過去に生きるな!今を生きろ。

面白いでしょ~!
今日、自分の頭の中に浮かんだ言葉です。
私の姿を見かねて、アドバイスをくれたんですよね…。
チーム幸穂が…。
乗り越える為の勇気を与えてくれたんだと思っています。
“もう、終わりにしよう”ってね。
だから、この場をお借りて自分を解放することにしてみました。
寂しさ、悔しさ。憎み、怒り。そして依存。それらすべてを…。
こんな思へと導いてくれた
チーム幸穂へ「ありがとう💛」

★ 20年ぶりの父親からの電話
5月8日…登録していない電話番号でした。いつもなら出ないのに、この日ばかりは、電話に出ました…。
いたずら電話だと思っていたのですが、電話の相手が私の名前を3回呼ぶんです。不安でしたが「誰ですか?」と問いかけると、それは20年ぶりの父親でした。

★ 末期の肺癌と当時の不倫相手…。
死んでしまいそうな父親から、次に電話へ出たのが女性の方。
私が小学生の時に、父親が不倫をしていた相手でした。
「末期の肺癌で、病院では手の施しようがなくて気力がなくて…」
その時の私の感情は…怒りに包まれていました。
話せば長くなる…父親との縁を切った原因。今更…。

私には、実の弟がいますが、彼にも今回の事は、報告しました。
姉弟の間では、父親にはもう会わないと…。
この選択も、決して間違っていないんです。
その時は、納得して、すっきりしたんですよ。

★ 過去の小さな私が暴れだし、無理やり閉じた過去の蓋が開いた。
あれから10日ぐらいして、自分のモチベーションがなかなか上がらないんです。「なぜなんだろう?」と思っていても、心の中の何かが引っかかる日々。ゆっくり自分に問いかけていくと…。
「どうして…。」っと、私の中の小さな私が問いかけてきました。

「父親に会わない」と決めたことが、実は私自身の中で納得できていなかった。納得したつもりで、本当の自分の声に蓋をしたんです。
なぜならば…怖いから。
振り返り認めるのが、怖いからです。
傷ついた自分の姿を、再び見るのが怖かったから…。

★ 自分が歩んできた人生で、生まれた感情を認められない私。
小さい頃の私は、お父さん子でした。
父親が大好きで、尊敬していて…。だから誰よりも父親を自慢したかったのが、本当の気持ちです。しかし、我が家は私が小学校に上がる前から、両親の中が悪く、仮面夫婦状態。問題を起こす父親に、頭を下げる母。私たちが知らずに生きてきた町内でも、色々な意味で有名人でした。

大人になって色々聞かされた時に、何も知らずに歩んでいた自分が、今更ながら「恥ずかしく」なってしまったこともあります。

そんな両親でも、「自分が頑張れば仲良くなれる」
そう思いながら日々を過ごし、毎日私が一番元気でいれば何とかなると思っていた。しかし、所詮小学生。私自身ができることなんて限られていて、上手くいかない。色々なことを考えては、失敗して、考えては、失敗して…。

結局、自分の中に残ったのは、罪悪感。無意識の内に、多くの経験が自分を苦しめるように、自分を誘導してしまいました。そして気がついたら『私が悪いんだ』になっていたんですよね。

★ 生きることの喜びを失う。
13歳、この時の私が一番望んだことは『家族が仲良くしていること』表向きの家族はいらなかった。でも、私が頑張っても駄目だった。それなのに、なぜか男女の営みはするんですよね(目撃(笑))。私自身のキャパを大きく超えてしまい、理解不能。その場から逃げたくて…。だけど、13歳だった私の周りには、こんなことを話す相手も、理解をしてくれる人もいない「独りぼっち・寂しさ・孤独」そうなると、この年齢はやっぱり危ない。

“死”そう、「もう死にたい…」ってなる。
この時の孤独は、言葉にできない。親戚のおじさん、おばさんも敵。
自分を支えてくれていた祖父は小学2年生で他界。どうしても独りぼっち。
でもね。私は恵まれていた『生きていないとダメなんだよ』って、その瞬間に私の頭の中へメッセージが届いたから。少しでも時がずれていたらリストカットをして今がなかったけどね(笑)

★ よりどころがない私の心は空洞…そして依存が強くなる。
大好きな父親は、帰ってこなくなる。自宅にいても2時間。しかも22時に帰宅してすぐに出て行く。だから私は、その時間を寝ないようにずっと起きていたのは、今でも忘れない。
だって、父親との大切な時間だったから…。
でもね、手をつなぐことも、抱きしめてもらうこともできなくなった。 

そうなあると、どうしても代わりを探す。
『男性への執着と依存』現実逃避もしたくて、男へと走る。
この執着や依存が実は、自分への自信をとてもなくさせた。
何かあれば逃げればいい。簡単なものになってしまった。
でも、結論は皆、父親の様にはしてくれないってこと。
本当に、所詮他人。本当に愛がある温かい気持ちで包んでくれた父親とはやっぱり違うって、こんなことの繰り返しだった(笑)

★ 23歳で父親と縁を切り、それから蓋をした父親の記憶。
話せば長くなる歴史をへて、18歳で両親が離婚
大好きな父親を「情けない」と思いたくなくて23歳の時に、父親と縁を切りました。その後拒食症・過食症、胃潰瘍、家出…多くの経験もした。

どんなに、ダメな父親でも私は、助けて支えたかった。これも本音。
父親が仕事に行っている間に、引っ越しをして家を出て行くことにした母への怒り。「迎えに来てくれる」と心の奥底で信じて、信じて、人生を歩んできました。波乱万丈、それでも結婚をして子供も授かりました。

でも、泣くのを堪えて、歩んだ分その反動もまた、今になって大きく跳ね上がってきていることを実感しています。

★ それでも、感謝を込めて
どんな人生であれ。どんな父親であれ。

私は父親が大好きです。
頭が良くて、何でもできて。ただ人との出会いに恵まれなかっただけ。
それもまた父親の人生であり、その子である私の人生です。


誰よりも負けず、父親を信じて。
誰よりも負けず、父親を待ち続けて。
誰よりも負けず、父親を助けたくて。

それらをすることができなかった私自身をずっと許すことなく責め続けて生きてきました。「どうしてなの…」って。ですが、親父の死と共にすべてを受け入れて、全部を許して・認めていきます。
「よく頑張ったね私。もう、自分を責めないでね!」そして、これからは『本当の私らしく』生きていきます。
心の底から自分自身と父親と母親を愛していきながら…。

★ 最後に…。

ここまで、話せるようになるのに。GWから感情に関する情報に触れることが多かったこと。
また、3名の女性の方が、話を聞いてくれたこと。
これもまた必然だと思っています。

自分がこれから“伝達師”として多くの方々の心の光をもっともっと輝かすために…。
最後の心の扉を開ける勇気をくれて、見守ってくれたことに心から感謝しています。
「父のことで泣いていいんだよ」っと言っていただき。
「今なら理解してあげられるでしょ」っと優しく諭してくれた。
「自分を許してあげなさい」と…。

この時間があったから、今こうして心の開放を思いっきりできることができました。また、父親も会えなかった20年の時を経て、今は毎日傍にいてくている気がしています。

私自身の歴史(一部)ではありますが、こんな人生を歩んでいる人がいる。
そして乗り越えてきている人がいる。
読んでくださった方々の人生に、少しでもお力になれれば幸いです。

困ったら、ご連絡ください。
お話伺います。もう、どんな事でもへこたれないのでご安心ください。

今までの経験と両親から授けて頂いた愛に包まれた、
大きな心の器で皆様の心の光をもっともっと輝かせる”伝達師“です。

お付き合いいただきありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?