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時代はまわるのか

「大衆」という言葉が色あせて久しくなった。
マーケティングは今や「マス」から「1to1」だ。

パーソナライズされたユーザに最適な情報をネット広告として受け取ることができる。
とまあカッコいい感じだが、要はネットの閲覧履歴が記録され、その情報を元に関心が高そうな広告が日々配信されているのだ。

そんな広告に不快感を示す人が多い調査結果も出ているようだが、確かに気持ちが悪くなるほど精度が高い。

もし、自分の彼氏のスマホや会社の人のPCに、やけにヤラしい広告が表示されていたら、察してあげてほしい。

男なんてそんなもん。(by宮崎駿氏)

話しを戻すが、マーケティングに限らず、世の中の流れが「大衆」から「個人」へ移ろいでいる。急速に。

「自分らしく」「ありのままで」よく目にするようになった。

石の上にも3年、一度就職したら3年は頑張る。
なんなら定年まで勤めあげることが良し。
適齢期には結婚。そして出産、子育てに奔走するのが当たり前。

今の50代くらいは間違いなくその価値観のはずだが、今そんなことを言ったら時代遅れも甚だしいと思われるだろう。移ろいのスピードが著しい。

その代わりに「自己責任」というキーワードに触れる機会も増えた気がする。
「ご自由に、自己責任で」さらにこんな風潮が続いてゆくだろう。

そんなことを考えながらふと思った。あれ?原始時代に戻ってる?

我らの祖先はまさに自分らしく自己責任で生きていたはずだ。
誰にも守られない代わりに何のしがらみもなく、自由に、自分らしく生きていたのではないだろうか。

そういえば最近、テレビで「自給自足生活をしている一家」が取り上げられる機会が増えた気がする。
それを見て「いいなあ」と思う人も多いのだろう。私もメンタルの状態によってはそう思うかもしれない。

結局人間はないものねだりなのだ。満足する生き物ではなく、積極的に文句を言う生き物なのだ。だけれど、だからここまで進化したのだ

きっとこの風潮もお腹が一杯になったらまた集まろうとするのだろうか、どうだろう。まあそうかもしれない。

けれど人類は、原始時代当時に存在しなかったものを手に入れた。インターネットだ。

インターネットを手に入れた人類は、どんな恩恵を受けるのか。
様々あるが1つは、マイノリティの撲滅だろう。

インターネットはいつでも、どこでも、だれとでも、繋がることのできるツールだ。
しかもマスメディアのように一方通行ではなく、双方向にコミュニケーションが取れる。
「ブラジルの人聞こえますかー?」とTwitterで叫んだら、きっと「聞こえるよー」と返事が返ってくるに違いない。しないけど。

また人間が「個人」から「大衆」の道へ進んだ時、きっと以前は排除されていたマイノリティが、インターネットというテクノロジーを通して世界中から集まるだろう。
12億人いるから、マイノリティといっても日本の人口位になるのじゃないかなと本気で思う。レインボーの方々のように。

もしかすると国という概念もなくなるかもしれない。

だからきっと、時代はまわっているようで実は、ちょっと軌道をずらしているはず。

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