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バスに乗り遅れる夢

前回離婚調停中の元夫が、夢の中で、私がバスに乗り遅れないように、助けてくれた夢の解釈をした理由を書きます。

現実で起こった不運

高校3年の部活最後の大会の2週間前に、わたしはスポーツ大会で右手を骨折してしまうという不運に見舞われた。
中学でも事情があって続けたかったけれど続けられなかった部活、せめて高校は最後まで全力を出し切りたいと思っていたが、不運にもそれは叶わぬ夢となった。手にギブスをつけてユニフォームを着る事もないまま、イスに座って応援にまわった。わたしは仮にもその年のキャプテンだった。

バスに乗り遅れる夢

それから何十年と、バスに乗り遅れる夢を見る事になる。
いつも、高校部活最後の試合に行くために乗るバスに乗れない、乗り遅れる、乗れたが行き先が間違っていた、乗る事さえ忘れてしまった、その他、シューズが無い、靴下が無い、気づいたらもう終わっていた、走っているが間に合わない、
などなど、数えきれないほど同じような夢をみている。夢から覚めた時の焦りと虚無感はいつもとても嫌なものだった。
海外に住むようになり、結婚してからも、バスの夢は続き、ちゃんとバスに乗れたことは一度としてなかった。夫と別れるまでは。

初、バスに乗れる夢

2016年ごろ、観音さまが明晰夢で飛行機に搭乗中に胸のところに現れ、2017年にも観音さまが胸に現れ、2018年には「ムージの一言も話さない5日間」参加中に黄金の大仏さまが現れ、2019年4月のイースター、復活祭の時には、マグダラのマリアとイエスキリストが夢にハッキリと出てきた。
その頃のわたしは現実での質問の答えを、夢でもらう事が多かった。
それはあまりにも人類にとって良い知らせだったので、3日間くらい朝起きては、全部夢だったんじゃ無いか、いや、夢じゃない、現実だ。と確信するたびに幸福感に満たされた。

そして、高校時代以来、初めて夢でバスに乗ることができた。

そりゃあね、一度くらい夢の中で元夫にバスに乗せてもらったから全部許す、っていうのには、長年のバスに乗れない夢の数々があったからこそなわけで。

バスに乗れた夢の解釈

長い年月をかけて、現実は自分が作っている、という本当の意味を、身体の細胞がようやく受け入れ、理屈も経験も実証も追いつき、わたしの世界観が反転した、その証だと思っている。自分が現実を作れる理由が分かった。自己完結した。追いついた。間に合ったのだ。
それらは今までの考えでは到底考えつかなかった、違う次元の視点だ。
または、聞いてはいたけれど、体感が伴っていなかった。
それが、自分の真実となった瞬間だった。

夢の中でバスに乗れた理由、それは全体の意識が目醒めの大きな第一歩を踏み出すことが出来たからに他ならない。と思っている。

他にも、バスに乗れたい理由は、高校の時のトラウマだけでなく、本当はアトランティスの頃のトラウマが起因していたように思う。

次回は、物心ついた幼い頃から見続けている海に沈む夢の話をします。




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