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【column:箱崎まちの瓦版】第1篇:まち と らくご

【column:箱崎まちの瓦版】は、私たち[ハコと場をつくる 株式会社SAITO]が考える「新たな情報発信の工夫」のひとつとして、はこらくごのチラシに掲載するミニコラムです。
催しごとに作成するいわゆる「チラシ」を単なる広告材料としてではなく、せっかくなら手にとっていただく皆さまにまちのアレコレを伝えてはどうだろう?、そしてそれが少しでも読み物としてのたのしみを持つものならば、尚よし。そんな気持ちで、はじめた試みです。また、より多くの皆さまにお届けできればと、この度noteでの連載をスタートします。


記念すべき第一篇の今回は、私たち[ハコと場をつくる 株式会社SAITO]はなぜ、まちに「落語」があると良いのかと考え、寄席を企画・運営しているのか?についてを、改めて見つめてみました。それは、この世界において「現実の場」とは一体何なのか?という問いを、見つめることでもありました。
少々長いですが、こんなご時世だからこそ、息抜きやお暇つぶしに、どうぞごゆるりとお付き合いください。


第1篇 「 まち と らくご 」

ー 笑いのあるまちは、楽しく豊かで暮らしやすいにちがいない。

「庶民の芸能」として江戸の時代から広く親しまれてきた落語(らくご)。
「下町(まち)の文化」といっても過言ではありません。

大掛かりな舞台や道具立てを必要とせず、高座と座布団と和服姿の噺家身ひとつ。それに扇子と手ぬぐいを手に持つだけで、生き生きとした町人たちの暮らしのようすが描き出されます。モチーフやつくりをはじめ、日々の延長にある手軽で気軽な娯楽。これが落語が広く長く親しまれてきた理由のひとつと言えましょう。

さて現代、やれyoutubeだNETFLIXだと、スマホやPCを通じて無数の動画が配信され、エンタテインメントの趣味嗜好が多様化しています。かのアカデミー賞ですら、映画館上映の枠を越えて、配信動画にその扉が開かれてきています。(パラサイト!作品賞含めて4冠、おめでとうございます。同じアジア人として誇らしい〜)

こんな時代に、果たして「らくご」のような古典的なエンタテインメントは、これからも必要でしょうか?しかも寄席という、現実の場として。もっと動画で、ネットの特性を生かしたエンタテイメントに変化してもいいかもしれません。実際、落語 THE MOVIEなるテレビ番組も制作され、そういう気配もなくはない。

画面を通して感じられるのは、視覚と聴覚の刺激に限定されます。凝った3DCGや視覚音響効果をフル活用した動画コンテンツは、それらの欲求を最大限に満たしてくれます。その点は、落語に太刀打ちできるところはないでしょう。

しかしこの、現実の場、というところがこれからの大きなポイント。

翻って、「まち」は現実に存在し、そこで人々は(好む好まざるに拘らず)同じ空間を共有し、コミュニティとして生活しています。暮らしには生身の人同士の交わりがあり、その交わりの息遣いを、落語の世界の人々は感じさせてくれます。
まちの人々が肩寄せ合って同じ空間で同じ噺を見聞きし、時代を超えて共感できる暮らしの息遣いを感じること。派手な特殊効果がなくても、頭の中で想像し、体験ができる豊かさがあります。全てを見せられ、想像しなくていいのではなく、どんどんと想像力を膨らませる、そんな豊かさ。
そしてそこに笑いがある。空間や場を共有し、噺を聴いて、笑ったり泣いたりする。それこそが、まちの豊かさの縮図、ではないかと思ったりするわけです。そして笑いは、人々の間にある壁や溝をちょっとだけ取り払ってくれて、ひとつの「まち」としての風通しが良くなる。そんなことは、ひとりひとりがちっちゃなスマホ画面を見てるってんじゃあ、生まれない空気。生きた「らくご」は、生きた「まち」と、時代を超えて同じ空気が繋がっている。

そんな、「まちとらくご」、らくごまちづくり噺、でございました。



噺:斉藤 昌平  [ ハコと場をつくる 株式会社SAITO ]

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