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女子学生の大早退事件について

ワールドベースボールクラシック(WBC)の決勝戦は朝8時から、といわれ、普段野球なんて全く見ない、何なら出産後テレビすらほとんど見ない生活を送っていた私の脳裏に、「さすがに見たいかも」という思いがよぎった。前日の対メキシコ戦の逆転勝利をネットニュースで知り、思わずアマゾンプライムで夜中に、なんとか当日に試合を見終わった後の挙動である。興奮冷めやらず。
決勝戦当日は子どもと同じ市内の桜を見に行くために、朝からバスに乗っていたが、心では、やはり家にいたほうがよいのではないか、という気持ちが常にあって、現地についてからラインをふと見ると、主婦仲間から、「今日は全てを投げ出して家にいる」というメッセージが2件届いていた。
観光にいったのは、市内でも珍しい、しだれ桜が見られるお寺で、平日にも関わらず、結構な人でにぎわっていた。駐車場もない、コインパーキングもないかなり辺鄙なところで、どこからこんなに人が湧いているのか。お寺の中からは法要の読経の声も聞こえてくる。
しだれ桜をぐるっと回りながら、写真撮影をしていると、私がカメラを構える以前から、椅子に座って桜を見学している老婦人3人の前にやってきた。婦人たちは目では桜を追っているのだけれど、会話はWBCに関することばかりだった。他人の寺の中に堂々と椅子を持ってきて座って、しかも話題は花見じゃなくてWBCである。体は自由に動かなくても、心はマイアミの野球にあり。法要が終わって、お堂から出てくる人たちもせわしなく靴ベラを靴に差し込んで足を靴の中で滑らせると、携帯電話でさっとニュースを確認し、急いで帰っていく。みんな法要しながら心はマイアミの野球にあり。

(もう限界や!)

バス停に急いで戻り、状況が全く分かっていない子どもの手をつなぎながら、携帯電話の画面を見る。まだ試合は始まったばかり。これなら家に帰って試合の後半は見られるはずだ、と意気揚々とバスに乗り込んだのだった。

ふと、こんなに熱中した空気に飲み込まれたことは、過去にもあったな、と思い、考えてみる。中学3年のとき、おそらくシドニーオリンピックだったか、日本時間の午後に行われるサッカーの国際試合を見るために、一部のクラスメートが画策し、放課後行うことになっている掃除を昼休みに行うことを決定し、断行した結果、担任にバレて全員でひどく怒られた、という話だ。
主導したのは、クラスのサッカー好きな女子3人ほどで、朝のホームルームの時から「今日はサッカーがあるので、掃除は昼にやりましょう!」とみんなの前で堂々と宣言し、それがかなりクラスでも影響力ある人たちだったので、誰にも反対されることなく、決定事項となり、昼に掃除は行われた。弁当の味なんて一切覚えていない。覚えていられる余裕もなかった。
そんな堂々とした正面突破戦法はあっさり担任に見つかり、帰りのホームルームで、全員まとめてこっぴどく怒られた。でも、確実に主導した3人ほどの女子は足を地面から浮かせて心は梅田の紀伊国屋のビックマン広場の巨大スケジュールの前にあっただろうし、担任も、こんなときに怒っても誰も聞いちゃいないことをわかって注意している感じだった。
結局放課後にもう一度掃除をしてから帰宅せよ、という話だったと思う。一部の女子は風の勢いで掃除して(掃除道具を触って)帰宅した。私は、当時はサッカーにそこまで興味がなかったので普通に掃除をしていた。
すると、普段ほとんど話をしたことのない、Iちゃんが近寄ってきて、「今日のこと、内部推薦に影響したらどうしよう」と暗い顔でうつむき加減になりながら話しかけてきた。なぜ私なのか。他に打ち明ける人もいなかったのか。相手がどうして私なのか、という戸惑いは一瞬で去り、彼女に何を言ってあげればいいか、を必死で考えた。でも、よくわからなかった。自分は内部推薦なんて考えていなかったし、彼女はこの集団早退未遂事件の主犯ではないので、そこまで気にすることでもないように思えたからだ。実際に評価する際に、担任がこの事件を覚えていたとも思えない。でも彼女にとっては一大事件が自分の意図しないところで発生し、加担してしまったと思っている。

「ワープしちゃいたいね」

と言った。彼女は少し間があいた後に「うん」と言った。もっとまともな言葉があったかもしれないし、適切な励ましの言葉をかけて、なんなら教室のすみずみまで一緒に掃除し尽くすことで、彼女の気持ちは晴れたかもしれない。でも結果としてその後何を話したのか覚えていないし、教室は広すぎて掃除し尽くせなかったし、彼女は推薦で無事内部進学できていた。でも、その後私は、彼女としゃべったり遊んだりすることもなかった。

今期唯一、遅ればせながらも録画で観たテレビドラマ『ブラッシュアップライフ』は主人公が何回も人生を繰り返す中で、友人と仲良くなれる回となり損ねる回があって、距離感を繰り返し調整するも、5回目でも学生時代はまだ微妙な友人関係のまま、社会人のフィナーレに突入する。そう、ドラマでも5回もやってもうまくいかないのだから、一度で友達に昇格するかも、なんて考えには無理がある。ようやく学生時代の同級生による集団早退未遂事件の熱狂とその裏にあった微妙な会話に、決着がもたらされたようだった。

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