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『蜷川幸雄の稽古場から』生まれた、「藤原竜也のプロフェッショナル」

放送が決まってからずっとソワソワしていた。
当初予定していた8/24放送から延期があり、
二週後の昨日 9/7 19:57〜 NHK総合の
言わずと知れたドキュメンタリー番組で25年間推し慕っている俳優の今の挑戦について放送された。

『プロフェッショナル 仕事の流儀_半分の自信 〜俳優・藤原竜也〜』



『プロフェッショナル』
それまで名前も知らなかった方でも、放送を観れば興味が湧いてくる。60分以内の放送時間でもちろんCMのない映像に、観る人を引き込ませる対象人物の魅力が凝縮されている。
5月に放送された『小栗旬スペシャル』でもその本質を捉えた鋭くあたたかい放送に、目頭を熱くした。
そんな素晴らしいドキュメンタリー番組で、日本を代表して舞台ハリー・ポッターの主演に挑む最愛の「彼」、藤原竜也さんを紹介していただける。
楽しみ半分、すこし、いや、とても怖かった。

以前『バービカン劇場の楽屋』で、竜也さんのイギリス留学中にお2人が対談されたようすを載せさせていただいたけれど、あれも、相当な覚悟が要った。


藤原竜也さんご本人からも、彼を慕うまわりの俳優さんたちからも、まず名前が挙がる巨匠、蜷川幸雄さんの存在は大きい。
そして記事にも書いたように、今回の舞台ハリー・ポッターへの挑戦はぜったいにこの方の影が立っていると、確信にも似た焦燥があった。
わたしにとっていわばパンドラの箱。
祈りとも言える想いで見守ってきた6年間だった。


愛と呪いと

「型破りで、怖いもの知らず。そんなイメージとは少し違うようだった」
背後から近づいたスタッフさんに驚きつつ、アイスコーヒーを啜る。相手の様子を伺い仰ぐ上目遣いとおどけた調子の「うわっ、びっくりしたぁ…」に、
彼と親しいバラエティやラジオ番組を視聴してきたファンなら一様にほっこりとしてしまう登場だ。
だけど続く「俺が気絶したらどうすんの?責任取れるの?」と捲し立てる、半分本気で半分おふざけは彼の丁寧で慎重なとても優しい性格を表している。
今回のプロフェッショナル全編を通して随所に散りばめられた気遣いや真心に触れて、その笑顔と人柄の虜になる国民もかなり居たことだろう。


そのプライベートはこれまで秘められていた。
2013年にご結婚されてから、お子さんが生まれて、長年連れ添って籍を入れた奥様と、かわいくて仕方ないおそらく娘さんと、幸せな家庭をもっている。
今の彼には愛してやまない守るべき人、愛猫ガリ、家族がいる。
ぼんやりとした、けれどエピソードから伺える確かな彼の“内側”に安心していた。十分だった。
だから、まさかあんなに鮮明に、愛おしげに、目を細めながら声に耳を傾ける、ご家族とのあたたかく穏やかな時間を垣間見せてもらえるなんて。
ファンとしてこんなに幸せなことがあるだろうか。



家庭を顧みず仕事に没頭するということは自分勝手な男性の生き方に聞こえるだろう。彼が5537人の中から選び抜かれデビューした『身毒丸』の寺山修司や、蜷川幸雄さんが猛烈に恋した唐十郎のアングラ演劇の俳優は、「幸せな家庭を持ったら終わり」「稽古で打ちのめされて帰って、冷たい部屋で1人で眠るのが役者だ」という、当時の“古臭い”演劇魂で生き芝居を打っていた。
それを初めて飛び込んだ演劇の世界で、卵を割って生まれた瞬間、目に飛び込んできた蜷川幸雄さんに刷り込まれ、そうすることが、役者たる生き方だと思っていた。
しかしそのストイックすぎる芝居への向き合い方は蜷川幸雄さんも心配するほど。

“『身毒丸』は、亡くなった母親への思いが捨てられない
身毒丸の前に現れた継母・撫子を最初は憎みながら、次第に恋愛にも似た思いをいだいていくというお話です。
寺山修司さんの描く短歌のような七五調のセリフ(脚色は
岸田理生)や、日常と大きくかけ離れた世界は、
今まで僕の知らなかったものばかり。”

舞台デビューのロンドン公演は、初めての飛行機、初めての海外。イギリス二大劇団の一つロイヤル・シェイクスピア・シアターが長らく拠点としていた「バービカン劇場」に立つ15歳なりたての少年。
見たこともないものばかりではしゃぐ彼を、冗談で脅しながら蜷川幸雄さんもニコニコ笑っていた。

「がんばってのびのびやるんだよ。任せたよ」

初めての舞台から見る、そそり立つ壁のような客席いっぱいのお客さんから大きな拍手をもらって海外の評論家たちからも高く評価された。

“でも、やったことのない世界だからこそ、
思い切りその世界に入り込むことが楽しくて。
夢中で、力いっぱい、声を出し、のたうち回りました。
おかげで、腰を痛めることになってしまうのですが… ”


しかし大きな喜びも束の間。
立てないほど腰を痛め、はじめて「しんとく丸」を降板することになった。
オーディションの時からまるで導かれるように最終選考に残り(履歴書を外されかけたが当時のプロデューサーが戻していたことも)、そこにいる自分以外の誰もから「身毒丸、藤原竜也」と熱い視線を送られ選ばれて、未経験の力量不足と泣きながらも、毎日稽古と向き合い、ロンドンの初日を迎えた。

それなのに残り2公演となった千穐楽のマチネでは、自分以外の「しんとく丸」が舞台に立っている。

“僕は、マチネ公演中に、スタッフさんに連れられて
劇場に来ました。普通に歩けない状態でした。
でも、自分じゃない人が立っている舞台を見て悔しくて、
悔しくて涙が止まらなかった。
公演後、蜷川さんに、泣きながら
「ソワレでは絶対に僕がやりたい」と訴えました。”

「今、この手をとらなかったら、この少年の人生は変わってしまう……」
蜷川幸雄さんは、立つのもやっとな状態の竜也さんの登板を許し、その決断に周囲も応援した。
竜也さんの言葉を引用している『蜷川幸雄の稽古場から』では「奇跡的に痛みはやわらぎ」と仰るが、救急車で運ばれるレベルの痛みを、舞台の前では、忘れてしまえるほど演劇にのめり込む方なのだ。
鳴り止まないスタンディングオベーションに、痛む腰を抑えながら、彼は深々と頭を下げた。


2004年12月 日生劇場で上演され地方都市も巡った『ロミオとジュリエット』でも、
高低差の激しい舞台装置を跳ね回りシェイクスピアの詩的なせりふを飛ばし続ける芝居に、大千穐楽の朝、熱を出しホテルで立てなくなった。しかし酸素吸入と点滴で本番を迎えしっかりと成功させる。

2006年9月 Bunkamuraシアターコクーン上演の『オレステス』では、それまで蜷川幸雄さんから「褒められ」てきた声の出し方を禁じられ戸惑い、痛烈で難解な戯曲に苦しみ大量の雨を降らせる演出に声を枯らし、初めて稽古を休んだ。

“「竜也の罪は、おれの罪。共に引き受けるよ」
なんてことも言ってくれましたけど……。”

北村有起哉さん、横田栄司さんや吉田鋼太郎さんらのいまも親交の深い共演者に支えられ刺激を受け、
デビューから培ってきた全身全霊の方法を破壊し、また新たな課題に向けて表現を創造していく。

今回、「プロフェッショナルとは」として、芝居に挑むとき大切にしている流儀を口にした。
『破壊と創造』
「絶対だめだ、絶対もっとちがう何かあるはずだ。これでもだめだ、だめだ、だめだ……。
ずっと常に何か疑問を抱いているような。
積み上げてきたもの知識もすべて含めて、一回ゼロにする。そして新しいものを吸収していく」

この流儀は、蜷川幸雄さんから脈々と受け継がれてきた彼の演劇の遺伝子に染み付き生きているのだ。
真っ直ぐな彼の言葉に、これまで観てきた舞台の姿が蘇って、涙が止まらなかった。


そんな彼の生き方を支え、守り、背中を押し続けた奥様のご献身には、ファンとして心から感謝を申し上げたい…。
コメント映像としてご出演された中村勘九郎さんの後押しもあって、10年の節目にとご結婚されたときの記者会見を観てどれっっだけ歓喜したか。
当時、まだひとり暮らしを始めたばかりの学生で、新しい生活に揉まれながらも竜也さんの舞台に行くため!と、バイトにばかり明け暮れていたわたしにとって 演劇で得られる激情や作品から受ける感動に勝るとも劣らない人生の指針になる出来事だった。

「ここがあって僕がようやく僕でいられる理由。
なんか居場所なんだよね」

愛娘をおぶるその幸せに満ちた横顔こそ、
ファンとして生きられる何よりの道標だ。



それからも、竜也さんの舞台を観るたびに脳みそに宇宙がうまれるほどの衝撃を受け続けた。なかでも大学の専攻授業と公演の時期が重なり、運命だったと確信している さいたまシェイクスピアシリーズ。
それがおそらく蜷川さんから最大の「人生を変える大きな課題」であったのだろう。
『ジュリアス・シーザー』と『ハムレット』だ。

因縁が大きすぎて、あれから7年以上経っても、その1年後に受けた悲しみの傷は深く、痛くて重い。
当時ただ舞台から受ける高揚に身をやつし、夢中になっていた自分の能天気さに閉口してもいた。

プロフェッショナルで、吉田鋼太郎さんのご自宅にカメラが入っていたことは驚いた。なによりも驚かされたのは、ファンであれば知っている…でもカメラの前でそんな無防備に……!と驚嘆するほど酔っ払いろれつも危ういほど剥き出しに、鋼太郎さんの愛犬たちと戯れる藤原竜也さんの姿だった。

『オレステス』や『ムサシ』、そして彩の国シェイクスピアシリーズでも長く同じ板の上を踏んできた吉田鋼太郎さんは、こうなるのはいつものこと、と言わんばかりにまっすぐ諭す。が、口を尖らせる。

“かわいいところもあるんだよ。やっぱり蜷川さんの存在が大きくて、亡霊のようにいるわけです。やめればいいのに”
“ないですよ、蜷川さんの亡霊なんて”
“あるに決まってんじゃん”
“ないない、ないって”

そのあとの「藤原さん、やりたいことやれてるんですか?」と、NHK奥ディレクターの言葉には「○△□★#…」。きっとこれが鋼太郎さんの仰る、「謙虚になってる藤原竜也」いや、
「怯えてる藤原竜也」なのだろう(酔っ払いである)。
愛おしくてたまらない。


『ジュリアス・シーザー』での稽古を、「手も足も出なかった。幕が上がっても苦しくて、どうしようどうしようって」と、上手くはいかなかったことを振り返られたが、その時も吉田鋼太郎さんに戯曲の解釈を聞き「こんなに素直な竜也は気持ち悪い」と茶化されながら個人練習を繰り返していた。
デビューしてから「天才」と称され続けてきた彼の「才能とは何か」、芝居と向き合いながらの“努力”
そして“感性”と答える。壁に立ち塞がれた時ほど、その自問をしてきたのだろう。

さいごまで苦しんだ要の役、マーク・アントニー。その大千穐楽を蜷川幸雄さんが観に来ることは叶わなかった。それもどこかでほっとしながら、寂しく矛盾した感情に苛まれていた。
そして蜷川幸雄さんに直訴して挑んだ仕事が、彼と恩師のさいごの仕事になってしまった。
体調を悪くされた蜷川幸雄さんが同行できなかったロンドン行きの3日前、埼玉の夜のことだ。

“「プラットホームで電車に乗るお前がいて、駅で俺も一緒に乗るはずなのに乗れなくて、電車だけを見守る感じだ。
今は。おそらくお前はイギリスに行ったときに夜1人で空を見て泣くと思うよ。いろいろな感情があって。
ただひとことお前に言うけど、力むな。
焦らなくていいから、力まなくていいからやれよ」”


「解放された自分がいた」と振り返られた、
『ハムレット』ロンドン公演の終わり口にした約束とやりきった笑顔にどこか悲哀が見えるのは
その後に「打ちのめされた傷は深かった」と語る、竜也さんの遠い眼差しをなんども目にしてきたからかもしれない。

バービカンの景色を噛み締めるような笑顔。
それを見て微笑むホレイシオ、横田栄司さん…(泣)

あくまで勝手な憶測だが、蜷川さん演出のさいたまネクストシアターの『ハムレット』を観て、「もう一度やらせてください」と直訴した竜也さんの姿はどこか、初めて代役を立てられて「僕にやらせてください」と泣いた15歳の顔と重なったのではないだろうか。
蜷川さんの親心、いや愛情とすれ違い、踠き溺れるあの頃の竜也さんを思うたびに涙が溢れる。
けれど“次へ”向かう今の想いが、受け継いだ意志の挑戦だったのだ。



「ダンブルドアとハリー」「蜷川幸雄と藤原竜也」

「舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』ハリー役、藤原竜也」と聞いたときの衝撃は忘れもしない。がしかし、観たことがない。読んだこともない。実家で小学生のとき、ハードカバー全巻が本棚に眠っているのを手に取らず、またロードショーで観ることもなく大人になった。だから、往年のファンの方に恥ずかしくないよう映画を観て本を読み「ハリー」と言う人への興味を形にしようと思った。

でなければ、蜷川さんから徹底的に仕込まれた、
イギリス演劇の基礎的な『サブテクスト(行間)』まで表現するであろう、「呪いの子」の「ハリー」には通用しないと思い込んでいた。
その通りだった。

イギリス留学でのホームステイ先や、さらに舞台『ANJIN』でも深く関わった方が、舞台ハリポタでの竜也さんに大きく期待を寄せている。ご本人も、間違いなく大きな覚悟をもって、今だからこそ挑んでいるのだろう。
背筋を伸ばして戯曲をよみ、映画を観て、本を読み「ハリー・ポッター」という人物を理解しようと、夢中だった。シェイクスピアの要素が多かったことも大きく、すぐに魔法の魅力に取り憑かれた。

「呪いの子」の戯曲を読んだ時ハリーを演じるのが竜也さんなのだと想像すると、ダンブルドアの肖像画とのシーンに重なる面影があった。
蜷川幸雄さん。
そこで“亡き恩師”への“ハリーの複雑な感情”が及ぼす内面の葛藤と、竜也さんがたしかに合致した。
しかし自分にとってもまだ心の柔らかい部分で蓋をする“そこ”に、触れるのは躊躇があった。

だからプレビュー公演初日の、幕が上がった興奮と感動から、いざ目の当たりにしたダンブルドアとの対話には涙が止まらなかった。ありがたくも4列目の中央よりから観られたことで、表情や息遣い、肩の震えまでたしかに捉えることができた。その響きに涙が止まらなくて、声を漏らさないよう息を堪えるのもやっとだった。

稽古の合間に、対話をするハリーに悩む竜也さんへ演出補コナー・ウィルソンが声をかけた。

「ダンブルドアとハリーの関係性でね、
ぼくは蜷川幸雄さんと竜也さんの関係性が
どんなものだったかって全然知らないし、
勝手に知ったかぶりとかもないから」

本国で愛される『ハリー・ポッター』の舞台を担う演出補の方から、こうも的確な指摘があるとは…。

「あえて喧嘩したり、認め合ったり、距離を取られたり、面倒くさい恋人のような関係でもあった」
と言う、戸惑い揺れる竜也さんの瞳が光っていた。

「今は蜷川さんが亡くなって、僕はすごいいろんなことが楽になったんですね。自由にできる」

コントロール、束縛、呪縛。
自分を見出し卵から孵らせてくれた恩師の愛を、
自らも求め、遠ざけたくもある矛盾した感情。

トラウマを抱えて壁を作る「ハリー」という人物の深層に触れることで、
竜也さん自身もまた蜷川幸雄さん亡き後「満足する芝居ができていない」なかでも、
『ハムレット』でロンドンへ行く3日前に言われた
「焦らなくていい、力まなくていいから、やれよ」と、その言葉に押され、“ラクな努力”をしながら、「今の仕事のやり方どう?」と今の自分をてんびんにかけながら次のステップに進んでいるのだ。



蜷川さんの話をする、竜也さんの表情が好きだ。
どこまでも澄き通って、少年の頃のまま変わらないその色に映す“今”。

“もうひとつ、僕が蜷川さんと似ているのは、
過去を振り返らないこと。そして、先のことも考えない。
ただ、今を生きていることかな”


蜷川幸雄さんという大きな愛に縛られても、自由に「今ある自分を否定し」高く跳び続けている。
繰り返し肉体化させることで、自分の言葉のようにせりふを届け魅せてくださる竜也さんのお芝居が
大好きだ。
その今の生き方をこれからも応援、愛し続けていきたいと心から願う。
ご家族のご出演や吉田鋼太郎さんとの貴重な時間を許してくださり、素直な言葉で聞かせてくださった竜也さんに、全身全霊でありがとうございます。


『弱法師』や『身毒丸』『ジュリアス・シーザー』に『ハムレット』の稽古風景、
『ロミオとジュリエット』の映像まで含め、
『舞台ハリー・ポッター』に挑む貴重な姿に密着し丁寧で素晴らしい番組をありがとうございました!たくさんある未公開シーン、オンデマンドでも良いのでいつでも待ってます←NHK様。。


また長くなってしまいました。。
藤原竜也さんのお芝居は途方もなく素晴らしい。
なんど観て賞賛の拍手を送っても足りません。
『舞台ハリー・ポッターと呪いの子』
観劇の感想ももっと書く予定です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!



「もしも出会ってなかったら」蜷川幸雄さんがいなければ、いまのわたしはいない。竜也さんの『身毒丸』を観て
演劇の魅力に取り憑かれることもなく、
どんな人生だったか想像もできないけれど
蜷川幸雄さんの言葉に触れると安堵で涙が出る。
竜也さんと同じ、人生の指針です。ありがとうございます…
・プロフェッショナル仕事の流儀『半分の自信 ~俳優・藤原竜也~』
・蜷川幸雄の稽古場から  株式会社ポプラ社
・蜷川幸雄の仕事     株式会社新潮社
・藤原竜也 『演劇の遺伝子』