雨の日、ほんのすきまに。
いくら春は雨が多いからって、降り過ぎだと思う。
せっかく咲いている桜がしょんぼりと花びらを下に向ける姿は、それはそれで美しくて好きだけれど、せっかくなら風に舞い散る景色を愛でたい。
雨への鬱憤と頭痛薬を飲みこんで、部屋の片付け。本棚の整理をしつつ愛しき藤原竜也さんの掲載雑誌の切り抜きを眺めて、レコーダーの空き容量確保のために録画番組を整理したらあっという間にお昼。窓の外ではザアザアと降り続いていたけれど、重めのパスタが食べたくなったので近所のカフェへ。
学生の頃から好きな作家の一人が吉田修一さんだ。
文芸誌でお見かけして、文体や風景の切り取り方がオシャレだなと思っていた矢先の2010年2月に実写映画が公開となった。
それが第15回山本周五郎賞受賞作、
初めて買って読み、惚れ込んだ
『パレード』だ。
文庫版の解説に、川上弘美氏が「こわい小説だ」と書いている。
そして「解説から先に読んだ読者の方々に一つだけお願いを。かならず第一章から順番に読んでゆくこと。そして、各章の語り手がどんな人物であるか、ゆっくりと味わうこと。ともかく第五章だけは絶対に先に読まないこと」とも。
こわい。この感想についてくわしく書いてしまうとそれがネタバレになってしまうのだが、第一章から五人それぞれの視点で描かれる日常生活に終止符を打つ第五章の、余韻が不気味で、こわい。
第一章は21歳の大学生、良介によって。
第二章は23歳無職の琴美により。
第三章は24歳イラストレーター兼雑貨屋店長の未来から。
第四章は18歳職業不詳(男娼と書いたけど)のサトルの言葉で。
第五章は28歳映画配給会社勤務、直輝の口から。
年齢差10歳の幅の五人が、さほどの広さもない部屋で、彼らがどんな経緯で集まったのか、どこまでを許し、なにを隠しているのか。
共同生活の様子を「掲示板のコミュニティ」と琴美がサトルに紹介する。言いたいことを言うけれど、その場にはお作法のような、ルールがある。
丸い淵をずっとグルグルしているだけの生活、将来性の見出せない関係、なりたい自分への漠然とした期待と諦め、どうしようもない孤独……。
大学で上京することだけ意識にあるうちにこの小説を読んだわたしは、ぼんやり「千歳烏山」ってどんなところだろうとか、「日比谷公園」や「新宿三丁目」を日常にしている彼らを想像していつか行ってみたいなと思うほどハッキリとした人物像を描いていた。
そして愛する俳優、藤原竜也さん主演で映画が公開された時はそのイメージが合致したので舞台挨拶の帰りにうきうきとロケ地を歩いた。
具体的な地名が映像になると、原作と映画がリンクして、日常へやってきてくれる気がする。
ネタバレを恐れて何もそれらしいことが書けないのだが、この素晴らしい小説、そして映画の楽しみ方は視点の置き方だと思う。
「同情」するか「非難」するか「軽蔑」するか、「共感」するか。
止まない雨の気配を感じながら2冊目。
『静かな爆弾』
吉田修一氏といえば『犯罪小説集』にある、生活の中にじっと潜む狂気や、たびたび「映像化不可能」と言われる過激な作品をイメージする方が多いかもしれない。しかし彼は純文学家としての表現も評価されているように、この『静かな爆弾』を読むと、美しい抒情が頭の中に流れ込んでくる。
閉門間際の公園で静かに座る彼女、響子のゆったりとした動きに目を奪われながらも唇の動きを読まれていることに俊平は気がついた。
この本のタイトルに込められた意味はあらゆる場所に潜んでいる。響子との暮らしに潜む危険や、見えない悪意。世界情勢を追うテレビマンである俊平の慌ただしい日々からは恐ろしく映る響子の静かさ。
どこか淡々と進むページに仕込まれた爆弾が、音もなく膨れていく。
これも何度めかの読了だが、忙しさを理由に身勝手な主張をする“いかにも”な俊平の物言いには、正直腹が立った。
またいつか読み返したらどんな感想を抱くのか。
暗くなるともう雨は止んできた。でも寒い。
買い物をして帰って、落ち着いてもう一冊。
『ひなた』
1ページ目から「かわいい部屋のかわいいクッションが似合ってしまう」という尚純の容姿が気になり、
そのあとに「よく似合う」と言われたのが百貨店の店員に薦められて購入した ブランドのTシャツだと思って臍が出るほど引っ張ってみせる素直さが、
目の前で見ているように可愛らしく思えて、平積みされた一冊を手に取った。
少し『パレード』と似ているのは、登場人物の視点でそれぞれの季節を過ごし、彼らを取り巻く関係性や抱えるものが剥き出しになっていく構成だ。
しかしあくまで彼らは恋人同士であり、兄弟であり家族である。他人との関係性よりも難しいのはそこだろう。恋人でも、家族でも、見えない部分や言いたくない、知られたくないことはいくらでもある。そんな自分が恥ずかしいと思ってしまうことも。
自分の思いとリンクさせつつ、しかし物語で起きる人間ドラマを読んでいくと彼らが好きになった。
最後のページの開放感はまさにタイトル通りだと。
雨の音も聞こえなくなって、あっというまにベッドで眠い目をこすりながらまとめている。
吉田修一氏の著書でも比較的読み易く解釈も余白の大きな3冊を一気に読んだけれど、やっぱり氏の描く人間らしさというものが大好きだ。
幸せそうに見えても、満たされていない。
美しい情景描写のなかにあるドロドロとした内面の不快感とギャップ。氏が普段どんな目で人間を見ているのだろうと淡々とした言葉に惹きつけられる。
これなんて、本当に文学が好きなのだと語り足りないくらいの熱量が心地よいエッセイだ。
『横道世之介』シリーズが完結になることだし、
初の長編シリーズである『太陽は動かない』についても感想をまとめられたらいいな。