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平和を祈る宗教者の集い

先日豪州ダーウィンで行われた異なる宗教のリーダーたちによる平和の祈りの集いに日本の神道信者代表として参加することとなるという、思いもかけず大役をつかさどった経過と、式の様子をつらつらと。

多文化共生委員と連絡を取っていた所、「宗教家たちが平和を祈る集まりがあるけど来る?」と聞かれ、私は平和関連のものは何でも関わるつもりなのでもちろん参加。何かのイベントなのだろうな~と思っていたら、教会の事務室で行われている非常に真面目な会議でびっくりしました。

神妙な顔をして会議に加わり、皆さんの自己紹介を聞いていると、割と大きな宗教のグループのトップだったり神職者だったりと気後れしそうになりますが、私の番になりましたので「日本人は神道と仏教という二つの宗教を信じております」と紹介。いつもなら宗教の話題になると、簡単に神道について説明し、神仏混在している事を話すのですが、今回は自国の宗教をアピールする場ではないので割愛。

しかし私が普段どうやって説明しているかに興味がある方は、12年前に書いたブログを参照ください。きっとこれを長年言い続けてきたからこそ、このようなお声がかかったのだろうと思いますので、感慨深いです。


さて会議の主題は翌週ダーウィン市内の教会で行われる異なる宗教家による平和集会。パレスチナやウクライナなど世界の紛争の停戦を願って祈る会の段取りの話し合いで、各宗教の聖典や経典の一説を読み、2分ほど宗教(または民族)音楽を流すことに決まりました。

各自の宗教的発言に関してはそれぞれの選択に任せられましたが、しかし「政治的にならないように」とのこと。私へも「神道にもバイブルみたいなのがあるよね?」との質問が投げ掛けられ、(祝詞はあるけど英語でなんて言うんだっけ?お祝い?)と悩みながらも「準備します」と確約して解散。

私のような人間が神道を代表して良いものだろうか…と不安になりましたが、しかし日本人は他国であまり宗教活動をしない為に、他の宗教に比べて存在感がとても薄いので、このような集会に参加させてもらえるのも珍しく、この与えられたチャンスは逃せない!と思い直しましたら、なんと帰り際に「これは仮定の話なんだけれど、もし仏教の代表者が見つからなかったら、仏教と神道と両方代表してくれる?」とまた更に壮大な話に、、、 

「いえいえダーウィンには仏教徒は沢山いるのに私が??」と言うと「調整は難しいんですよ!」と何故かピリピリした雰囲気に。「分かりました、やります!音楽は神道の雅楽を流して、仏教のお題目を読めば大丈夫~」と返答。私の想像ですが、仏教にも国や宗派があり、中国系や、インド系、それから創価学会も信者が多いですし。とにかく何らかの大人の事情があるのだろうと思い、私は言われた事を準備することに。

しかし改めて準備を始める段階になると肩の荷が重くて全然進まない。先ずは音楽を準備しようと重い腰を上げて雅楽を聞き始め、外国人受けも良さそうな雅楽の超天楽を選び、Recochoku と言うサイトで購入しようとしたのですが、

recochoku.jp
東京楽所『日本の祝・寿シリーズ 雅楽』のアルバムページ
東京楽所の『日本の祝・寿シリーズ 雅楽』 をレコチョクでダウンロード。8曲収録・58分・1987/12/01リリース。「越天楽 (平調) 」「萬歳楽 (平調) 」「蘭陵

購入方法が国内在住者向けばかりで、何故かカードも使えず、残念ながらItuneで購入。本当なら日本企業を使いたかったのですが、いつものことながら日本サイトは海外在住者に対しては余りオープンではないのです。これは音楽だけではなく物販もそう。海外向け、いやまずは景気の良くクレーマーも少ない、かつ英語圏のオーストラリアだけにでもまずは門戸を開いてもらえないでしょうかね、各業者が集まったオーストラリア専用サイトなんてできたら日本好きが多いオージーは狂喜乱舞しますよ~。

さて多宗教平和集会の話に戻しますが、「仏教の代表者が見つかったよ」との連絡がありほっと一息、これで神道だけに集中できます。それから出席者の順番が確定、アルファベット順でIslam, Jewish, Shinto、、、お判りでしょうか、今回の平和集会の原因の一つでもあるイスラム教とユダヤ教と一番揉めている所の後で、なんとなく責任重大な気が…

いや、常々「和の心」を持つ日本人は仲裁役に適していると思っているので、この順番も何かのおしらせ!気を引き締めてやろう~祝詞を調べ始めますが、私は神社に行っても神主さんが読むのを聞くだけであまりなじみがなく、Youtube 動画では正装した神主さんが荘厳に祝詞を読む動画が出てきて挫折しそうに…

しかし在豪の友人などに相談しているうちに、私が子供の頃「生長の家」と言う神道系の新興宗教に入っていたことを思い出し、そういえば祝詞っぽいお祈りをしていたな~と思って調べたら「招神歌」と言う名前でした。

これはいけるか?と期待しながら、子供の頃を思い出して一緒に唱えてみたものの、最後の方に「生長の家の大神守りませ」というフレーズがあったのでこれはそのままでは唱えられない。しかしながらこのお陰で、「私って神道調の抑揚をつけた読み方は出来るかも」とちょっと自信が出てきました。

祝詞は日本の神道の概要が分かるものがいいのか、はたまた集会の主旨に則り平和祈願が良いのか、等と色々考えていましたが、現実的にあと二日しかないので、とにかく短くて私が読めるもの!の一択になりまして、その結果選んだのが『祓詞』。とても短く読みやすい。そして内容も穢れをはらい清めるものなので、平和への道の第一歩として重要ですからね、これに決めました。参考にしたのはこちらの動画


祓詞を何度も読んで練習し、次は後回しにしていた衣装について。会議の参加者も、相談した人たちも皆さん伝統衣装つまり着物を期待していらっしゃる。しかし赤道直下で普段から暑いダーウィンは今夏真っ盛りで更に暑いので着物を着ると考えるだけで汗が噴き出そう、、、

それに私はゆかたを作ったりするのは好きなものの(アボリジニアート柄を使ったゆかたを作って販売したり、縫い方を教えたりしています)、自分自身が着るのは余り気乗りがしなかった。しかしこういった多文化系のイベントを多数主催されている知り合いの大学教授が「敬意を払うために着た方が良い」と言う言葉を聞いて、「そうだ、自我を押し通している場合じゃない」と思い、絽の着物を着る事を決意。

さて次は作法です、祝詞を読んでからの二礼二拍一礼を練習しながら自分でも可笑しくなったのが、まるで試験前の一夜漬けの様だなと。他の皆さん各宗教の指導者なのでおそらく毎週儀式をやっているわけで、前日ギリギリになって必死こいているのはのは私くらいのものだろうな~と笑えて来ました。注:もちろん二礼二拍一礼は参拝の時に行っていますが、人前で衆人環視でやるのは初めてなので練習したのです、初めてではありません。

それに、他の参加者も普段は自分の国の言葉でのお祈りを捧げているはずですから今頃はきっと英訳にてこずったり、それに他所の宗教施設での儀式に心理的抵抗を感じたりしているはずと思い、他の参加者の方々に思いを馳せながら準備を続けましたよ。実は何度か「いや今回は辞退させてください」とメール送りたくなったのは内緒。

さて当日になりました。集会は市内の大きな教会で7時から行われ、豪州北部、赤道直下に位置するダーウィンは雨期なので夕方にはスコールのような大雨が降りだし、涼しくて助かりました。最後の仕上げとして自分のアートスタジオにある神棚に向かってリハーサルがてら祝詞を読んでから出かけましたよ。そうそう、この時はまだ二拝二拍手一礼をどの方向に向けて行うか決めていなかったのですが、教会の演台を見てから考えよう~と思って教会に向かいます。

会場に着いたら皆さん(バハイとユダヤ教以外)宗教装束を着用されていて、和装にして良かったなと安堵。。。出席者は100人程度でしたが、首席大臣に野党党首、国会議員など州の政治家たちが勢ぞろいしていましたので意義あるイベントなのだなと実感。



教会では最初にクリスチャンの神父様が今回の集まりの主旨を説明。


オープニングはアボリジニ男性の演奏。先住民アボリジニの人たちの信仰はあまり体系化していないのでどのような形で関わるのかなと思っておりましたが明るい音楽での参加でした。下記動画を是非ご覧ください。

彼らは全てのものに精霊が宿るアニミズムを信じ自然を崇拝しているので、私は常々日本の神道に近いなぁと感じております。

前半のスピーカーは皆さん英語主体で短かかった。しかしイスラムとユダヤ教は当事者だけあって長め&語気強めに感じましたが、これは言語の違いもあるのかもしれませんね。日本語は発声が弱い(破裂音ぱぴぷぺぽですら非常に可愛らしく聞こえるくらい音的には柔らかい言語のようです)

日本人が議論、討論には弱いけれど、調整役には適しているのは言語の柔らかさもあるのでしょうね。もちろん私はその日本語の強みを意識して、祝詞を日本語で読むことにしたのでした。音と言うのは周波数ですから、意味は分からなくとも脳に直接何かを伝えられるはずと信じて。

二礼二拍一礼も何を伝えたいかを考えまして、一礼をキリスト教の祭壇に向け、そして向き直って一礼、二拍手も場を清めるつもりで参加者に向かって行いましたよ。「二礼を分割するなんて邪道だ!」なんてお叱りを受けるかもしれませんが、そもそも正面には十字架に磔になったキリスト像があるだけで神棚は無いので決まった通りにやり様がない。「キリスト教会での神道式参拝のやり方」なんてネットで探してもないですから我流で、というかダーウィン式でやりました。生物学者のダーウィンさんによれば環境に適応したものが生き残るそうですからね。

祝詞が書かれたメモを持って壇上へ。英語で短く神道についての説明と、これから祓い清めます、と言ってから祝詞を読みました。私以外に日本人は誰もいませんから間違えても分かる人はいない、と言うのは気が楽でしたよ。

【祓詞】 掛けまくも 畏き 伊邪那岐大神 筑紫の 日向の 橘の 小戸の 阿波岐原に 禊ぎ 祓へ 給ひし時に 生り坐せる 祓戸の大神たち 諸々の 禍事 罪穢れ あらむをば 祓へ給ひ 清め給へと 白すことを 聞こし召せと 恐み恐みも 白す

【読み方】 かけまくも かしこき いざなぎの おおかみ つくしのひむかの たちばなのおどの あはぎはらに みそぎ はらえたまいしときに なりませる はらえどの おおかみたち もろもろのまがごと つみ けがれ あらむをば はらえたまい きよめたまえと もうすことを きこしめせと かしこみ かしこみ もうす

【意味】 口に出してご尊名を申し上げるのも恐れ多い イザナギノ大神が 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で 禊祓いをなされた時に お生まれになった祓戸の大神達よ 様々な災難・罪・穢れが ございましたら 祓いお清めください と申しますことを お聞き届け下さいませと 畏れ多くも申し上げます


祝詞を読むと改めて、我々の祖先が守り続けていた伝統を現代人も次の世代に伝えなければならないし、また他国の人たちと同じように外国でももっと神道を大事にすべきと感じました。実は集会以降私も神棚の前で祝詞を毎日読んでいますよ。とても良い学びの機会を与えられて感謝しています。皆さまもいかがでしょうか?下記サイトがとても参考になります。

神棚で使う祝詞について|家にいてもしっかりと神様とつながる方法│nagomeru(なごめる)

式典後、幾人かから「貴方が日本語で何を言っているのかは全く分からなかったが、心穏やかな気持ちになった」や、「いでたちを含めて温かいものを感じた」とのお言葉をいただき、正にそれが伝えたかったことですから、とても嬉しく思いました。周波数ですよ、平和の周波数、これはとても大事ですね。

それから皆さんと記念撮影を。絵面的にキリスト教とシーク教の人たちや政治家と記念撮影。オーストラリアではこういう時には大人しく控えめにしていてはダメなのです。アピールが大事、それが次に繋がりますのでね。

その後のお茶とクッキーが提供された懇談会があり、発案者の方と平和談義。「長崎を最後の被爆地にする責任があると思い声を上げている」と言う発言に共感いただき、また別の機会で発信できるかもしれません。

パレスチナやヨーロッパ等の戦闘地域から遠く離れたオーストラリアの片田舎での集まりですが、バタフライ効果のようにほんの小さな平和の祈りが大きな波になって世界に広がる事を期待しています。




後日談

主催者の一人で元政治家の女性より平和活動について語りたいと連絡をいただき、色々話し合ってきました。そして私が常々考えている平和学習ツアー、つまり日本の生徒がオーストラリアにやって来てダーウィン空爆を含む日豪の戦史を学び、又オーストラリアの生徒も日本の被爆地、広島と長崎を訪れ平和について学ぶ、と言う企画を申し出たところ、非常に共感してくれて協力を約束してくれました。政治家時代に非常に高い地位にあっただけに、影響力や実行力が素晴らしい平和主義者の方が支援をしてくれるのは大変心強く、実現に大きく近づいています。

長い長い文章を読んでいただきありがとうございます。皆様、平和に向けて、自分が出来ることをやっていきましょうね~。







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