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実写版『ゴールデンカムイ』が成功を収めた理由と今後の実写映画に期待すること

実写版映画『ゴールデンカムイ』が公開された。

昨今の漫画原作の実写映画は出来が良いので私は期待の感情を持ちながらずっと待っていた。そして、その期待を大きく超えて面白かった。今のところ世間のウケも大変良い。大ウケ。大絶賛。そんな言葉が似合うだろう。私ももちろん大絶賛だ。

ただ、実写版『ゴールデンカムイ』の大成功はスタッフが原作再現に粉骨砕身したから…ではないことは強調しておきたい。もちろん原作再現に粉骨砕身していたのは明らかなのだが、それこそが成功の第一要因と思われ、「今後も原作再現を第一に考えて傑作を作れ!」などという声が高まるのはよろしくない、という話だ。というのは、キービジュアルが公開されると、何の根拠があるのかキャラクターの再現度鑑定に自信満々の人間が現れ、「再現度が高い/低いから、この作品は良い/悪い」「コスプレにしか見えないからダメ」などとジャッジする様をよく見るからだ。この風潮を促進させないためにも、「原作再現が第一」という視点よりストーリーに注目した評価を推していきたい。

とはいえ、今回はストーリーも大好評のようでうれしい。その一方で、ほとんど原作再現にしか目が向かない人間も多数いるようで、そうじゃないだろうという気持ちも強く湧いてくる。

では何が最も大きな要因かというと、私はそもそも『ゴールデンカムイ』という作品が実写向きの漫画であったからではないかと考えている。なぜなら、原作のシーンをほとんどそのまま使ったにも関わらず、映画全体に緩急がついていて、心地よい鑑賞体験ができたからだ。もちろん要所要所からスタッフの努力や英断がはっきりと感じられもしたが、まずは良質な題材に恵まれたことが傑作を生みだす土壌となったのだと主張したい。原作の良さとスタッフの努力と、それぞれを分けて述べていこう。

また、オタクを名乗る浅薄な存在と、「それに群がる気持ち悪い生き物たち」について苦言を呈しておきたい。



『ゴールデンカムイ』という作品は、アイヌの隠された金塊を見つける旅を描いた漫画である。金塊探しの旅をするメインプレイヤーは三つの陣営に分かれており、主人公である杉本陣営と、鶴見中尉率いる日本陸軍第七師団に、土方歳三一派それぞれのパートが並行して進められる。どの陣営も旅の道中にヤバイやつらとの緊迫感溢れるバトルを繰り広げるのだが、その合間に比較的緩めな小エピソードを挟む。特に杉本たちの狩猟や食事からアイヌ文化に触れるエピソードは非常に強い人気がある。私も好きだ。

三つの陣営を並列して描き、しかもメインである主人公の陣営はバトルの合間に狩りをしたり食事を作って食べたりする。この構成が非常に実写映画向きだったのである。

まず、漫画原作の実写映画がつまらなくなる要因のひとつに、原作シーンの再現に注力しすぎるというものがある。名シーンを優先したくなる気持ちはわかるのだが、そのせいで話の流れが悪く見えたり、キャラクターの深みが出なかったり、終盤で急に重い発言をしたり、パッチワークに見えるケースさえある。たとえば、2012年公開の『るろうに剣心』、2014年公開の『暗殺教室』、2017年の『鋼の錬金術師』あたりがそうだ。最近も2023年Netflix配信の実写ドラマ『幽遊白書』で、「このシーンを再現したかったのはわかるけどやけに急いてるな~」と思ったものだ。

連載漫画には一話ごとに必ず区切りが生じるため、仕切り直して悪くなった流れを整えたり新しい雰囲気で描きなおすことができる。あるいはページをめくって大ゴマが出てくるだけでも仕切りなおしが可能だ。テレビアニメも一話一話で区切りが生じるし、一話の中でもABCパートに分けることもある。区切りによって諸々の認識がリセットされることで、新しいストーリー展開や新キャラ登場にも違和感を覚えることなく読み進めることができるのだ。

一方で、ひと続きの映画で複数のエピソードを扱う場合、各エピソード終了の際に区切りを設けるか、次のエピソードの導入を進めながら現在のエピソードを軟着陸させて区切りなく進めるかのどちらかを選ぶ必要がある。もっとも、エピソードが映画の中でひとつしかなければ区切りを考える必要もないのだが、単行本一冊で完結する短編ならばともかく、エピソードがひとつしかない連載漫画など存在するはずもない。

では、本作『ゴールデンカムイ』はというと、区切りを設けながら進めるスタイルだったように思う。いや「区切りを設ける」というか、三つの陣営を並行して描く都合、勝手に「区切りが設けられてしまう」のだ。露悪的な表現をすれば、エピソードがほかの陣営に切り替わると、その最中に観客はほかの陣営のエピソードを忘れて勝手に区切りをつけてしまうのだ。とはいえ、平等に三陣営を描写するわけではなく、やはり主人公である杉本陣営に多くの時間を割く必要がある。しかしそれも原作が張り詰めたバトルパートと穏やかなアイヌ文化パートに分かれているため、勝手に区切りが設けられるばかりか、映画館で楽しむために必要な緩急まで生まれるのである。

そしてもうひとつ。漫画の実写化で最も重要な「どこまでをひとつの映画に入れ込むか?」という点にも『ゴールデンカムイ』ならではの利点があった。映画を鑑賞した人間ならばご存じの通り、映画のクライマックスシーンは原作のいちエピソードを大胆に広げたものだった。私のような凡庸な頭では映画のクライマックスにふさわしいエピソードは網走監獄か五稜郭、汽車くらいしか思いつかない。しかし、映画スタッフはいちエピソードを大改変し、敵陣営との激闘を描きながら、別れと再会、タッグ結成(白石もいるけど)をテーマに映画を見事に締めくくった。称賛してもしたりないほど、私は感激した。

なぜあのエピソードをクライマックスに持ってこようと思ったのか? 原作のエピソードを順番にやりたかったからだろう。本作では主要三陣営を紹介し、さらに杉本とアシリパのタッグ結成を描いた。エンドロールで仄めかされた通り、次回作ではキロランケやインカラマッ、そして囚人たちが登場し、本格的な金塊争奪戦とのっぺらぼうの謎を描いていくのだろう。今からもう待ちきれない。本当に映画で辺見和夫を出すことができるのかッ!

と、いう欲張りな気持ちを抑え、スタッフは原作のエピソードを順番に作り、先取りも多少あったが原作二巻程度を実写化するに留めた。なぜ欲張りな気持ちを抑えることができたのか。次回作前提で作ったからだ。つまり、少なくとも本作で製作費を回収でき、次回作につながるほどの売り上げを確保する自信があったということになる。漫画のビッグタイトルの実写映画はすでに十分すぎるほどに市民権を得て、人気を博しているのだ。だから何億も動く映画製作で次回作前提の作品を作る度胸が生まれた、と私は考えた。

…というと、2017年公開の『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』も次回作前提で作っていたが…まあ、2017年は時期尚早だったように思う。私もそのころはまだ実写化に批判的だったし。2019年の『キングダム』がやはり転換点か。

それはともかく。

漫画原作の実写映画が人気というのは、私がほらを吹いているわけではなく、興行収入を見ても明らかである。ここ数年の邦画の興行収入トップは常にアニメ映画だということはご存じだろうが、実写邦画に限っても2019年から四年間、漫画原作の実写映画がトップなのだ。下の表はここ10年の国内の全映画、邦画、実写邦画で興行収入一位をまとめたもので、黄色の列に実写邦画に限定した場合の興行収入一位を記載してある。

過去10年間の興行収入一位の映画リスト。
左から、国内全体一位、邦画一位、実写邦画一位。
邦画のみ興行収入を付記した。

「ほかの映画が人気がなさすぎるから実写邦画枠で漫画原作が一位になれるのだ」と思うだろうか。確かに、2014年の『永遠の0』や2015年の『シン・ゴジラ』、2018年の『劇場版コードブルー』の興行収入を見ると漫画実写化と比べて頭ひとつは抜けている。しかし映画業界では、興行収入10億円が成功と呼べる最低ライン、30億を超えると大ヒットと呼ばれ、『キングダム』シリーズは常に50億以上稼ぎ、『東京リベンジャーズ』も45億という数字をたたき出している。はっきりと、声を大にして言いたい。漫画の実写映画は大人気なのである。

もちろん漫画原作実写映画=人気というわけではない。面白かろうと結局話題にならず、存在を知らなければ劇場には足を運ばないのが人間というものだ。『カメラを止めるな』しかり『RRR』しかり。テレビドラマの映画化が興行収入で強いのは話題になりやすいからというのもある。そう考えると、『ゴールデンカムイ』の実写化は、最近完結したばかりの大人気漫画が、大人気である実写映画として作られた、という話題性を持つために大ヒットしたともいえる。この事実をスタッフが想定できなかったわけもない。きっとテレビでも何度も宣伝したのだろう。

以上をまとめると、そもそも『ゴールデンカムイ』には実写化に適した素質があった。それは、複数陣営のエピソードを並行して描くために区切りが設けられやすい点と、人気漫画の実写化は市民権を得ており楽しみにする人間が多くいる点だ。と言える。



私は漫画の映画化には理解・分解・再構築が必要であると考えている。実写版『鋼の錬金術師』と『シン・ウルトラマン』を比較して考えたことだが。原作の名シーンを切って貼って並べるだけではストーリーの流れがガタガタなパッチワークになるのは上述の通りで、それを避けるためにも、原作をしっかり読み込んで(理解)、必要な分だけ切り取り(分解)、なめらかにつなげる(再構築)必要がある。

しかし、『ゴールデンカムイ』は理解の高さこそ常に画面からあふれ出ていたものの、ストーリー全体には細かい分解・再構築は見られなかった。特定のシーンを切り貼りしたと言ってもいいくらいである。それでも面白くなるのも上述の通りだが、あまりにスタッフの努力を軽視しているような書き方になってしまったので、原作を分解・再構築した部分、つまり原作から改変された部分について触れたい

まず、クライマックスにあのエピソードを持ってきた英断にはすでに触れたが、もう少し絶賛しておきたい。ひとつは原作になかったアクションシーンの追加。原作の序盤はモブキャラもいいところだった月島軍曹や二階堂が雪ぞりの上で杉本と戦うシーンは、質実剛健な月島軍曹と人間離れした気持ち悪さを前面に出す二階堂の対比も素晴らしく、杉本とアシリパの再会を描いたドラマにもつながっており、大変満足した。また、そのあとに杉本が金塊を求める理由を語るが、その梅ちゃん周りのドラマは見事に分解・再構築されていたし、最後に持ってくることで、別れと再会をテーマにクライマックスを描き、主人公の行動原理を示して大団円という理想的な構成になっていたと思う。まるで読み切り漫画のような清々しさを感じた。やはり褒めても褒めたりない。

ほかにも褒めたい点、好きな点はある。パンフレットによれば、主要俳優陣は大体がゴールデンカムイのファンであり、特に白石役の矢本悠馬さんや尾形役の真栄田郷敦さんなどは「自分が好きなキャラクターを演じることになった!」と熱心に役作りに励んだと語っている。私が最も驚き笑ったのは、ほとんど全員が体作りを重視し、主演の山崎賢人さんに至っては筋肉の増量で10kgも体重が増えたという点だ。

さてここで、気は進まないが原作の再現度やコスプレがどうのという声にも触れておこう。俳優はともかく美術スタッフがどのように原作再現を試みたのか。パンフレットには衣装デザイン、ヘアメイクデザイン、VFXスーパーバイザー、特殊造形、美術のコメントが載っており、各キャラクターの衣装やメイク、アイヌ文化のセットや小道具に関するコンセプトの詳細な記載がある。

うち、ヘアメイクデザインの酒井啓介さんはコスプレという単語を使って以下のようにコメントしている。

今回は役者さんの肌の質感を変えることをテーマにしています。スクリーンで見た時に。観客にいかに生っぽさを伝えられるか。…
漫画原作を映画化するときに、アイラインやアイシャドウだけだとコスプレになるけれど、その上にざらざらした質感でフィルターをかけると肌になじんで現実になる。

映画『ゴールデンカムイ』パンフレットより

つまり、少なくともヘアメイクデザインの酒井さんは、「コスプレ感」を「生っぽさ」や「現実」の不在と解釈している。言葉を変えて、「映画の雰囲気にそぐわない化粧バリバリの人間がいたら不自然に感じる」という感覚だと解釈してもよいだろう。

残念ながら衣装デザインが「コスプレ感」をどう解釈し、どうやって「コスプレ」脱却をねらったのかはコメントがなかったが、担当の宮本まさ江さんはとにかく原作再現と史実通りを目標に衣装を仕上げたそうだ。これは余談だが、原作再現にやると史実通りになったというコメントもあり、原作の野田先生のこだわりが見て取れる。

脚本も美術も、そしてもちろん俳優たちもみんな熱心にやっている。そして面白かった。漫画のファンとして、映画を鑑賞した客として、こんなにうれしいことがあるだろうか。私はそういう気持ちで一杯である。



実写版『ゴールデンカムイ』を受けて今後の映画界に期待すること…それはあらゆるジャンルの最高峰が集う最強コンテンツである漫画の実写化を通して、実写映画の画づくりがこれまで以上にブラッシュアップされることだ。

令和6年の今、日本の最強面白コンテンツは漫画である。漫画には、ファンタジーやスポーツ、バトルに恋愛はもちろん、文学や歴史などどちらかといえば小説や映画が得意としていた分野でも大ヒットが多数生まれている。本作『ゴールデンカムイ』は、逆に漫画が得意としていた分野…バトルにコメディ、濃すぎるキャラクターの群像劇を映画に輸入した作品と言える。

私はここに、実写映画が大発展する可能性を見ている。漫画という、あらゆうるジャンルの最高峰が集うコンテンツを実写化することで、これまでの実写映画の枠をぶち壊し、あの大きなスクリーンに極上の画が現れることを期待している。新しい映画を撮るために映画だけ参考にしては既存の演出から離れて大きく羽ばたくことは難しい。また、実写化不能という評価であっても、小説を画に起こすことよりも、すでに絵である漫画を映画という画に起こしなおす方がよっぽど頭を使って技術を総動員する必要があるのだと思う。

それを『ゴールデンカムイ』ではやってのけた。漫画の実写化。翻訳されて原作キャラクターがナンカチガウ感じになるのではなく、原作キャラクターをそのまま映画に映し出す、いわば直訳の実写化をやってのけたのだ



一方、実写化の報道があったその時点から、血気盛んに非難の声を挙げ、公開後の今でさえもぼそぼそと文句を言い続けている存在がいる。オタクを自称する人間と、「それに群がる気持ち悪い生き物たち」である。

できるだけ穏当な表現に努めるが、不快な表現が混じっているかもしれないので、苦手な方はここで読むのをやめていただきたい。しかし昨今のオタクの実写映画に対する批判にうんざりしているのであれば、ぜひ読んでいただきたい。


漫画原作の実写映画の制作が発表されるたびに「誰が望んでるんだよ」「誰得」といった言葉がささやかれるが、興行収入が示す通り、望んでいるのは観客である。観客は漫画という日本の最強コンテンツが実写映画になることを望んでいるのである。そこまで言うと言いすぎになるが、少なくとも「楽しみにしている」「面白いと感じている」くらいは言っても良いだろう。

一方のオタクたちだが、ざっと見た感じでは口汚くののしっていたオタクほど興味を失っており、今は『推しの子』の実写化や放送済の実写ドラマ『セクシー田中さん』のあれこれで噴気を上げているらしい。ただ、「細すぎない?」くらいの懸念を示していたオタクは観て褒めている印象を受ける。

一応言っておくが、「結局観ないで批判かよ」などと指摘したいのではない。面白くないと確信した作品を観ないのはごく普通の態度ではある。「原作再現度も低いしキャストもコレジャナイ感あるけど、観てから文句言うか」などという態度は異常者のそれとしか言いようがなく、「だから観ない。観ないで叩く」という態度の方が「一般的」、マジョリティの仕草なのだ。つまり彼らはオタクを自称している一般人。面白さと自分たちが不快にならないことが担保されなければ一歩も踏み出せないごく普通の一般人。特定ジャンルの作品の粗を探して嫌いな理由ばかり探すのはオタクを自称する一般人に任せておいて、私たちは個々の作品を楽しんでいこうではないか。

さて、オタクを自称する一般人、長いのでやはりオタクと呼ぶが、彼らの言動を見ていくと、たとえば以下のtogetterまとめでは、『ゴールデンカムイ』のPVを見てコスプレだと言っている。その理由を「新品」「汚れていない」などと盛んに言い合っているが、それ以上のことは言っていない。

反射的にミーム・語録を言い合っているだけ、というのが率直な感想だ。「タフ」と聞いてすぐに「しゃあっ」「なにっ」と返すのと全く変わらず、敷居の低い内輪ネタでしかない。ほかにも「そもそも杉本はごく普通の格好(ノーカラーシャツの上に着物、コート、マフラー)してるのに何がコスプレなの?」とツッコめるのだが、にも関わらず、彼らは審美眼をもって適切に作品を評価できていると思っている点が忌々しい。しかも語録を使うと一体感が生まれ、絆が深まるのだ。実写映画をこき下ろすことで生じる一体感はさぞかし気持ちが良いのだろう。

また、実写版『ゴールデンカムイ』の主なtogetterまとめの閲覧数を比較すると、公開前、しかもビジュアル公開時点(2023年8月30日)にこき下ろすものほど閲覧数が多く、劇場公開時(2024年1月19日)の肯定的なまとめのほぼ倍の閲覧数をたたき出している。

  1. 2023年8月30日作成 閲覧数152,449 賛否両論
    映画「ゴールデンカムイ」公開日とキャスト発表!ビジュアルへの反応「鶴見中尉ですべてを黙らせに来てる」

  2. 2023年8月30日作成 閲覧数 53,685 肯定的
    映画『ゴールデンカムイ』の牛山、鶴見中尉、土方のビジュアルが本人過ぎてヤバい

  3. 2023年8月31日作成 閲覧数 175,103 否定的
    『ゴールデンカムイ』もそうだが実写版に違和感を覚えるのは「衣装がキレイすぎる」「コントラスト上げがち」などが原因かも

  4. 2023年12月1日作成 閲覧数 103,331 否定的
    実写版『ゴールデンカムイ』の新予告が公開されるもまた「服が新品すぎる」との声が挙がる→衣装の汚しはしないのかできないのか?

  5. 2023年1月20日作成 閲覧数 96,995 肯定的
    「漫画原作の映画を作る際はこれを手本にするべき」実写版『ゴールデンカムイ』の再現度が高すぎるらしく観た人の感想がほとんど大絶賛だった

  6. 2023年1月24日作成 閲覧数 47,875 肯定的
    「エンドロールで立つな!」「脚本の神改変」など、完成度の高さから大好評の実写版 #ゴールデンカムイ ネタバレ感想まとめ

まだ公開されて日がないから閲覧数の比較は無意味という批判もあるだろうが、ランキングから漏れたtogetterまとめがその後大きく閲覧数を伸ばすことは滅多にない。ゆえに、まとめ5の閲覧数は2024年1月27日時点で96,995だが、伸びてもせいぜい100,000といったところだろう。まとめ3の175,103に追いつくとは思えない。

閲覧数の差は興味の差であるから、ビジュアル解禁時には批判的に盛り上がり、いざ本編が劇場公開されたら興味を失う態度が見て取れる。ただ、閲覧数=まとめ内容に同調的な人間の数ではないし、批判的なオタクは肯定的なまとめを見に行かないというケースもあるだろう。とはいえ間違いなく言えることは、実写映画公開前には批判で燃やそうとし、公開されたら興味をなくすネットユーザーが多いということだ。

中には『ゴールデンカムイ』実写化の報道があったその日(2022年4月19日)にいそいそと冷や水をぶっかけようとするツイートも見られた。閲覧数は40,341と否定的なまとめにしては少なめだが、公開された今振り返れば映画スタッフを侮辱するにも等しい内容だと思う。

ゴールデンカムイ実写化、最悪の展開は下ネタが禁止になる事でも死刑囚枠にムロツヨシや坂上忍が出てくることでも無くて「アイヌの文化を雑に扱って大炎上」ルートだよ。
(ゴールデンカムイの一番凄い所は変態博覧会でも緻密な構成でもなくてアイヌ文化への調査とリスペクトなので)

https://twitter.com/DAIGATANA/status/1516162416668966912

なぜこのような考えに至ったのかまるでわからないが、想像するにテレビスタッフが貴重なものを借りては返さないor状態を悪くして返すという体験談から連想し、「実写界隈は他人が大事にしているものをリスペクトしない」と考えているのではないだろうか。一方のオタクたちが普段からものをリスペクトしているのかというと…彼らの好みの妄想に沿ったストーリーや彼らの好きな人間が彼らにとって好ましい言動をしているという伝聞をオタク構文でツイートするというのが普段見られる生態であって、他人へのリスペクトが存在しているかは疑わしい。そもそもオタクだって様々な人間が携わって大事にしている映画を漫画の実写化というだけで貶しているのだが。

ただ、少し上でも述べた通り、最近は「漫画やアニメが好きなだけの一般人がオタクのふりをしたくて実写映画を叩いているのではないか」と考えている。

傍証はいくつかあり、たとえば、同日2024年1月17日に公開した漫画の実写映画『カラオケ行こ!』はあまり注目を受けていないようである。実写版『カラオケ行こ!』のtogetterまとめは四本あり、そのうち2024年1月17日作成まとめの閲覧数が26,973と最も多いが、上掲した『ゴールデンカムイ』のまとめの最も少ない閲覧数47,875よりもさらに少ない。『カラオケ行こ!』も面白かったのだが。

しかし、この指摘に対しては作風の違いで反論できる。つまり、『カラオケ行こ!』は現代劇だから再現も容易いが、『ゴールデンカムイ』はそうではないから再現するとコスプレになりやすく、ゆえに批判対象になる。その差異が注目度につながる、という理屈である。であれば、『推しの子』などは現代劇だし、何なら現代の芸能界の闇を描いている作品らしいので、実写化にうってつけだと思うのだが、オタクの態度を見ているとどうもそうではなさそうだ。

『ゴールデンカムイ』と『推しの子』の共通点とオタクの態度から考えるに、「ネットで人気のある作品を実写化すると批判を始める」と言う表現がある程度適切ではないだろうか。ここに「実写界隈は他人が大事にしているものをリスペクトしない」という仮説を混ぜ込むと、「ネットで人気のある作品を実写化すると、自分たちが大事にしているものを棄損された気がして批判を始める」という表現がしっくりくる。いくつかの仮説を敷いて導いた結論ではあるが、おおむねあっているのではないだろうか。昨今いたるところで見る「被害者文化」にもよく合致しているし、彼らの仇敵であるフェミニストもこの精神性でインターネット放火を繰り返していたため、なじみがあるのだろう。

一方でオタクが好きな漫画やアニメは、すでにオタクだけのものではなく、老若男女問わず好まれている。『推しの子』のアニメなどは小学生に人気だそうだ。となれば、漫画やアニメが好きなだけでオタクを名乗らせておくのはおかしいというものだ。さらに、上述の「ネットで人気のある作品の実写化しか気にしない」という点からもミーハーな態度が伺える。ミーハーオタクというのは語義矛盾に感じられるので、単なるミーハーとした方が収まりが良い。したがって、漫画やアニメが好きなだけの一般人、という属性が見いだせるのである。

「何かに詳しく一家言持っている」存在としてオタクを羨望し、ゆえにオタクが使っている語録さえ抑えていればオタクになれると勘違いしてしまい、それらを鳴き声としてオタクに近づこうとする、漫画やアニメが好きなだけの不気味な一般人。それが実写化と聞くやすぐに批判を始める人種の真実だと思う。


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