったけど。

私はこの叔母が大好きだった、この人だけが私の孤独を解ってくれる、孤独は自分を蝕んで、他人にまで侵そうとしているけど、この人と付き合うとそれが無くなるのだ。

「叔母さんは何処に言ったの?」或る日の私の言葉。

「あの子ね、東京に言ったのよ。」

「凄いね、東京で仕事してるの?」

「東京ったって夢を見ているのよ、あの子が文で身を立てるって言ったって出来るわけない、諦めてこっちで結婚相手を探したらいいのに、選ばなければ再婚の人とかいる筈なのに。」と言ってフウと息を出す。

「叔母さんの人生じゃん、好きにしたらいいじゃん。」と答える。

「あの子だけならいいけど、帰って来て1人だったら親戚皆が迷惑するのよ、あんただって叔母さんの面倒なんて見たくないでしょ。」

叔母さんは面倒だろうけど自分は良いんだ、私としてはどっちも同じだよ、だってお母さんやお父さんだって、私の人生では面倒なんだ。」

子供の時間が終わると考える事が増える、それは自分の生きてきた軌跡の中に有る不自由だけど、仕方ない事なのかな。

「何になってもいいし、結婚もしてもしなくてもいい、自分の心に忠実なのが一番いい人生を送れるよ、今からでも遅くない自分の為に生きた方が良いよ。」叔母さんの言っていた言葉だ。

私の歩いてきた道が人生の何処まで来て居るかは解らない、若しかしたらまだまだ道程は長いかも知れない、それとも明日にはこの道が突然閉ざされるかもしれない。

だけど今の時間が大事なのは解っている、叔母さんは頑張って東京で仕事をするようになった。

私もこれからだ。

自分の出発は自分で決める。



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