ブログ記事(vol.6)「毒母」からの解放 - その1 -

「毒母」からの解放 - その1 - (vol.6)
2015年07月29日


どうも〜
みなさん、今日の調子はいかがですか?

うつ状態に入って死ぬような辛さを味わっている方も、
逆に躁状態で「やばいな〜」って感じの不眠の方も、
はたまた回復して元気に生活していらっしゃる方も、
誰しも「基本地獄の人生」を生きているんですから(笑)
「暗い」のが当たり前だと思って、今日も太陽が照っている
ことや、どこからか風が吹いていたり、雨の音が聞こえたり
する毎日を、あせらず日々ゆっくり歩いて、いっしょに
生きていきましょうね!!

さて、前々回から引き続き(「また同じテーマかよ〜」って
思っている方はすみません 次の日記まで、
ご辛抱ください。次回は別の話に移りますからね )
今回も「毒親」のテーマでお話を進めていきます。

最後まで愛読いただけると、うれしいです。

・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

前回の日記では、私がどれほどに「ひどい 」
家庭環境で育ってきたのか、をお話ししました。

両親ともに「毒親」で、私を含めて子供たち3人は
本当に辛い中の生活を強いられてきました。

ちなみにこの「毒親」 。
もともとは「毒母」が密かに日本でブームになり、
使われるようになった造語ですが、
わたしが初めてこの言葉を知ったのは
田房永子さん著の『母がしんどい』という漫画でした。

当時はひどい鬱エピソードから、お薬の効果の御陰で
少しずつ回復に向かいつつあった状態で、寝床から
立ち上がることはできるようになっていましたが、
何しろ何週間も「寝たきり生活」 だったので、
正直「活字」だけの本はまだ読めませんでした。

そんな中、寝ながら自分の過去のことを
少しずつ頭の中で振り返ってみて、
「ひょっとして、母親が病気の原因かな…?」
と、気がつくようになり、
それについて少しずつ自分なりに
調べていくようになりました。

起き上がれるようになってから、
まず「エッセイ漫画」をamazonで検索し始めました。
海外にいるので、日本の本屋などもちろんなく、
知人に「『双極性障害』とか『お母さんに問題ある人
の話の漫画』とか、家にない?」なんて聞ける勇気も、
(もちろん)気力もなく、唯一の窓口はネットでした。

本当に、「インターネット、万歳 」ですよ〜

その田房さんのエッセイ漫画を見つけた時には、
嬉しくて、嬉しくて Kindlで即行、購入しました。
注文した日にすぐに読み始めて、泣きながら
文字通り「自分のことのよう」に、読み終えました。

本当に彼女の漫画に出会えていなければ、
ここまで回復できたか疑問視してしまうほど、
田房さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

ほかにもKindlで購入できる本の中で
いくつか「毒母」のテーマの漫画があって、
全て購入して読みまくりました
それが功をなして、ずいぶんと心の整理が
ついた気がします。

高いお金を払って通う心理療法士のセラピーなんて、
(私の場合は)ヒントにはなっても、本当には
あまり効果はなかったですが、このエッセイは本当に
私を地獄の底から救ってくれた、なんだかまるで
救世主 のような気がします。

田房さん、ありがとうございます

日本に住んでいる方で、親に問題があると
悩んでいる方は、ぜひとも田房さんの漫画を読んでみて
ください。あと、海外にいる私はできないんですが、
田房さんは定期的に講演会や集まりなどに顔をだして
いらっしゃるので、そういう機会があれば、ぜひ私の分まで
楽しんできてください
そして、機会があれば「こんなに感謝してる人がいますよ」
とお伝えください (笑)

いつものことですが、話がそれました
わたしの「毒親」の話でしたね。


過酷な家庭環境で育ったせいか、私は誰よりも
異常な程に「気を使う」人間に成長していました。

私の命の恩人でもある小学校5年生のとき担任だった
千草先生が、渡欧前に ご挨拶に伺ったときに、

「あなたは本当に、話している相手をじっと見つめて、
真剣に様子を伺いながらも、『この人は、本当は何を
言いたいんだろう』といわんばかりの観察力のある子で、
今まで見たことのないタイプの生徒だったのよ。」

と当時、10歳だった 私のことを話していました。
千草先生は本当にどの生徒にも分け隔てなく、
会うたびに父親に睨まれ、
「お前が生きていると金がかかる」
と、毎日のように暴言に耐えていた私に、
本当にやさしくしてくださいました。

今でも人生で一番好きな先生です。

私が大学で教えることになったときも、
真っ先に千草先生のことを想い、
「先生みたいな、誰にでも心やさしく接することのできる
教師になろう!」と、自分の心に
言い聞かせていたことを思い出します。

毎日注意深く、生徒様子をみていた千草先生。
そんな彼女が私の「心の闇」に気がつくのには
そんなに時間はかかりませんでした。
先生は本当に、文字通りの「命の恩人」で、
彼女に出会えていなかったら、今の私はありません。

先生とは連絡が途絶えてしまいましたが、
いつも私の心にいる忘れられない先生です。


またまた話が飛びましたが、
「双極性障害」になる多くの方が、平均以上に
「人に気を使う」という「相手の心をよむ力」
にたいへん優れています。

でも、なんでも「ものは善し悪し」といいます。

そういうタイプの人間というのは、「他人」には
注意をして、気を使って、どんな些細な「心の変化」
も見逃しませんが、代わりに「自分のこと」になると、
全くもって「大切にしない」というか
「自分の心の声を疎かにする」傾向にあります。

でも、「自分ばっかり」で世界が出来上がって
しまっているエゴイストさんも、
「他人ばっかり」で目一杯のお人好しさんも、
どちらも本当のところは「不健康」極まりないです。

そのどちらでもない、「真ん中」のバランスが
いちばん良い状態だと思います。
・・・といっても、言うのは簡単。
その生活が長ければ長い程、生き方や考え方を
変えるのに多大なる苦労が必要になります。 
尚且つ、そんな自分のことを、ほとんど「気がつかない」
で生活してしまっているのが大半でしょう。

かの私も、病気になって初めて、時間をかけて
自分のことを振り返り、田房さんの漫画で気がつきました。

もう二度と 「寝たきりの鬱状態」と「コントロール不可
の躁状態」 を繰り返さないためにも、自分の「根っこ」である。
(家族のことを始めとする)「自分史」を振り返ることが必要不可欠です。

かの有名な社会学者で在日2世の 姜 尚中さんも、
「我が輩は過去である」
という名言を残しておられます。
過去と向き合うことなしては、精神病の回復は不可能かもしれません。


父と母が離婚してから、「毒父」からは解放された子供たち。
これでなんとか新しい 幸せな未来 が訪れる「はず」でした。
経済的にはかなり不安定になりましたが、正確には離婚以前よりは
かなり「幸せ」に近づいていました。

でも、まだ子供たちにはひとり「毒母」がついていました。
未成年の私たちは、無論のこと親なしでは生活ができません。
仕方のないことでしたが、子供たちはもう片方の「毒親」と
慣れない外国で生活をしなければなりませんでした。


・・・・・ ・・・・・ ・・・・・


あ〜 なんだか、話がそれることが多くて、
「毒母からの解放」の話に入れないままですが
許してください。
これが本当の「毒親日記」の最後にしますので、
懲りずにどうぞ次回も、ご愛読ください。

今日もご一読くださり、ありがとうございました。

引き続き、さーちゃんの「双極性障害になったブログ」を
よろしくお願いします。

・・・・・・・

【ツイッターもやってます→】https://twitter.com/home
【ユーチューブはこちら→】https://t.co/IClzcGXkcu?amp=1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?