NARUTOと出雲神話から気づいたジャパニーズ精神
ここ1週間、仕事のためにNARUTOのアニメを見ていました。
(「どんな仕事してんねん!」っていう突っ込みは、一旦、置いといてください。笑)
NARUTOというのは、忍者を題材にしたマンガです。
話の中で、主人公のうずまきナルトが住む木の葉の里に大蛇丸(おろちまる)という忍者が攻めてくるシーンがあるのですが、その場面を見ていて、ふと思い出したことがありました。
つい、2週間前、コミュニティのお手伝いをしていたのですが、その中で出雲神話の八岐大蛇(やまたのおろち)伝説を調べていたんですよね。
(↓伝説について詳しく知りたい方はこちらから。)
調べていたときは、気づかなかったのですが、今週になってアニメを見ていたときに、「あれ?オロチマルとヤマタノオロチって似てるな!」って思いました。
そして、改めて、NARUTOと八岐大蛇伝説を比べてみると、やはり似ているところがたくさんありました。
(NARUTOを知らない方は、雰囲気だけでもつかんでもらえたらと思います。)
例えば、まだ、ナルトが生まれて間もないころ、木の葉の里に狐の妖怪が襲ってきます。
4代目火影(忍者の長)は、村を守るために、幼いナルトの身体に、その狐の妖怪を封印してしまうのです。
そのため、ナルトは、村の人から恐れられたり、遠い目で見られるようになります。
八岐大蛇伝説では、ヤマタノオロチを退治する素戔嗚尊(スサノオノミコト)は、イタズラばかりして、村から追い出されてしまいます。
シチュエーションは異なりますが、誰からも必要とされず、孤独になってしまうという点は、両者に共通している部分ですよね。
また、村を追いされたスサノオノミコトは、鳥髪という場所に降り立つのですが、そのときに橋が流れてきます。橋が流れてきた先には、ヤマタノオロチに襲われるのではないかと不安になっていた家族がいて、その後、スサノオノミコトは、ヤマタノオロチを退治してその家族を助けます。
NARUTOの2巻でも、橋を造っていたタズナというおじさんが登場し、その人は、村人に希望を与えるために橋を造っています。
しかし、ガトーという人物が、橋建設の邪魔に入ってきてしまうのですが、ナルトたちが戦って、橋づくりが継続されることになるのです。
こちらも、橋をきっかけに人を助けるという部分が重なっています。
このことに気づいたときに、「おおおおお!!!」となんとも言葉にならない、衝撃がありました。(ただ、この解釈であっているのかは分かりませんが。。。)
これまで、ただただ、純粋に物語を楽しんでいたけれど、こんなふうに気づいたことは初めてで、自分でもびっくりしましたし、これまで抱いていた、マンガやアニメに対する価値観も変化したんですよね。
正直、これまでガッツリとアニメを見たり、マンガを読んだりした経験ってありませんでした。
どこかで、アニメや漫画は子どもが楽しむものだと思っていたからです。
でも、このような、アニメや漫画の楽しみ方って、大人だからこそできるのではないかと思ました。
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わたしは、今回、知識と知識をかけ合わせて、新しいマンガの楽しみ方を見つけたわけですが、これって他のことでも当てはまるんじゃないかなと思いました。
例えば、自分の長所と誰かの長所をかけ合わせることで、新しい何かが生まれるとか。
そもそも、日本人は、昔から何かと何かを結びつけたり、異なるものどうしを包み込んだりすることが得意なんだそうです。
日本の食のことを「和食」と言ったり、日本風の文化のことを「和風」といったりしますよね。
「和」という言葉には、仲よくするとか調和するとかっていう意味があるように、日本人の精神の中には、「受け入れる心」というものが刻まれているのだそう。
日々、なんとなく生きていて、人生の楽しみを見つけられない!と感じたら、何かを受け入れたり、融合したりすることで、人生を楽しめるんじゃないかなと思いました。
今日は、小難しい話しをしましたが、「よくわかんねよ~!!」という方はとりあえず、NARUTO見てください。笑
学びになることがたくさんあるはず!!
↓マンガを見たい方はこちらから。
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