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【心理学】第63弾 ジクムント・フロイト 「夢判断」



皆さんこんにちは( ̄▽ ̄)ノシ


本日もよろしくお願いいたします。
さび抜きでございます!


今日はおやすみでして、一日ゆっくりと
このブログと向き合えそうです(*´∇`*)ヤッタネ


さてさて今回は
心理学界隈では物凄く有名なかた
この人の名前を知らない人は
もはやいないでしょう( ̄▽ ̄)


ジクムント・フロイトさんについて
お勉強していきたいと思います。



それではスタート⊂((・x・))⊃



⭐︎⭐︎⭐︎


またプロフィールを
ででん、と書いていくよᕦ(ò_óˇ)ᕤ

【ジクムント・フロイト】

1856年、モラヴィア地方のフライベルク(現在はチェコ共和国のブリボル市)で生まれ、ジギスムント・フロイトと名付けられる(後にジクムント・フロイトと改名)父ヤコブと西ウクライナ出身の母アマリエの間にできた初めての子どもだった(フロイトは5人兄弟の長男)1859年一家はライプツウィヒに引っ越すが、その翌年ウィーンに移住。早くからフロイトの聡明さに気づいていた両親は、ラテン語とギリシャ語を学ばせ、専用の勉強部屋を与える。ウィーン大学では法律を学ことになっていたが、土壇場になって方針を変え、1873年医学部に入学。
1881年に大学を卒業後、マルタ・ベルナイスと婚約し、脳解剖を専門にする医師としてウィーン総合病院に勤務。その後、パリのサンペトリエール病院に留学し、ジャン・マルタン・シャルコーに師事。1893年オーストリアの心理学者ヨーゼフ・ブロイヤーとの共同研究で「ヒステリー研究」を発表。
1896年父ヤコブが死去。その後しばらくは内面を深く省察する自己分析の日々を送りながら、「夢判断」に着手する。
1902年フロイトを信奉するユダヤ人学徒が集まり、「心理学水曜会」が始まる。ウィーン大学で精神病理学を講義。
1937年ナチス・ドイツがオーストリアを併合し精神分析を禁止したため、家族と共にロンドンに亡命。生涯葉巻をこよなく愛したフロイトは、1939年ガンで死去する。

今回もまた読みにくい文章を
長々と書いてしまったよ。(。-∀-)

フロイトさんはこの文から見ても裕福な家庭の育ちだったことがわかるなあ。_φ( ̄ー ̄ )
早くからフロイトさんは両親に聡明な子だと期待をされていたのだね。
ラテン語、ギリシャ語、なんて
どんな感じなのかもしれないけれど
とっても難しそうだそして苦しくなりそう(°▽°)

1873年に医学部に入学してそのご病院に勤めていたのだね。
心理学者さんとも共同研究をしていて、父親の死をきっかけに、あの有名な「夢判断」を研究しはじめたのだね_φ( ̄ー ̄ )ナルホドネ
アドラーさんもそうだけど身内の方がきっかけになる事が多いね(T . T)


【遅咲きであったフロイトさん】

フロイトが比較的遅くなってから本領を発揮し始めたという事実はあまり知られていない。
フロイトの名を世に知らしめた「夢判断」が初めて出版された頃には、すでに40歳半ばになっていた。しかもこの本が注目されるようになるまでに10年以上の年月が必要だった。初版は600部しか発行されず、それが全部売れるまでに8年かかっている。

あの有名な「夢判断」も出版されたときは600部だったのΣ( ̄。 ̄ノ)ノ?
注目されるようになるまで10年て(°▽°)
そのときはもうフロイトさんは50代半ばだったってことか、、
考えさせられますなあ( ̄▽ ̄)
いろんな分野に関心があって研究を行ってきていたから知識量は半端なかったのだろうけれども。


【夢の研究でのフロイトさんの発見】

①夢はごく近い過去から得た印象を好んで材料にするが、幼少期の様々な思い出も使用する
②夢が記憶から材料を選び出す方法は、覚醒時の方法とは異なる。概して、無意識の心は大きな出来事に焦点を合わせるのではなく、些細な事柄や見過ごされたものを記憶する。
③無原則で不条理なものをいう一般的な見方とは裏腹に、夢には統一の意思があり、共通点のない人間、出来事、感覚などを無造作に結び付けてひとつの「物語」にする。
④夢は必ず自分自身に関係がある。
⑤何重もの意味を表す夢もある。その場合、多くの観念がただ一つのイメージに凝縮される。さらには、観念の置き換えが起こるケースもある(馴染みのある人物が赤の他人になる、家庭の様子が一変するなど)
⑥ほとんどの場合、夢を見るのは「願望充足」のためである。つまり、心の奥にある動機や満たされぬ願望、しばしば幼児期に端を発する願望が夢になって現れる。

ほうほう_φ( ̄ー ̄ )
結構自分の夢にも思い当たるものが
沢山あるなあ(°▽°)
いきなり昔の思い出が出てきたりもするし、
ひとつの物語風になっているというのも確かにある(°▽°)
満たされぬ願望と言われると、
自分の夢を分析したくなってしまうね⊂((・x・))⊃



【まとめとして】

フロイトは人間は案外自分自身の心を掌握していないという事実を明らかにしたが、当然非難を浴びることになった。アメリカでは精神分析そのものが非科学的だと決め付けられた。フロイト派の療法は精神分析に頼り過ぎている上に標準的な方法がなく結果も立証できなかった。治療効果があったという証拠もほとんどなかった。いつの間にか大学の心理学講座の推薦図書からフロイトの名が消え、精神分析の専門医の数が次第に減少していったのである。しかし患者の気持ちを聞いてその内容を分析する「トークセラピー」を考案したのも、非合理的な無意識の心が原因で人間が苦しむこともあるという洞察を世に知らしめたのも元はと言えばフロイトなのだ。

フロイトさんの研究に標準的な方法がなく結果も立証できないという点があったから、だんだんと注目度が下がってしまったのだね。でもフロイトさんの研究は多岐に渡るから他の分野でも有名なのは変わらないんだね。知識が多い事や学ぶことに貪欲であったからこそここまで有名になったようだね( ´ ▽ ` )私も負けないように学ぶ事をこれからも続けていきたいね。


【最後に】

フロイトの遺産だと自信を持って言えるものはなんだろうか?
心理学を普通の人にとって魅力的なものにしたことだろう。われわれの自信の心の中を探る可能性を示してくれたからこそ、フロイトの説は人の心を掴んだのである。





では今日はこの辺で( ´ ▽ ` )






つづく




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