見出し画像

スイパラで人間の孤独さを楽しんだ話

 今日スイパラの桃食べ放題行ってきたんですよ。これですこれこれ。

 びっくりしました。桃食べ放題って聞いて行ったらびっくり。切り身じゃなくて丸ごとで食べ放題。しかも割と大き目。びっくりびっくりな食べごたえで満足でした。

 あ、ちなみに一人で行きました。甘いケーキと桃が飽きるほど食べたかったので。さらにちなみに、友達誘ったんですけどご時世もご時世だったのでというわけで。

 周りの客は、友達グループ・家族連れ・カップル等々。そういえば自分の目の前にいた女性グループで一番ド派手でヤンチャそうな人が、グループのメンバーが食器を片づけている間にめちゃくちゃテーブルを綺麗にしていた。しかも店員さんが後で片付けることを考えた感じで。って話はどうでもいいわけなんですけども。

 一人でケーキや桃を食べながらぼやーっと考えたことがありまして。いやスイパラまでいって思惟にふけってんじゃないよって感じですが。一人で行った感想というか。なんか一人で来ている客が自分だけだったから。

 なんかこう思ったんですけど、やっぱり人は一人で生きていくしかないんですねって。一人じゃ電気も水道も衣食住もままならないでしょ?って言われるかと思います。もちろんそれはその通りですし、そういう意味では一人で生きていくなんて不可能だと思います。でも私が言いたい一人で生きていくしかないっていうのはもうちょい根本的なところなんですよ。

 どういうこっちゃって話なんですけどね。人は一人で生まれて一人で死んでいくんです。これは変えられないんです。誰も自分の代わりに食欲を満たすことはできないし、誰も自分の代わりに生まれることもできない。もちろん自分の代わりに死んでくれる人もいない。「俺の分まで生きてくれ…」みたいなセリフを残して死んでいくドラマもありますが、託された方も結局その人の分の人生を歩むことなんて不可能で、あくまでもその死んでいった人のことを考えたうえでの自分の人生を歩むだけなんですよね。だから生きるってことは全て一人で背負わなきゃいけないんです。自分の人生は自分一人で歩むしかないんです。たった一人で。自分の欲望は自分で満たさなきゃいけないんです。自分で食べ、自分で寝て、自分で死んでいかなきゃいけないんです。誰も代わってはくれません。

 まあそれでなんですが、私はただ桃とケーキを飽きるほど食べたかったわけなんです。甘いもの欲?を満たしたかっただけで別にそこに友人がいようがどっちでもよかったんですね。どっちでもいいといいつつ友達を誘ったくらいなので、その友達と楽しめたら一石二鳥だなって楽しみはあったわけなんですけどね。でも別にその友達と楽しむのはスイパラでなくともいいんです。楽しく遊べればなんだっていいんです。今回一緒に行けなかったのはちょっと残念でしたが、お互い生きている限り遊べるんです。リモートでもなんでも。こんなこと言うと友達に失礼ですけど、スイパラである必要性はなかったわけです。というかスイパラでなくとも楽しいんです。友達とバカやっている時間は本当に楽しいです。

 でも今回のスイパラに関しては期間限定のイベントでした。桃もメロンも食べ放題。ケーキも食べ放題。好物三種類が食べ放題。食欲とはまたちょっと違った食べたい欲を満たしに行きたかったんです。自分以外誰一人として満たせないその欲を。自分が食べることでしか満たすことのできない欲望を。だから一人で行ったんです。周りが複数人で行っていようが関係ありません。だって、その人たちが私の食べたい欲を満たしてくれるわけではありませんから。

 多分変な目で見る人もいたと思います。あんな甘ったるい空間に成人男性が一人で桃を食べ、ケーキを頬張るなんて。めんどくさい時代だから断っておくと、別にそういう男性が気持ち悪いだとか女性は甘いもの好きで甘ったるい空間が好きだとかそういうレッテルを貼りたいわけじゃありません。でも少なくとも2020年7月26日において、スイパラといえば女性のイメージが強いのは確かですし実際女性客の方が圧倒的多数でした。これは覆りません。だから私が多少変な目で見られているんだろうなという感じはあって当然だと思います。でも私はそんなつまらないことよりも自分の欲を優先させました。誰かが代わりに満たしてくれるわけでもない欲を一人で満たして何が悪いの?と。黄泉の路上老少無しです。人間いつ死ぬかわからないなら満たしたい欲はさっさと満たして死ぬ準備を整えておいた方がいいですね。

 あーあ、なんだか中身のない話で文字数膨れ上がっちゃいましたね。やっぱり人間一人で生きて一人で死ぬしかない以上は、一人で満たせるような欲はさっさと満たしておくのが良いですね。ではおやすみなさい。





よし涸れよ濁さんよりは