ブログ記事(vol.10)離婚と毒親の「呪縛」からの解放

離婚 と 毒親の「呪縛」からの解放 (vol.10)
2015年08月04日


どうも〜

今日もさーちゃんの「双極性障害になっちゃった」ブログを
ご覧いただいてありがとうございます。

「毎日生きているのが辛いよ〜 」 と感じている方、
「食べ物が喉を通らない!!」 というストレスの毎日に明け暮れている方。

あせらずに、今、深呼吸をしてください。

…深呼吸、できましたか?


あなたは、紛れもなく、今ここに生きています。
大切な命が、温かい心臓が、動いていますね。

自分を心の中で「ギュ〜ッ」と、力一杯、抱きしめて
あげてください。そして、頭を撫でて「よしよし」 と、
自分に向かって「がんばったね。もう、いいよ。少しだけ
休もうね。ゆっくりしようね。」と言って、労って、やさしく
してあげてください。

忘れないでください。
どんなに暗闇の続く暗黒の中でも、明けない夜はありません。
私も苦しみのどん底で、現実が苦しすぎて、「死にたくて」
しょうがなかった日々が、悪夢のように続いていたことがありました。
本当に長かった。長い長い、途方もない苦しみでした。 
何度も何度も「死」のほうが、楽に見えました。

でも、大丈夫です。今はそう思っても、やがて
必ず道は開けます。

だから、今はあせらずに、不安に 思うことは
すべて「後回し」にしてください。
「お金がない!」「この先、どうなるのか本当に不安だ!」
そんなことは元気になってから、なんともなることですよ!

だから、今は自分を誰よりなにより「一番」にして、
大切に「ロングバケーション」を与えてあげてください。
決して、自分で自分を責めないでください。 
今、必要なのは自分へのいたわる気持ち、「愛情」ですよ。 
そうすれば、必ず回復します。しばしの「我慢」です。

あなたがあなたを嫌いでも、
私はあなたが「大好きです」よ!
だから、「自分に忍耐」してください。
嫌でも、辛くても、これだけは我慢です!
「頑張り屋さん」のあなたなら、忍耐できますよ。
「我慢して」ゆっくり、ゆっくり、休んでください。


前回の日記(vol.9)では、私がどのような結婚生活を
送っていたか、かい摘みつつお話ししてきました。

今回は、「夢見がちな夫」との生活がどのように
崩壊していき、離婚に至ったか、そして
その過程の中で、私がどのように「双極性障害」に
なっていったのか、をお話ししたいと思います。

とても、暗いテーマですが 、なるだけ明るく、
時には笑えるように書いていこうと思いますので、
最後までご愛読いただけると嬉しいです。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


私の心の叫びには気にかけず、「夢見る夢男くん」の夫は
ドイツに旅たち、しばらくして、さすがに「やばい」と
感じたのか、戻っては来てくれたものの、あまりにも長い時間
が経ってしまっていて、私の中の「彼への信頼」はかなり
ダメージを受けていました。

しかし、「何はともあれ、戻ってきてくれたんだし…」と
思い、心の安らぎを求めて、帰ってきてくれた夫に話をする
毎日が戻ってきたようでした…

…が。

夫は、私の気持ちには目もくれることなく、
「君のために、自分の夢をあきらめたんだから、大変なんだ。
早く、就職先を探さないと、履歴書に穴が開く!」
と、「自分のキャリア」を真っ先に考えて、
戻ってきてくれて物理的には側にいてくれましたが、
心は全く私には向いていませんでした。

彼の言うことに耳を貸せば貸すほど、
「計画が台無しだ」
「このままでは、僕のキャリアに傷がつく」
の繰り返しで、私はそんな中でどんどん
「彼の夢を諦めてもらって、苦労をかけてるな」
と自責の念に苛まれていました。
今考えると、夫は「夫」の役割を放棄して
いたも当然で、夫婦の金銭的な状況などは
顧みることなく、まるで独り身のように我が道をいって
おきながら、まるで「おまえのために、諦めたんだ」
というような態度で、やはりその「愛情のなさ」に
どうしても怒りを覚えます。

「結婚」が何か、全くわかっていなかったのでしょう。
「夫」たるものの「責任」も、彼には二の次だったですし、
仮に「今後の夫婦の家計」を心配して「職探し」に必死だった、
と(百歩譲って)したとしても、悲しみのどん底にある妻を
放置している状態で、「地位・名誉・金!!」というのは、
本当にいかがなもんかと、今でも振り返ると思います。


「本当に、この人は私を愛して、結婚したのだろうか」


自問自答の日々が始まると、もう止まりません
今までも、何度も心の隅に感じていたことでした。
でも、その疑惑を彼に向けても、いくら投げかけても
きちんとした返事が返ってこないで、わからぬままに
年月が過ぎていき、その間も「突き詰められていなかった」
分、結婚4年になった この時期に問題が深刻化したのだと
思います。

そうこうしているうちに、今度は段々と過去のデジャブと
戦う日々が始まりました。

私が精神的に苦しんでいる間に、否応ながらにも
見てしまった「夫の対応」が、あまりに「毒父」の
「私を見捨てた」様子にそっくりだったことで、
私はかなりのショックを受けていました。

「またあの苦しい家族関係が出来上がっていくのかも…」

そんな嫌なことを、考えるようになりました。
私は「毒母」にはなりたくありませんでしたが、
このまま「放任主義」の彼と夫婦でいることを
続けていけば、やがてそうなる危険性は決して
否めません。


私は、自分の家族以外にも、友人や知人を
通して、いろいろな家庭のあり方、夫婦のあり方を
見てきました。

そういう中で学んだのは、
「夫婦の仲が健康的でないと、子供は不幸になる」
ということで、かの「毒母」も自分の夫が腰を据えて
「自分の気持ち」を受け止めるように話を聞いて
くれなかったという日々を十何年も過ごしてきて、
そのストレスを知らず知らずのうちに、恐らく
「無意識で」子供達にあたっていたのだと思います。

つまり、子供は「夫婦の犠牲者」に十分に成り得る
ということで、その「夫婦の仲が健康的ではない」
という様子は、実は一番 子どもたちが分かっている
のだと思います。

父親が些細なことで怒りを爆発させるような家庭も、
母親が父の機嫌をとるので必死な、異常なまでの遠慮が
みえるような家庭も、暴力やギャンブルなどで荒れに
荒れている家庭も、根本は「夫婦の仲」に諸悪の根源
が眠っているのだと思います。

夫婦が愛し合い、分かりあおうと向き合っていない。

これが、家庭崩壊の最大の理由ではないかと思います。

事実上は離婚していなくても、うちの過去の「毒親」と
同じように、建前は「幸せそうな家庭」でも、一枚皮を
めくると、すでに「離婚状態」で夫婦として機能していない
家庭は、いくらだってあると思います。

若くて未熟だったにしても、お互いが「人生の伴侶」
として、選んで結婚した相手です。
そう簡単には諦めるべきではありません。

「夫婦相談所」などに相談したり、詳しい専門家の講習を受けて
みたり、似たような経験をして乗り越えた夫婦の話が聞けるような
ピアセラピーに参加するなど、できることには全力を尽くして、
結婚生活を救うべく、対処するのがまず第一だと思います。

しかし、それでも改善の余地が見られなかった場合。
果たしてどの道が「最善の道」なのでしょうか。

日本では「何があっても離婚は悪。諦めるべからず」
という風潮が強いと思います。

でも、親が離婚している経験のある私から言わせると
それは本当に「偏見」でしかない見方だと思います。

「離婚」は悪いことだけではなく、「解放」への一歩
であることも十分にありえるからです。
子どもにとって、それが救いのひとつになる場合だって
あります。何より「夫婦として機能していない夫婦」
を毎日みて、育つ子どもの身になって、考えるだけでも、
それが「偏った」考え方であることがわかるはずです。

ヨーロッパでは、離婚はごくごく「普通」です。
それは「人生は完璧ではない。けれど、やり直す権利
は誰にでもある」という、すぐに世間体を考える傾向の強い
日本人とは違って、個人主義の考え方が根づいている地
だからこそ、かもしれません。

私は何でも西洋万歳の「西洋賛美主義者」ではありません。
日本にもヨーロッパも、そして西アメリカや中国にも、はたまた
アフリカ地方や南アメリカも、各国各文化で、本当にお互いが
学べる環境や知恵や知識があると思っています。

しかし、この「結婚・離婚」に関しては、どちらかというと
ヨーロッパのほうが、私はどうも「正解」な気がします。
なぜかというと、所詮「人生は完璧ではない」からで、
判断を間違ったり、いろんなことを経験して、今までの
考えが途中で180度変わったりして、当たり前だからです。
というより、そうならないほうが逆に不自然ですよね。
人間は日々、変化していくのですから、友人の付き合いが
始まり、終わるように、夫婦だって、家族だって、
そういうことは十分にあっても、それが自然体だと思います。

自分にとっての「正しい決断」。
私の場合、それは「離婚」でした 。
何より「自分が一番」な夫とコミュニケーションに
不満があったのは、今に始まったことではありません。
でしたが、「そういうキャラクター」だと言い聞かせて
受け入れる姿勢をとって生活してきました。

離婚を決断するまで、たくさんの時間がかかり、
その度にお互いがお互いをひどく傷つけてしまいました。

夫は最後まで、離婚をしたがりませんでした。
「親に会わせる顔がない、親が悲しむ」
「ステータスがなくなる」
ということを毎回口にしていました。

そんな夫の隣で、どうにもならないかも と
日々日々絶望的になりながら、夫婦相談所に
電話をかけて、何度か話し合いをすることになりました。

離婚の最終的な決め手になったのは、その時に
夫が放ったひとことでした。

「僕は、妻のために自分を変えたくない」

この言葉は、涙も出ないほど、私の心を突き刺しました。

結局、彼の夫としてのスタンスは、初めから終わりまで、
ずっと同じで変わらなかったんだと思います。
悲しいですが、なかなか諦められず、苦しみに苦しんだ
時間にも、「それでも離婚はしない」と言い張る夫にも、
自分で別れを告げなければならなくなりました 。
本当に辛かったです。

でも、それが彼の本音でしたし、今は嘘偽りではなく
「本音で向き合ってくれた」彼に、心から感謝しています。
あのひとことで、離婚が決定したようなのもでしたが、
同時にあのひとことで、「機能していない夫婦」の関係に、
「子供が生まれる前」に終止符を打てたことは本当に
救いだったと、今は心から思います。

これで、やっと私の(知っている限り祖母の代から続いていた)
デジャブであった「呪縛の連鎖」がひとつ、解き放たれた
気がします。


離婚してからも、結婚生活を上手く続けられなかった
「罪悪感」から抜け出せずに、正式に離婚してからも、
苦しみは続いていました。

離婚に喜んだ母は、更に輪をかけて「私のフィールド」
に割り込んでこようとし、そのストレスは半端ありません
でした。

友人の家に泊まり込んで、自立を試みましたが、
前の夫が離婚を渋ったおかげで、弁護士を雇わなければ
ならなくなり、おかげで今までコツコツ貯めてきた貯蓄が
ほぼゼロになり、大変な経済状況になってしまいました。

そんな中、日々目に見えて、調子が悪くなっていく自分に、
自分でも「大丈夫かな、私…?」 と思うようになり、
しばらくすると文字通り本当に「立てなく」なっていき、
大好きなお仕事も手につかなくなってしまいました。

そんな中で、医者の勧めから、干渉バリバリの「毒母」と
(しばし)縁を切ったことをきっかけに、病気は少しずつ
回復に向かって行きました。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


長文にもかかわらず、最後までお読みいただき
ありがとうございました。

次回は、「双極性障害」と診断されてから、回復するまでの
私の「病気の対処法」について、お薬以外の観点からお話しよう
と思いますので、また引き続きお付き合いいただければ幸いです。

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