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ODで死にそこなった話

記憶が、意識が、脳味噌が、正常なうちに書き残したい。
いつかまた、衝動に駆られてしまう前に。

なお、もちろん自死を推奨する内容ではなく、反面教師として、そんな人間がいるんだなあと思ってもらえたら嬉しい。
そのため、できるだけ起こったことに照準を合わせて淡々と記そうと思う。

原因は大して珍しい話でもないのですっ飛ばす。

そんなこんなあって、明日が見えない、生きる価値はない、望んだ未来など一生こないと思う出来事があり、元々メンヘラ気質だった私はあっさり死ぬことを選択した。
そう決めてからは早かった。日々いろんな方法で死ぬための準備を始めた。
正直、準備をしている間は気が楽だった。絶望感は消え、息が詰まって苦しい状態もその時だけは呼吸ができた。

当初は、原因となった人間に殺してもらおうとナイフを探した。

持ち運びできそうな果物ナイフをスーパーで探したが、店頭ではロックが掛かっており、店員に声をかけて商品を出してもらう必要があった。
何食わぬ顔で「あちらの果物ナイフをください」と品出し中の店員に声をかけ、すんなり手渡されたときは「しめしめ、まさかこの店員、死ぬために買ったとは思わんのだろうな」と心の中で笑った。
そしてレジではもう一生使わないのだから、と貯めに貯めたポイント全額使って購入した。

次に、運悪く殺されなかったケースを想定した。
自分でできる、即効性のある死に方といえば飛び降りか飛び込みだが、いずれも目撃が不特定多数に亘り、不快な思いをさせることに懸念があった。
そこで思い立ったのは首吊りだった。
本来であれば扼殺が一番の希望であったが、同じく締めるというところでは首吊りが近い。
家にあった皮革製のベルトを使うことにし、手すりや物干しバーにひっかけるなど、様々なパターンで試した。
試しながら何度か実際に軽く首を吊ってみると、死の感覚がより得られて安心した。

そして最後は薬物中毒である。
助かる可能性もあるのでリスクはあったが、手段としての手軽さと準備のしやすさで採用した。
アセトアミノフェン中毒に絞って致死量を計算し、市販薬を買い揃えた。
正常な判断ができず、毎日いろんな薬を買ったせいで家中が鎮痛薬や風邪薬だらけになった。
結局は、某風邪薬がその1箱さえあれば済むという結論に至り、アセトアミノフェン買い物マラソンは終了した。
同じ薬を致死量になるまで何箱も買うのはめんどくさい、というズボラな性格が死ぬときの手段にも影響してなんだかおかしかった。

ちなみに死ぬ日を予め決めていたので、何が起きても「でもどうせあと○日で死ぬし」と思えばなんてことなかった。
命日から逆算して部屋の掃除も始めた。
正直、引っ越してきてから一番綺麗な状態になったと思う。

そして計画の日。
結論から言えば、その日は死ねなかった。
よくよく考えれば当たり前だが、相手から殺せないと言われてしまったのだ。
相手はまともだと思う。
論理的で、常識的で、きわめて筋の通った話を終始していた。
似たもの同士だと思っていたが、壊れていたのは多分私だけだったのだ。

しかしそれでは私の気が晴れない。
もうお金を使うことはないのだから、とこの日まで生活費を充てて死ぬためだけに買い物をして準備したのだ。

やむを得ず帰宅したが、翌日の記憶はほとんどなかった。ただ、ひたすらにベッドの上で過ごしていたと思う。
殺してもらう依頼をしたとき、言質を取ろうとなぜか思い立って録音していたのだが、気づいた時にはその3時間18分ぶんの音声が一字一句漏らさず文字起こししてあった。
夜中になって、殺してくれなかった相手につとめて冷静に、まともぶった、しかしよく見ると常軌を逸した内容の長文を夜中に送りつけた。
不思議と心は晴れやかで、その日は今年に入って初めて熟睡した。

翌朝はいつもより早く目が覚めた。好きな朝の情報番組を観て、久しぶりに頭の中にどんどん話が入ってきた。
よく笑った。最近こんなに笑ったのはいつだったんだろうと思うくらい、声を出して笑った。
心から楽しい番組だと思いながら、いつのまにか配達を頼んでいたファストフード店のアップルパイを食べたが、味がしなかったので、少し悲しかった。

それからだ。急な眠気が襲って、横になった。
深く深く眠りについた。朝の10時前だったと思う。
起きたばかりなのに何故だろう、と思う間もなかった。
次に目が覚めたときには15時前になっていた。
部屋は電気もついていなかったので昼過ぎでも暗く、カーテンも閉まったままだった。
外もとても静かだった。携帯は誰からも、あの人からも当然連絡はなかった。
唐突に、そうだ、今死のう、と思いたった。
頭はとても冴えていた。
今しかない、と、頭の中で声がした。

そこから、殺してもらうとき用に用意した遺書を少し書き直した。
目立つように書き置きも追加した。
原因となった相手の思い出の品をそれらと一緒に添えた。

洗い物も済ませ、廊下の掃除をした。
油汚れのひどいキッチンも隅々まで綺麗にした。
部屋中が洗剤の匂いで鼻の奥がツンとした。

問題は、死んでいることを誰かに見つけてもらわなければならないという点だった。
このまま腐乱死体になればマンションの下の階に迷惑がかかる。
時期的には問題ないはずだが、虫も嫌いなので沸いてほしくない。
飛び降りや飛び込みで身元がなかなか分からないのも迷惑をかけそうで避けたい。
そこで思いついたのが、薬を飲んだあとに、自宅まで探しにきてくれそうな友人に連絡をすることだった。

今思えば優しさにつけ込んだとんでもない方法だが、当然頭がおかしかったので、なんて素晴らしい計画なのだろうと自画自賛した。

友人の家からうちまで車でどんなに急いでも2時間強。
連絡をしてからゆっくり飲んでも、救急車を呼ばれて運ばれる間に肝臓を壊死させられるだろうと踏んだ。

そしてそこから地獄が始まった。
友人がとち狂った内容のLINEを見てすぐに電話をかけてくるが、当然それには出ない。
家に向かう、と想定通り連絡をしてきたので、錠剤を飲み始めた。
100錠入りだったので思った以上に多く、少しずつ飲むことにした。
家にあるコップに全部水を入れ、わんこそばのように次々と飲み干していく。
飲みながら、何故こんなことをしているのかわからなくなった。
何のために死ぬんだろう。
悲しくて悲しくて、絶望感で目の前が真っ暗になった。
死にたくない、と泣きながら、怖くなって途中から飲めなくなり、電話がかかってくるたびに10錠ずつ飲むルールを課して飲むことにした。

しかし、ここで予想しないことが起こった。
想定より1時間近く早く、家のインターフォンが鳴らされたのだ。
机の上にはまだ40錠近くある。
これではまだ死ねない。
借金取りの如く鳴らすインターフォンの音が怖くなった。まだ死んでないのかと迫られている気がして、焦って残ったものを全部飲んだ。
空っぽになった薬の瓶を見ながら、ああ、これでちゃんと自殺できた、と安堵した。

安堵した瞬間、自分のしたことの恐ろしさに涙が止まらなかった。100錠全て飲んでしまった。
体に何が起きるかは事前の下調べでよく理解していた。
インターフォンと同時に鳴り続けた電話の音が止み、諦めて帰ってしまったらどうしようと怖くなって電話を折り返した。
もう手足が震えて立てなかった。涙だけが溢れて声にならなかった。過呼吸にもなっていた。殺してくれなかったあの人の顔が脳裏によぎった。
普段は思い出そうとしても断片的にしか思い出せなかったのに、何故かこの時は全体像がはっきり浮かんだ。
笑った顔も、柔らかくてよく通る声も、ゆるっとした服も、清潔な匂いも、二人の時だけ見せる切なくて苦しそうな顔も、全部全部フラッシュバックした。
走馬灯があの人一人だなんて、ひどい話だと思ったけれど、結局私の人生はその人で埋め尽くされていたのだ。死んでしまいたいとおもえるほど。

電話しながらもオートロックを開けることはできず、意識が朦朧としていた。
薬のせいではなく、精神的なものだったと思う。

どうやったのか、強行突破は一瞬だった。いつ呼んだのか分からなかったが、救急隊と警察も入ってくる声がした。
友人がきてから時間があったのか、ほぼ同時だったのかはもう分からない。
全てが夢の中の出来事のようだった。

頭の中で、来るのが早いよ、と文句を言いたかった。
ここまでの流れは計画通りだったのに、これじゃあ死ねない。
少しでも処置が遅れてくれ、死なせてくれ、そしたらもう、悩まなくていいんだから、頼むよ、お願い。でもきっと助かってしまうと頭の隅で確信した。

完全には途切れず、とはいえはっきりしない意識の中で、さおちゃんは絶対死なないで、と何度も言ったずるい人の言葉が耳の中で聞こえた。
私のお願いは何にも叶えてくれないのに、あまりにも卑怯だ。怒りたかったのに、それを言う相手はここにはこない。

ここにいるのは、たった一人の死にたい人間と、それを死なせまいと手を尽くす沢山の人間だった。
多数決でも、もう絶対死ねないのが分かってしまった。ゲームオーバーだ。

到着した救急病院で、助かっちゃうんですか、と涙を流す私に、「泣くなよ」と、ERの医師がちょっとだけ笑いながら言った。
なんだかドラマみたいだ、とぼんやりした頭で思いながら、敗北者の私は黙って目を閉じた。

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