普通の人間が、普通でありながら、普通じゃない「働く」を目指してもいいんだ。
僕は、自分のことを普通の人間だと思っている。秀でた能力があると自負しているわけでもないし、これといった強い価値観を持っているわけでもないし、独特な世界観を貫いているわけでもない。
いたって普通で面白みのない人間。それが僕だ。
なのに、いわゆる「普通の働く」ができなかった。
週5日働くのがしんどい。ずっと机に座っているのがしんどい。ノルマを課されると息ができなくなる。課された目標の達成に向けて頑張れない。成長を求められるのが苦しい。淡々と暮らすのも苦しい。愛想笑いが苦手。人見知り。違和感がすぐ身体に出る。
多くの人が「働くってそういうものだよね」と思ってやりすごしている(であろう)ものを、僕は乗り越えることができなかった。
結果、いまはフリーランスに近い「働く」に流れ着き、なんとか息をしているという状態。心地好く生きる…なんて程遠く、悩み迷い苦しみながら、日々をやっとのことで生きている。
「働く」に違和感がなければ、どれだけ生きやすかっただろうと思う。けれど、合わないものは合わない。仕方がない。自分らしい「働く」を見つけないといけない。そう思っている。
だからなのか、自分らしい「働く」を体現している人を見ると眩しくてしょうがない。大企業でバリバリ働いている人、フリーランスで自分の望む暮らし方をしている人、自給自足を目指して動いている人。自分を貫くいろんな人に出会っては、その強い光が生み出す僕という影を見て、ため息をつく。
ため息が出るのは、僕の目には、彼ら彼女らが“普通じゃない人”に映るからだろう。普通じゃないから、普通じゃない「働く」ができているんだと。だったら、普通な僕は、普通の「働く」しかできない。
ずっと、ずっとそう思っていた。
だから、独特な価値観や強い世界観を持ちたかった。そうじゃないと、自分らしい「働く」を体現することなんてできない。いつまでたっても、息苦しいまま。普通な自分を毛嫌いしていた。
けれど、逆立ちしても自分は自分にしかなれない。決意ひとつで価値観が生まれるわけもなく、意気込みだけで世界の捉え方が変わるわけもなく。
普通なのに普通に働けない。どうしたらいいのかわからなかった。
そんなことを、お風呂に入りながら妻に話していたら、こう言われた。
あぁ、そうか。普通なのに普通に働けないと、僕はしんどくなっていた。でも、そこで“普通じゃない人”を目指しても、何も変わらないんだ。
突飛な考え方をするわけでもないし、強い信念を持っているわけでもない。そんな普通の人間が、普通でありながら、普通じゃない「働く」を目指す。
そんなことは、絵空事なのだろうか。甘えなのだろうか。普通の人は、普通に働くしかないのだろうか。
でも、普通なのに普通に働けない人もいる。
だったら、絵空事だと笑われようが、甘えだと言われようが、普通じゃない「働く」を目指すしかない。
人によって普通は違うし、普通が悪いわけでもないし、普通と言いすぎて段々混乱してきたけれど。
僕が思う僕らしい「働く」は、少なくとも僕が思う普通の「働く」ではない。
そう考えると、諦めてため息をついている場合じゃない。なによりも、諦めて働いていけるほど、僕は強くないのだ。
僕らしい「働く」を諦めない。それが、普通な人間にできる普通じゃない選択なのかもしれないな。
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