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蓮如に芭蕉に、私

蓮如は、「人は、かろきがよき」と言う言葉を残しています。
この『かろきがよき』とはなにかというと、《仏のまえでは平等なのたから、遠慮することなく老若男女、誰でも思ったことを自由に言えばよい。できるだけ言った方が良い》という意味だそうです。

何故言ったほうが良いのかといえば、人がものを言えば、その人の心の浅はかさ、考えの至らなさなどが、一目でわかる。
それをいうことで、周りの人、先輩や上司から、「そうではなく、こう考えたほうがよい」と、アドバイスをもらえることもあるし、周りの人の反応をみて自分自身で、至らなさに気付くこともできる。そういうふうにひとは成長していくのだ、というのてす。

正直、その意味を知り、私は
「意見感想を述べたときに、周りがアドバイスしてくれるなんて、恵まれた環境だな。もし、アドバイスをした人と円満な関係でなければ、素直に意見交換できるのかな」と。

自分の意見感想を表現することは、事勿れ主義の私には、ハードルが高くおもえます。

その場にいる人が、どういう環境か思想か、この発言で傷つけないかなどを慮ると、発すること自体が怖くなってしまうのです。

これは、お国柄にもよるのでしょうか。

学生の時、フランス語の授業時に、教授が、『フランスでは小学生から、雄弁学習というか、そのときに与えられたテーマについて子供たちが一人ひとり、人前でスピーチをする授業が1週間に何度もある』と話されました。

小学1年生から、家族、生活、時にはテレビに出る政治家について、自分の言葉で、ときには10分ほど自分の意見を述べるのだそうです。

1.2分ならば当たり障りないことを言って済ませられそうですが、10分となるとそうはいきません。
自分の意見を、自分のことばで表現する授業を幼い頃から何度も何度も重ねれば、その折々の事象に対し個々の意見があるのは当たり前。
日本でありがちな、意見と人を同一視して、反対意見を言った後に気まずくなる、なんてこともないでしょう。


とはいえ、フランスで就学していない、右に倣え的私には、難しい。


「ものいえば唇寒し秋の風」と残したのは芭蕉でしたか。

この俳句の意味は、うっかり口を滑らせたために、後悔すること。

ことばを吟味し駆使し、現代に置いても広く周知され優れた俳句を残した芭蕉でさえも、そうおもう場面があったのです。


雄弁は銀 沈黙は金
言わぬが花

言わないほうがいいときもある


表現し、真に伝えるとは、何と難しいのでしょう。



あれこれ、解決策を探った結果、

表現もたどたどしく、沈黙も使いこなせてない私がたどり着いた解答は、

「発した言葉一つで、判断されないように、普段から礼儀正しくして、美しい言葉を使って日常会話をし、反対意見を述べても、まあいいかとおもわせるようにしておく。」
です。


精進します。

解決策等教えていただければ幸いです。

























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