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俳句一年経ちました☆俳句初心者の視点④

俳句を始めて9月でちょうど一年になりました♪

とは言え、意外と感慨深くないのです(笑)。
始めに読んだ入門書の一ページ目に
「一生続ける覚悟で!」とまず書かれていたので、単純な私はふむふむ、これは長い長い道のりになりそうだ!と思いました。

なのでまだまだスタート地点から一歩目。

分厚い歳時記を見ていても、季節・季語もまだ一周しかしていないんだなぁと感じます(笑)。



まず最初のころの疑問は一年でどうなったか?

「難しい俳句は分かるようになるのか?」

これは単に私にとって難しい言葉だったということでした(笑)。
(国文科とか出ている人ならそんなに難しくないのかなぁ??私はコミュニケーション(心理学)科でした☆)

単に言葉が難しかったり、例:潦
漢字表記が難しかったり、例:剽軽
知らない場所の固有名詞だったり、
昔の言葉だったり、例:偶さか
俳句だけで使う言葉だったり・・・、
(え?読めました?!例は「にわたずみ」「ひょうきん」「たまさか」でした♪)
何となく分かるかな・・・というようなものについても、たった17音なので曖昧には出来ません(笑)。
とにかく読もうと思ったら、一つ一つ調べます。

しかし!
ということは、10年もすればだいたいの難しい俳句も分かるようになるはずだと思っています(笑)。

逆に「平明な言葉」を使うようにしている
俳人の方もいる、ということも知りました。

そしてしばらくすると、もう一つ「難しい俳句」があることにも気がつきました。

それは「詩情に富んだ俳句」

「ほほう」とおもう俳句もあれば「???」という俳句も。

そして初心者がこれに手を出すと(笑)、決まって夏井いつき先生が言われるのが、「映像を描写する練習をみっちりと積み重ねること」
つまりは、まずは土台がないと詩情も生まれないのかなぁ??

「詩情に富んだ俳句は才能がなくても作ることが出来るのか?」
今の私には想像がつかないので、これは二年目以降の課題です。

□□

また、最初に学んだ句

遠山とおやまあたりたる枯野かれのかな 高浜たかはま 虚子きょし

ん?

え?それだけ?
これは虚子大先生が言ったからすごいのかな?
他の人だったらどうだっただろう?
一番初めに言ったもの勝ちの世界なのかな??

???

それが勉強しているとだんだん、
ある意味「初めに言ったもの勝ち」(笑)でもあることに気がつきます。
普通の人が気にもしないようなものに目を止めて、掬い取ること。
「発見すること」

そしてこの句、半年くらい過ぎてようやく「リズム」が良いことに気がつきました。

読み上げた時のリズムが、遠山から枯野まで連れてきてくれるような気がするのです。
それからこの句には、俳句特有の構造と切れがあります。

17音の詩として何を優先すべきかということなのかなと。

こういう部分が、やはり俳句の知識がないと読み取れない部分だなぁと思いました。
とはいえ、解釈(鑑賞)は自由!
しかしここでも文語であったり、「や・かな」などの切れ字の知識がないと鑑賞も難しい世界だなぁと思います。

俳句未経験者が一読「ややや!これは!」と思えるのはすごいことだと思います。

たとえば学生時代に授業でビビビなんて、これはもう相当です!
こういう方はもれなく創作に向かったはずです(笑)。

最近は口語、そして新仮名づかいの俳句も多いので、自分の好みに合えば楽しめるかなと。

私は普段は文語・旧仮名づかいを使いますが、
俳句を知らない方にも見てもらえる企画の時には、できるだけ口語、かつ、分かり易く、和んでもらえるようなものを作句しています。
俳句で表現できるものって幅広いんだなぁと思います。

そして「文語」ですが、難しいのですが文法を本で調べるのが楽しい。
作句しているときに何となくひっかかるものは必ず調べます。
なかなか覚えられませんが、違和感だけは感覚で分かるので。
最近は紫乃さんに教えていただいた「新旧かなづかい辞典」も活用しています♪
ちなみにベリーダンスの振付も、頭では覚えられないのでまずは体の感覚で覚えるタイプです(笑)。

また、一年を経て感じた事は、
意外にも自然は「暦通り」だなということ。

近ごろはあまり季節を感じられなくなってきたなぁと思っていましたが、人間が「寒い寒い」と言っていても、立春になると道端にまさに春の草花が咲き始めていることに気がつきました。
そして「暑い暑い」と言っていても、やはり暦通りのえのころ草(ねこじゃらし)が生えていたり、虫の声がしてきたり、早朝のにおいや空。

そうするともう、見える世界が一年前とは全然違ってくるのです。

朝顔は秋の季語と分かった途端に、
秋に見る方が綺麗だなぁ!と思ったり(笑)。

ただ毎年玄関にやって来ていたアマガエルが、
今年は初めて来ませんでした。
この町に来た時、夏の夜は窓を閉めていてもカエルの大合唱が聴こえていました。10年のうちに一つ、また一つと近くの田んぼが消えていき、
たぶん、今はもう一つも残っていないと思う。

昔に比べて暑くなったのは確か。
だけれどそれは地球上の問題であって、たとえば月は変わらないわけで、この宇宙で地球だけで存在しているわけではなくて、宇宙の星々が影響し合っているのだから、自然が暦通りというのも、当然なのかもしれないなと・・・。え?ちょっと何言ってるか分からない??(笑)

つまり自然はたくましく、ちょっとやそっとじゃ変わらない。
ただし人間が完全に変えてしまったところからはいなくなってしまう。

空はいつまでも青いだろうか。

□□

そして「季語」
色々あるのですが、お天気や花や動物だけでなく「現象」も季語になっていて、幼い頃の記憶、あの感じ、あれ季語だったんだ!ということがよくあります。

私は小高い丘を下り、線路を越え、川を渡り、田んぼ道を抜けて小学校に通っていたのですが、その最初の丘から下る坂道が、崖のような感じになっていて、いつも崖肌の粘土質から湧き出る水がありました。もちろん子供たちは通るたびにその水を触ったり、笹の葉で水の道を作ったりと親しまれてきました。
この水のこと、夏の季語で「したたり」というと知って驚きました。
こういう一つ一つの発見が楽しいです。

□□□

俳句を長く続けるためには鑑賞力をつけることが必須だということも分かりました。
すなわち想像力
これを話し出すとまた長いので端折ります(笑)。

そしてしみじみ俳句を始めて良かったと思うのは、消えてゆく風景を一つずつ掬い上げて残せること。

過去の自分になのか、もういなくなった人たちになのか、
「ちゃんと覚えてるよ」
と声をかけてあげるような感覚。

そこでの季語がとても大きな役割を果たしていること。
いつも作句する時に季語の「本意」を大切にしていますが、こういう時の句は、ただこういうこと・ものがあったという、
ごくごく「単純なキーワード」。

誰にでも一つはその季節がくるたびに「これを見るとあの時を思い出す」というものがあるんじゃないかな。

□□□□□

始めに一年経ったことについては「あまり感慨深くない」といいましたが、
「俳句と出会えたこと」これは本当に感慨深いです。

紫乃さんのnote記事から始まったこと。
紫乃さんにはその後から今も本当に語りつくせないほどお世話になっていて、ここでは書ききれません!!
そしてその紫乃さんとは、ピリカさんのピリカグランプリからのご縁だった記憶です。そのピリカさんと出会えたのはMarmaladeさんのお友達だったからで、すべてはnoteでの長い長い繋がり。
すべての繋がりに感謝!

もちろん家族にも感謝しています♪
仲秋の名月、我が家では家族全員で眺めました。
名月で一句詠む余裕もありませんでしたが(笑)、そんな思い出もいつかは句になるかもしれません♪

長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました!

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