ーたすけて、ー助けて『姑獲鳥の夏』京極夏彦
「私をーたすけてください」
「私をー助けてください」
ー助けて下さいー。
助けると約束したのだー。
何度も読みたくなる、京極夏彦。
読んで読んで、また読んでる。
あぁ、大好きだ。
京極夏彦の情景が好きだ。
たすけてください
と
助けてください
作中で、「たすけてください」「助けてください」と何度か呼びかけてくる。「たすけて」と「助けて」。
私をーたすけてください。
誰だろう。たすけるって、何だろう。
私をー助けてください。
誰だろう。
こっちの助けては「呪いを解く」だろうか。
では「呪いを解く」とは、何だろう。
考えつつ、考えつつ、
ぐるぐると読みました。
ひらがなの「たすけて」から受ける印象は
・幼なさ
・漢字と比べて、ゆっくりしている
・言葉そのものの意味の「助ける」=救う
漢字の「助けて」から受けるのは、
・分別をわきまえている
・ひらがなと比べるとスピード感がある
・大局的な意味での「助けて」
そんなこんなで、ぐるぐると考えながら、「たすけて」と「助けて」を繰り返し読みふけり、気がついた。
それでもやっぱり、同じなんだ。
私をーたすけてください
私をー助けてください
どちらも、さらりと書いている。
別々ではなく、やはり同じなんだろう。
耳では同じ音。
意識としては別々でも、やっぱり細胞では同じ。
何時読んでも、うっすら涙が出る。
鼻がツンとする。
長い物語中、蒸暑かった景色も、最後には晴れる。
清々しい幕引き。
もっと京極夏彦が、読みたくなる。