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携帯新幹線

『最近の防災備蓄って、よく考えられているんだなぁ』

通販で購入した防災リュックを広げながら、思わず感嘆した。

水やビスケットや、ホッカイロなんかはもちろん必要。
それらに加えて、ヘッドランプや保温性のアルミシートもある。

自分で買い揃えなくてよかったな。
こんなにたくさん揃えるのは大変そうだ。

ひととおり中身を確認し終えて、リュックにしまっていく。

そこで、よくある防災用品に紛れて見慣れないものが入っているのに気が付いた。

透明なソフトケースに並ぶ、三本のチューブ。
歯磨き粉だろうか。

【緊急時以外は絶対に封を開けないでください】

でかでかと赤字で書いてあるケースを裏返すと、説明書きがあった。

【これは、緊急避難用の携帯新幹線です。非常時に交通が遮断された際、あなたを安全な地方にお連れします】

どういう事だろう。
私はチューブをひとつ取り出した。

『はやぶさ、だよな』

手に取った緑色のチューブには鮮やかな紫のラインが描かれている。
新幹線に詳しいわけではないが、この色はたしか【はやぶさ】だったはずだ。

はやぶさ色のパッケージはともかく、チューブの形は歯磨き粉と同じ。
私は蓋をひねった。

「うひゃあ!」

思わず声が出る。
チューブから緑色の車体がにゅう~っと出てきたのだ。

目の前に、「はやぶさ」が浮かんでいた。
もちろん、実物よりはずっと小さいけれど。
私がちょうど上に跨がれるくらいの太さだ。

【間もなく発車します。ご乗車になってお待ちください】

ご乗車になってって……こういうことか?
私はおずおずと【はやぶさ】に跨る。

そこでなぜか急に手持ち無沙汰に感じて、先程詰め直したばかりのリュックを手に取った。

【プルルルルルルルル。プシュ―】

ご丁寧に、ドアが閉まる音がする。
そして、

「うひゃああああああああ!」

【はやぶさ】が急発進した。
家の窓を突き破り、北に進路を取る。
大宮、宇都宮、福島、仙台、盛岡、と次々に駅名が連呼されるが、止まらない。
私もつかまるのに必死で、次々に移り変わる周りの景色など見ていられない。

やがて、

【新青森、新青森。この列車の終点です】

再びプシュ―、という音がする。
私はヘナヘナと地面に滑り落ちた。

なぜかやたらと寒い。
周りは雪がちらついているのだ。

『青森に、来てしまったのか?』

私は東京の家で来ていたシャツ一枚。
寒いはずだ。

私はリュックからアルミシートを出してくるまった。
こう寒くてはどうしようもない。

『そうか、他の新幹線を使えば……』

私はガサゴソとリュックを探った。

次に手にしたチューブは白地に、青いライン。
東海道新幹線だ!
これで東京に帰れるか?

私は蓋をひねった。

にゅう~っと出てきたのは、見覚えのある細身の車体。
【のぞみ】だった。

【間もなく発車します。ご乗車になってお待ちください】

言われなくても分かってますとも!
私が跨ると、プシュ―、という音がして発車した。

私は二回目だから、前回ほど驚かない。
しかし、

【この列車の終点は、新大阪~】

え、待って、東京で降ろしてくれよ。
できるよな?

私の願いも虚しく、新幹線は東京タワーを通り過ぎた。
そのまま富士山を過ぎ、名古屋城を過ぎ、京都タワーがちらりと見えて、大阪へ。

「おい、もっと便利に作れなかったのかよ!」

私は新大阪駅で泣きたくなりながら、ビスケットを水で流し込んだ。
青森よりはましだが、やはり真冬だ。
もう暗くなる時間だし、寒くてたまらない。

私はホッカイロの封を開けて手を温めた。

さて、これからどうしよう。
もう普通に新幹線に乗って家に帰ろうか、と思ったものの、持っているのは防災リュックだけ。

スマホも財布も置き忘れてきてしまった。

私は仕方なく、最後のチューブを手に取った。
黄色に、青のライン。
これってたしか、見ると幸せになれるという……

『ドクターイエロー?』

こんな時だというのに、私はちょっとワクワクしてきた。
ドクターイエローなんて、普通は乗れないものだから。

いや、このチューブを開けたところで、本当に車内に入れるわけではないが。

私は蓋を開けた。
にゅうっと出てきた黄色い車体に跨る。

【どちらまで点検しますか】

いつもと違うアナウンス。
しかし、行先を聞いてくれたのは初めてなので、それだけでありがたい。

「東京の家まで。頼む」

【発車します】

ドクターイエローは音もなく発車した。
ご乗車になってお待ちください、のアナウンスはない。

そろり、そろりと進むドクターイエロー。
これまでの二回と比べると、明らかに遅い。

「なあ、もうちょっと急いで欲しいんだが。新幹線だろ」

ペシン、と車体をたたくが反応しない。
黄色のチューブを裏返すと、こんな注意書きがあった。

【点検車両のため、他の新幹線よりも慎重に走行します】

そんな機能いらんわ!

と思わずツッコミを入れそうになったが、仕方ない。

真っ暗になった富士山の横を通過しながら、私はヘッドランプを点けた。
しかし、さすがに長旅だったのでついウトウトと眠りに落ちてしまった――。


「あんた、何やってんの?」

妻の素っ頓狂な声で、私ははっと目覚めた。

自宅に戻っていた。
窓が開けはなしになり、私の周りには防災リュックの中身が散乱している。

「おい、ドクターイエローは……」
「はあ?」

妻が不審そうな目でこちらを見てくる。

「ねえ、非常用にリュックを買ったのに、ビスケットも水も開けちゃったの?」

私は手元を見下ろす。
ああ、そうだ。
新大阪で開けてしまったのだった。

「ほんと、何やってるのかしら。ホッカイロだって、また買い直さなきゃいけないじゃない。ちゃんと自分で補充しておいてね。」

呆れ声を残して妻は出ていった。
私に弁解させる隙もなかった。

一体あれは、何だったんだろう。
私は身体が冷え切っていることに気づいて窓を閉めた。

そこで、でかでかと書かれた赤字が目に入った。

【緊急時以外は絶対に封を開けないでください】

ああ、なるほど。
今になって、この注意書きが妙に説得力がある気がした。

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