見出し画像

たまには真面目な事を書こう、って奴ほど真面目じゃない気がする。その2。

はい、続きですね。

そんなこんなで、転職をした僕ですが、同時期に友人数名も転職を図り、1名は起業しました。
転職をした友人のうちの1人は、人材業界へ。
企業をした友人は、地域スポーツに関わる教育・指導者斡旋の事業を始めました。

休日には、月に2、3回集まる程の、仲の良い腐れ縁の様な我ら3人ですが、こうもこぞって教育分野に携わるとは思っていませんでした。

いつもの如く、昼間から飲み歩き、はしご酒をするというのがいつもの我々のルーティンでしたが、それだけ会っていると真面目な話もするもんなんですよね。

各々が思う、教育や指導、研修の在り方について語るわけです。
そこで、僕は思ったわけです。

「教育なんて、そもそも無形のサービスなんだから、正解なんてなくね?」

当たり前ですよね?
しかし、どんな界隈でも過去にお偉い方が作ってきた、「常識」「通例」「正解」等に無理やり当てはめて、成績をつけ評価をするわけです。

それも、もちろん大事なことだと思います。
しかし、それだけではマズいと思ったわけです。

もちろん、「教育」「指導」「研修」などは、
その道に精通している極めて博識な方々がおこなうものです。
僕が詳しくない分野に関しては、もちろん「教育・指導」なんて出来やしません。


重要なのは、その「教える」という行為そのものや、その内容に関して、

・常に研鑽を重ねているものなのか
・絶対に間違っていないという誤解を持っていないか
・受け手にどのくらい伝わっているのか
・その行為がどれほど多くの人に理解をされるのか
etc…

を、常に考え続け、様々な人と協議し続け、「教える」という行為の質をより高めていくことだと考えます。

だから、僕は「教育」というものは、
・日々(時間、時代で)変わっていくもの
・人(教え手、学び手)によって変わるもの
・言葉(バーバルなど)によって変わるもの
・伝え方(手段)によって変わるもの
だと、認識するようにしています。

従って、
結果として成績や評価を伴う、「教育」と
プロセスをより精巧なものにしていく「教育」とでは、やり方も考え方も、必ず異なります。
それぞれに、betterな方法があるはずです。

その方法を、僕は、
一緒に考えていきたい。
生み出していきたい。
新しく知り得たい。
社会に残していきたい。
と、考えたというわけです。


僕は、正解なんて本当に知りませんし、わかりません。
過去に学んだことも、just nowで蓄えている知識も、あくまで参考の一つです。

それぞれの、
・分野
・ステージ
・職種
・学校
・スポーツ
etc…
に見合った、「教育」「指導」を追求していきたい。
僕の根本はそう考えるだけです。

何も偉そうに、教えたいなんて、かけらも思っていません。
僕も、まだまだ学びたい。大きくなりたい。
ただ、「それを一緒に考え、やり遂げていく」そんな仕事がしたいと思います。

「教育コンサルタント」
胡散臭いですが、大真面目に仕事します。
ご相談あれば何なりと…。

たまには真面目な話をしようという奴ほど、真面目じゃないけど、たまにはいいかもね。
今度からまたふざけます。

さぼを。でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?