vol.1見たもの聞いたもの~NHK アナザーストリー金閣炎上~
いつもお世話になっております。
するめでございます。
最近、見たものを覚えていられずに見ていて終盤で「あれ?これ見たな!」と思い出す次第です。恐ろしいぐらいの記憶力のなさを痛感致します。
今回観たのは!
NHK アナザーストーリーズ 運命の分岐点 金閣炎上
この番組は、1つの事柄を複数の視点で語られるというのが面白いです。
今回は金閣炎上ですが、皆さんはそもそも金閣寺が炎上したことを知っていますか?するめは全然知りませんでした・・・。
しかも、金閣寺を放火したのは、金閣寺で修行していた僧侶が金閣寺とともに焼身自殺をしようと思い火を放ちましたが犯人は逃げて、現行犯逮捕されました。
そして、この事件から影響を受けて作家の三島由紀夫はフィクション作品「金閣寺」を、水上勉はノンフィクション作品「金閣炎上」を執筆するのでございます。
3つの視点から考える金閣炎上
視点1:犯人である林養賢から
視点2:三島由紀夫と水上勉の作品の違い
視点3:金閣寺の住職である村上慈海から
と視点を変えて金閣寺が何故放火されたのか?その影響を受けて金閣寺の炎上を描いたのかが話が進んでいきます。
するめから見た金閣炎上の内容と感想
視点1:犯人である林養賢は、京都の港町のお寺の息子として生まれ、父から「金閣寺は一番綺麗だ!」と育てられて、母からは「金閣寺で僧侶になるべき」と教育され、父の取り計らいにより、金閣寺で修行をしながら仏教系の大学へ通う。
ある意味、両親からの金閣寺への強い思いがあり、それに応えようとするが、港町からきた少年には、全国から集まってくる人の「上には、上がいる」に耐え切れなかったのか、それでも帰ってくる家があればよかったのか、母の教育熱心さがなのか、焼身自殺を図ろうとしてしまう。
怖くなり、大文字山へ逃げて現行犯逮捕された。取り調べを行った時に言った言葉が「美に対する嫉妬」と言い、判決が下り収容されるも、精神が崩壊し、結核に蝕まれて生涯を終える。
母は、面会に行くも拒絶され、帰りの電車から投身自殺をする。
こういったセンセーショナルな事件が起きたときに、
”何故この事件を起こしてしまったのか?”
というのが気になるところではあるが、犯人から出てくる”何故”は到底、本人にしか分かりえないものである。外野の私たちからすると「どうしてそんぐらいのことで?」や、「もっと辛い事なんて沢山ある」と考えてしまいがちではあるが、犯人からすると”言葉に出来ない感情が蠢いたが、言葉にすると・・・”がある。何故?を聞く必要があるのかとこの事件ではなくても、現代の事件でもあるとするめは考える。
「美に対する嫉妬」から影響を受けて執筆したのが、三島由紀夫だ。
視点2:美に対する嫉妬から影響を受けて「金閣寺」が出版されて、映画にもなる。が、この作品はフィクション作品だと当時、思っていない人が多かったそうだ。するめは、三島由紀夫の作品が好きなんだが、この金閣寺は読んだことがない。というか読もうと思ったけど、何となく読み進めれなかったというほうが正しいのかもしれない。
この、三島由紀夫の金閣寺と水上勉の金閣炎上の違いは、ノンフィクション作品とフィクション作品である。が、どちらも読んだことのないするめは本のことを話たいわけではなく2人の作家の代表作になるぐらいの事件であったということだ。国宝の金閣寺が、そこで修行している僧侶が焼身自殺を図るなんて、考えられなかったし、現代においてもとても、考えられない話だと思う。
しかも、その理由が「美に対する嫉妬」となると何故が深まり、創作を駆り立てたのだろう。
水上勉の金閣炎上は、水上勉自身も修行僧をしていてシンパシーを感じ、「自分も、もしかしたら同じようになっていたのかもしれない」と。
ノンフィクション作品であるが、水上勉は金閣炎上で1つだけ違うところがある。水上勉は林養賢に会ったと書いている。だが会ってはいなくのだが、水上勉はそれだけ林養賢にシンパシー或いは共感していたのかもしれない。
視点3:金閣寺の住職である村上慈海は、ずっと受け継がれていた金閣寺を自分の代で失くしてしまったという思い続けたそうだ。誰にも文句を言わず、弱音は吐かず、金閣寺を再興するために、全国を巡った。
しかし、自分の弟子が放火されているということや、三島由紀夫の金閣寺には、生臭坊主として描かれていたので良く思わない人もいたそうで。
だが、金閣寺の近くに住んでいる人達からは、慕われており多くの人たちから再興への援助をしたそうだ。
本当に、村上慈海は生臭坊主だったのか?するめはそうだとは捉えない。
生半可の知識ではあるが、禅の教えというのは、他人を救う教えではないとするめは考えている。自分の中での話であり、それに感化された人が救われたのであれば、それもまた良し。ということではなかろうかと思う。
犯人である林養賢は、村上慈海に聞いたそうだ「自分は生きる価値があるのか」を。生きる価値など考えるのではなく、たまたま生まれただけで、今を生きるしかないと答えたそうだ。
晩年の林養賢は、村上慈海へ「金閣寺を燃やすべきではなかった。許してほしい」と何度も、何度も手紙を当てたが、村上慈海は、返事はせずに、衣服と本を毎月、林養賢の元へ送っていた。それが、住職の答えだったんだと。
「許す」と一言いえば、林養賢はどうなったんだろうか。
これが、するめの感想です。
事柄を深く考えるには、1つ視点ではなく色んな視点からみるとどう自分が感じるか。それを体現しているのが、この番組である。どんなことも深く考える必要はない。けれども、考える必要があるときもある。
ドキュメンタリーは、考えるために必要。いろんなドキュメンタリーを見て色んな人と話してみたいなと思う今日この頃でした。
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