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ゲームデザイナー Saashi の仕事部屋〜2020年4月前半

Saashi & Saashi(サアシ・アンド・サアシ)のSaashiです。今回は2020年4月前半の何日かの分を。この期間は少し休みをとったこともあって、のんびりな日常となりました。

「ゲームデザイナーSaashi の仕事部屋」シリーズについて
京都でアナログゲームを作っているんですが、手書きで日記書くのがだいたい滞って記録が記録にならないので、noteで綴ってみようかと思い、書き始めてみてるシリーズがこちらです。半月に一度くらいで載せてます。
ただ、わりと忙しくしている気がしているわりに、特に変わり映えしないので地味すぎる日常ですが、自分の備忘録的に書いています。全日の日記でもないし、その時思ったこと書くだけの日とかもありそうですが、「こういう人もいるのだな」と気楽な感じでお目通しいただけると幸いです。

4月前半某日

ここのところ、あまり休日らしい休日をとっていなかったので、ぼんやり1週間ほど休んでみることに。特に休日を決めていないために、なんやかやと作業してしまっていることが多いので、ずっと休みの日がないと言えば、ない状態が続いていた。

あまり作業する気にならなくて一日の終わりに結果的に「休み」になってしまっていた場合はあったが、それと「さあ、今日は休んでいいよ」と認可してから休むのとでは心身ともに回復度が違ってくる、はず。

というわけで、読みたい本を取り寄せたり、奥から出して来たりして、読書の時間は確実に増えそうである。とりあえず、戦間期あたりの書籍を読み直しのフェーズに入る。

4月前半某日

これは日記のような体裁で書いてはいるけれど、あまり日記的な読み物を読む趣味はなくて、作家の書いた日記のようなものと言えば、三島由紀夫の日記と、パウル・クレイの日記、それに小西康陽や森博嗣の日記的エッセイくらいのもので、いまひとつこの手の書き物の感覚が自分で掴めていない気もしているが、飽きが来るまではとりあえずマイペースに続けていこうと思っている。

カフェでメモをとる、ということについて。
近頃は三密を避ける意味合いもあって、頻繁には行けていない。カフェも扉をあけて換気したり、席数制限など気をつけてはいるのだと思うが。窓が空いているとわたしの場合、この時期はマスクをしていないと黄砂のアレルギーで咳が出てしまう時があるので気が引ける。

いつもなら、起き抜けにカフェ・ヴェルディへに出かけて、軽食と食後のコーヒーを飲むのが週に二度三度。もちろん自家焙煎のお店でいつも同じものを頼む。

リーガルパッドを開いて、興が乗れば、二杯目のコーヒーを注文する。二杯目は深煎りのエチオピアと自分の中で決まっている。1時間から長い時は2時間近くも居させてもらっていた。お邪魔じゃないかとは思うが、お店の人のことはみな存じ上げているし、混んでくればカウンター席に移ったり、長居せず退散したりもする。

思えばカフェ・ヴェルディのコーヒーは十何年愛飲している。焙煎の腕前が良いのは魅力の根源には違いないのだけれど、ここの焙煎豆は「清涼」な味わいがあって、実に清々しい印象がある。そういう魅力が続けられているのは地味にすごいことだと思う。

ゲームデザインにもいろんな魅力がある中で、たとえばこの人の作るゲームには「清涼」な魅力がある、と評されるようなことってあるだろうか。ありえるかもしれない。そういう観点から作者の個性を評価する文化があれば、とても素敵だと思う。

ヴェルディ

カフェの一角で、ゲームのメカニクスなど具体的なことを考えている時、おそらく目を開けていて、でも視線は斜め上あたりをウロウロして、天井の端を見つめていたり、カウンターの奥の店員さんと目が合っていてもこちらは一向に気づかないまま思考の中でうんうんと唸っている、ということが多々ある。店員さんには、仕方のないやつだなと呆れられていたり、他のお客から見れば実に奇妙な人に映っている可能性は高いのだが、仕事部屋に籠って考え続けるのとは違って、カフェの一角に座って考えを巡らせるという環境の変化は自分にとってとても大切な時間なのだった。

アナログのノート(リーガルパッド)にメモするのは、だいたい考えたことの数パーセントに過ぎなくて、思考の全体像は翌日には半分も残っていないことがほとんど。書き付けたメモの一節から「あの時考えたこと」をどこまで復元できるのかが勝負なのだが、これは思い出すきっかけくらいで良いと思っていて、ちょうど早口言葉の最初の言葉が取っ掛かりとして口に出れば続きが出て来るという調子で、メモの一節から、あの時の考えたことの一部でもつらつらと思い出せたら儲けものという具合である。

ま、でもそれはうまくいったメモの場合で、「いったい昨日の自分はなにを書いていたのだ?」とまるで内容の意味がわからないメモもある。そうならないためにも記憶の熱が冷めないうちに、仕事部屋に戻ってすぐにPCを開いてデザインダイアリーに書き付けることでしか、自分の場合は対処策はない。

メモをデジタルに写すのは、清書する際に内容の推敲を兼ねる意味合いが大きい。わざわざ手書きでは書いていなかった細かな数値などもデジタルでは思い出せる限り書き加えておく。数日もすると、わたしの場合は丸々全部完璧に忘れ去ってしまうので、推敲しつつ清書しておくことの意味は思うより大きいのだ。

4月前半某日

海外サッカーを週に2、3試合は見ていたのに、今シーズンはどのリーグも途中で中断されたきりで、すっかりご無沙汰である。

意識付けだけの問題について。
サッカーの試合を観る時は、以前サッカー関係のブログを書いていた時と比べて明らかにアバウトな観戦者になっている。ものを書く前提で観ていないからだろうと思う。戦術的な面にも気を払いつつ観ようとはしているが、書きものをするという前提が薄れているので、深いところではさして考えていないという状態に近い。漠然と観ているわけで、楽は楽なのだが、観戦者としてはなんとなく物足りなさは残る。

この「仕事部屋」シリーズは日記みたいな雑記だが、毎日とは言わずとも少しずつ書き綴っているわけで、書くという前提でなかった時がゼロとすれば、多少の意識付けできている、と言えなくもない。

どうせ書くなら、日毎にちゃんと書いて、毎日更新すれば良さそうなものだが、物憂さなのできっとそれでは続かないのがわかっているのがつらいところである。無理をせず、おそらく半月に一度更新するペースくらいがギリな気がしています。

4月前半某日

英語のインタビュー回答、少しずつ書く。どうも回答自体が長すぎるような気がしている。お待たせしているので、急いでおかねばなのだが、無駄文はなくしたいし、的確に答えているか文章自体の推敲も必要。

その他いくつかメールを書いて送る。必要事項だけの連絡なのだが、メールしている日は、完全な「休み」にできてはいないのだろうか。

4月前半某日

食材の買い出しのついでに、近くの銀行へ。そして海外への発送物を出しに郵便局へ寄る。

海外では、うちのゲームをある程度までは国ごとのお店に置いてもらっているので、個人からの注文は少なくなってるが、その国で在庫が切れていたり、まだ取り扱い店舗がない国だったりすると、注文メールが届くので、無理しない範囲である程度まとめて対応したりはしている。

途中、家の近くにフェイバリットな靴のメーカーの取り扱い店ができていることに気づき、早速ひとつ購入。修理もできそうで助かる。

4月前半某日

宝井貴子さんとSaashi & Saashiの今シーズンの計画を練り直す。
今年はシンガポールをはじめ、台湾やマレーシア、タイ、インドなど数カ国のアジアツアーをやりたいと当初考えていた。行ったことのない国からイベントの出展を誘われていたのもあって興味があったからだ。

でも今年は正直難しいだろう。各イベントは中止/延期されているようだし、開催有無よりも、まずなにより移動のリスクが昨年とは違っている。この変化は来年以降も意識の上では残り続ける種類の変化だろう。人が集まるイベント、人と遊ぶゲームという媒体そのものの意識が変革していく途中を垣間見ているのかもしれないとも思う。

その他、自分のゲームの出版に関する計画も練り直す。
「なにを、いつ、どれくらい」出版するのか。他にもやらねばならないこと、やりたいこと、やっておいたほうが良いことがいくつも出てくる。そういったものを洗い出して、ひとつずつ俎上にあげていくのも今の時期にしておくべきだろう。毎日少しずつでも、こういった話の場をもつことも大切なことなのだ。これは、忙しさにかまけると、チーム内でこういう不要不急の話題をする機会そのものが遠のく、という昨年からの反省。

4月前半某日

自分のゲームについて、「すでに海外出版社と契約状態にあるが、まだリリースされていない」という案件がいくつか存在する。いずれも並行して進んでいるのだが、その進捗は出版社により、こちらでコントロールできることは少ない。できる限り協力はするが、あまり口を出すと却って邪魔になることもあるし、逆に口を出しておかないと後々ちょっと困ったことになることもある。

そういう契約のひとつで、とある問題が発覚。(知れてよかったのだけど)
解決の見込みがある限りは、できるだけ解決を目指したい。中途半端なのはこの場合よろしくないと思う。まずは当事者同士で互いの見解を把握しあうことが大切なので、早急にもスカイプでのミーティングが必須のよう。各方面、ご迷惑をお掛けしてしまうのが心苦しいけれど、可能な限りプロダクトの品質はあげたいという想いだけでやっています。

4月前半某日

外出に対して、気軽さがなくなりつつある昨今だが、わたしの場合はもともと限りなく自主的に外出制限しているような日々だったので、それほどの違いがない。カフェにあまり行けなくなったくらいの差である。

そもそもが、一人遊びに長けた少年時代を過ごしたので、ずっと部屋にいてもなんの痛痒も感じない性分である。幼い頃には、一人の時はだいたい漫画や小説の筋を構想したり、絵を書いたり、ノートに城郭や地図を描いてゲームに仕立てて一人で遊んでいたものだった。長じてからは、それが音楽を作ったり、文章を書いたり、アナログゲームをデザインしたりすることに変わっただけで、中身はなにも変わっていないのではないか、とリーガルパッドに地図みたいなものを描きながら思った。

今月前半はこんなところで、また後半へ。

Saashi
2020年4月中旬

Saashi & Saashi
Twitter / WEB


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