死ぬ間際に思い出す景色は、たぶんこれでした

先日、昔勤めていた会社の先輩から突然ラインがきて、「今から〇〇球場に会社の野球の応援に行く」と連絡があった。ちょうどその瞬間、子どもの昼寝入りのタイミングだったので、子どもを片手で抱きかかえながら、聞き覚えある球場の名前を片手で検索し、数秒で「近いので、私も行きます」と返信した。
超集中で赤ちゃんを寝かしつけ、準備をして最寄りのモノレール駅近くのパーキングに駐車して、モノレール駅の改札へ向かう。この下の道はいつも通っているけれど、モノレールに乗るのは初めてだった。不採算にあえぐ市営のモノレールは運行車両数を減らしているため、2両しかなく、休日の昼間にもかかわらず、割と大勢の乗客でにぎわっていた。降りる駅の次の駅が動物園のため、多くの家族連れで賑わっていた。
球場最寄り駅で降りた客は私と、地元の住人らしき男性のみで、改札から出ると、もうその男性は自転車に乗って反対方向へ去っていくところだった。

球場について、見渡してみると、地区予選の前半ということで、ほとんど人はいなかった。前の方の一番よく見えるエリアに所長や部長など、エラい人が集まっていて、一般応援客はそこから距離をとって座っていた。屋根は上の方の席の一部にしかなく、まだ5月だというのに、汗ばむ天気で、おそろいの紫の応援Tシャツ(長袖)はやけに暑苦しい。
その場でお世話係の人からもらったうちわを持ちながら、ふと、自分は死ぬ時、この野球場の風景を思い出すんだろうな、と思った。

兵庫の尼崎で勤務していたときに、どうしても仕事が辛くて、いよいよ身体的に不具合が出始め、休職することになった。そのことについて、本社時代のK先輩が疑問を持ったらしく、様々な人や部署に話を聞いたり、相談してくれたりしていた。しかし、肝心の元上司(尼崎に異動することを決めた張本人)から、ショートメールで金曜深夜に「明日、電話するから」と連絡があったので、土曜日は早めに起きて、部屋に待機していたけれど、待てど暮らせど電話はなく、夕方6時になってようやく連絡があった。

こんな時間はひどい。一日棒に振ったあげく、頭の整理に時間を要して夜も眠れない。まあ別に月曜はもう出社しなくてよいのだから、時間はたっぷりあるのだけれど。むしゃくしゃする気持ちのまま、急いで電車に乗り、梅田へ向かった。出張にきて、休日勤務していたK先輩の仕事が終わったタイミングと重なったので、食事をすることになった。

梅田でおりて、三番街へ向かって歩いて、高架下にある焼き鳥屋に入った。土曜の夜7時の居酒屋はかなりにぎわっていて、他の店に行くかと思っていたら、ちょうど空きが出て、カウンターの隅っこに滑り込んだ。
厨房をカタカナのコで囲むような形になっていて、忙しそうに厨房の真ん中で焼き鳥を準備して焼き続ける大将が目に入った。何かを考える気もならず、ぼんやりしていたところ、K先輩と自分の席の目の前にビールジョッキが2つおかれた。勢いよく飲み干したあと、一通り、元上司からあったさえない電話の内容をしゃべりまくったあと、沈黙して焼き鳥を食べ続けた。

周りには、サラリーマンの上司部下みたいな2人組と韓国人の若いカップルと若い男の子2人組が座っていて、話をして、焼き鳥を食べたり、ビールを飲んだりしている。韓国人カップルの若い女の子が細いタバコを取り出して、ライターで火をつける。でも、どう考えても未成年に見える。焼き鳥の煙の道とタバコの煙が交差して、換気扇に吸い込まれていくのをぼんやりとみていた。

この時、メンタルの瓦解具合もあいまって、自分が死ぬ時の最後の光景ってこういう店の隅っこに座っている状況なんじゃないか、と思った記憶がある。焼き鳥を焼く大将も、タバコを吸う韓国人の女の子も、電話越しの元上司の声も、決して交わることのない関係性。すべてが平行線に見える。

野球場へ応援しにきても、モノレールで談笑する家族も、エラい人と選手と一般席で熱心にうちわをもって応援している関係者もみんな、平行線を辿るんだ。そして私は、私の人生をすすむ。でも、ボロボロになって、休職まで追い込まれたのに、今でも結構会社好きだな、とも思った。



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