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新幹線清掃員が思い出させてくれた仕事で大切にしたいこと

IT界隈に10年いると二極化してくる

昨日、友人と話していて深く共感した話がある。

「人生は"いかに無駄と余白を楽しむか"だよ」

2人とも、昔から今でもIT関連・ベンチャーに関わる仕事を続けていて、仕事では合理性や効率化、シンプル化を求められ続ける社会人人生を送っている。

最初の頃は、それができること🟰仕事ができること になるため、そういう考え方ができるようになると褒められるし、そんな自分がかっこいいと思ったり、簡潔に話せない同僚を見下したりし始める。

でも、そんな生活を10年も続けた30代半ばごろ、IT界隈に身を置く人々はだんだんと二極化していく気がする。

一方は、その思考で突き進むスティーブ・ジョブズをお手本にするような人たち。

そしてもう一方は、そんな生活の中で、何か大事なものを失っているのではと疑問を持つ人たちだ。

わたしとその友人は、明らかに後者の方だった。

新幹線の清掃員の心の込もった仕事

今、元同僚に会うために新潟に向かう上越新幹線の中でnoteを書いている。

東京駅では、世界からも称賛される日本のプロフェッショナル、新幹線の清掃員の皆さんがいた。

彼らは清掃を終えたあと、客たちが無事に乗車するのを見届け、新幹線が発車すると列になってお辞儀をしてわたしたちを見送ってくれた。

彼ら新幹線の清掃員の仕事は、新幹線内の美化が保たれれば良いはず。

多分、IT界隈の「合理性」「効率性」「シンプル化」の視点の人間がこの業務を任されたら、掃除が終わればすぐに事務所へ戻り、別の事務作業をさせるか、次の業務のため体力温存をさせるのだと思う。

乗客たちが乗った新幹線が発車し駅を出るまで、お辞儀をして見送るだなんて、一番最初に削られる工程であることは間違いない。

思いやりを持ち、心を込めた仕事がしたい

たぶん、こういった「心を込める」みたいなものが、効率化などで削ぎ落とされた仕事をすることに違和感を感じる人が一定数いるのだと思う。

とくに、おもてなしの国・日本に生まれた日本人にはそれが顕著なのではないか。

休職直後に取り組んだ自己分析でわかったわたしが大切にしているもののなかにも、「心を込める」や「思いやり」があった。

自分が仕事をする上で、この二つは欠けてはいけなかったのに、効率化や業務の簡略化のなかでそれを省かざるを得ないことが無数にあったことが、わたしのモヤモヤの要因だったのだと思う。

実際は、仕事をする上ではきれいごとばかり言ってはいられないことはわかるし、生活費のためにやらなければいけないこともあるかもしれない。

でも、会社を辞めたのは、自分が提供する仕事だけはその先にいる人への思いやりを忘れず、心を込めて仕事をしたいからだ。

このことは忘れないようにしよう。

新幹線の清掃員の皆さん、改めて決意をさせてくれて、ありがとうございます。

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