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それでも私はやってない

昔の話ですが、息子をあちこちカウンセリングにつれていった時期がありました。悪さをしたのでどうしたものか、片親だからだろうか、心に問題があるのではないか、と。このままではまともな大人になれない、矯正しなくてはいけない、もう専門家に頼ろう、と。

でも、私はどこかで矯正すべきは息子ではなく、自分なのではないか、と思っていました。そして、息子がそっと私宛に書いたメモをみて、そのことを確信しました。

こんなメモを書かせた自分に100%責任があることが、肚落ちした瞬間でした。だから、自分の戒めのために当時撮影したものです。


時は流れまくって、イケメンの成人ができあがり。悪さをすることはすっかりなくなり、いまでは仲良し親子で暮らしています。

仲良しイケメンまでは、息子を表面的にはカウンセリングに通わせながら、実質的には自分のあり方をヨガ哲学とコーチングで徹底的に自己矯正しました。100%の確信をもって、表面対処ではなく、実質対処のほうが効果てきめんだったといえます。

(この経緯は、過去記事でかなり長く書きました)


以前、世の中から虐待される子供を撲滅したい、といって、第二の人生はそこにささげようとするAさんがいました。

Aさんの志は崇高です。Aさんいわく、「虐待をする親はとんでもない。日本は虐待親に対して甘すぎる。もっともっと罰則を強化して、そんな親の権利は取り上げて、徹底的に取り締まらなければならない」と断言していました。

それを聞いて、私はAさんが一時的な虐待は防げるかもしれない、でも、根本的な虐待撲滅はできない、むしろ、大局的には虐待を推進するだろう、と思いました。

悪いことをした親を罰して排除しなければいけない、という心。それと同質の心が虐待を生むのです。排除は一時的措置であり、根本的解決ではありません。Aさんは、そのことがまったくみえていませんでした。

私の息子の例でいえば、悪いことをしたのは息子なので、息子を罰することによって、問題解決をしようとする行為そのものです。息子はまだ子供でしたが、虐待をするのは大人でしょう? というのは違います。大人だからこうあるべき、というのは幻想です。大人は聖人であるべき、という幻想がまた、虐待の連鎖を生みます。

そしてもし、私が息子を罰する方向につっぱしっていたら、息子の問題行動が加速していたことは火を見るより明らかです。私がそのことにずっと気づかないままだったら、仲良し親子どころか、決裂親子になっていたでしょう。でも変わらず、イケメンにはなっていたでしょう。


子どもはどんな親でも、親のしあわせを願っています。表層的な事象ではなく、ことの本質を見極める目を養うことが、そんな愛しい子どもをしあわせにする一歩です。


タイトルの回収です。
うっかり読むと、私が虐待をしていたみたいな記事になってるのが、我ながら不本意です。


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