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ライターを、手放します。

2月末で、ライターを手放します。副業でのライティングは続けますが、今後は違うお仕事をメインに。

「書くこと」はいまも大好きです。ずっと、ずっと書き続けていたい。でも、「書くこと」に真正面から向き合うライターさんと出会い、僕が信じる次の道に挑戦したいと思ったんです。

尊敬するその方から教わったことを含め、僕と「書くこと」にまつわる話をまとめてみます。誰のためでもなく、ただ自分のために。

小説ばかりを読んで育ったこともあり、「書くこと」への憧れは人一倍でした。小学校の作文では、将来の夢に小説家と書いた覚えがあります。

けれど、「憧れは理解から最も遠い感情」という愛染さまの名言よろしく、いつしか「自分は小説家にはなれない」と思うように。小説家って、もはや畏怖の対象なんですよね。無から彩り豊かな世界を生み出す、魔法使い。一体全体、彼・彼女らはどんな頭の中をしているのか。小説にハマればハマるほど、面白い物語に出会えば出会うほど、自分はそっち側に行けないんだと、心に刻み込むようになりました。

そうやって育ったからか、中高生・大学生の頃に描いた未来に「書くこと」が存在していたことはありません。「書くこと」に憧れていた事実すらも、心から抜け落ちることに。就活も、まったくの畑違いの業界で進めていました。

そんな僕が「書くこと」を始めたのは、2019年の冬。転職したものの、生きる道を見失い、体調を崩していた時期でした。書き始めたきっかけは、当時参加していたコミュニティで「ライターアシスタントやってみませんか?」の募集文を見つけたこと。どうやら、「書く=小説を書く」じゃないらしい、そして、アシスタントからできるらしいぞ……。恥ずかしながら、小説以外をほとんど読んでこなかったので、ライターという職業を知ってはいても想像ができていませんでした。具体的に何をするかも分かっていない。けれど、どうやら小説以外の形で「書くこと」に携われるらしい。もしかして、この機会を逃したら後悔するのでは……? そういえば、「書くこと」に憧れていたよな……? 「なんでもやるので、お手伝いさせてください!」気が付いたら、応募メッセージを送っていました。

最初に任せていただいたのは、まさにライターのアシスタント。取材の音源をいただいて、文字起こしをする業務でした。それが、とっても楽しかった。イヤホンを耳につけるだけで、知らない世界が目の前に広がる。あんな人の人生や、こんな人の生き方を垣間見ることができる。文字起こしが終わったときには、僕の考えが少しだけ広がった気がする。あれ、これは楽しいぞ……!

そんなこんなで文字起こしを繰り返していたところ、「あくつくんも書いてみる?」とお声掛けいただけることに。なんだと、楽しい作業のその先ができるのか。そんな願ってもいない機会をいただいて、僕のライター人生が始まりました。

音源から記事を執筆する形から始まり、取材に同行するようになり、自分で取材するようになり……。小さい頃に憧れていた形とは違うものの、「書くこと」でお金をもらえるようになったんです。嬉しいに決まっているじゃないですか。そして、自分が好きなことは追求したくなるのが、人の性分。もっともっとライティングを学びたい。名ばかりのライターにはなりたくない。

そう思い、2020年の春に入会したのが、株式会社インクワイアさんが運営するライティングコミュニティ「sentence」。sentence主催の一般公開イベントにて、「世のライターさんは、こんなに考えて書いていらっしゃるのか……!」と衝撃を受けたことがきっかけでした。そして、入会後にその方から学んだことが、僕のライター人生に大きな影響を与えることになります。

「書くって、おそろしいことなんですよね」

そう語るのは、story/writerの西山武志さん。僕が尊敬し続けている方です。最初は、仰っている意味が分かりませんでした。もしかしたら、いまでもその“おそろしさ”の全貌は分かっていないのかもしれません。けれど、西山さんとお話するたび、少しずつ、本当に少しずつ、駆け出しライターの僕ですらも“おそろしさ”を感じるようになっていました。

誰かのことを書くとき、その人について「書いて見せる」部分よりも、「書かれていない」部分の方が、いつだって圧倒的に、途方もなく圧倒的に多い。書いて「伝えている」と思い込んでいるだけで、本当はそこに書かれなかった多くのことを、隠してしまっている意味合いの方が、ずっと大きいのかもしれない。
(中略)
生きている人たちの「narrative」を「story」にする行為は、今なお動き続けている誰かの人生を、ある一点、ある方向性で縛りつけてしまう危険性がある。意図せずとも、そうなってしまうかもしれない。
(西山さんのnote「物語り」を「物語」にする仕事です より引用)

人からお話を聞いて、その内容を記事にして世に届ける。ライターとは、そういうお仕事。その性質上、危うさが自ずと含まれてしまう。どんなに濃密なライフインタビューだったとしても、必ず「切り取り」が生まれるからです。20歳なら20年、40歳なら40年、人には過ぎ去った時間が存在します。インタビューとは、その方が過ごした膨大な時間の一部を切り出すこと。そして、インタビューした内容を記事にするとは、その切り出しを更に切り貼りすることです。

怖さはそれだけじゃない。切り貼りした綺麗な物語として世に出すと、綺麗な物語が、その人の人生だと捉えられてしまう。その物語は、あくまでも人生の一部を取り出したものに過ぎないのに。もっともっと、語られていない部分があるはずなのに。この捉え違いは、他者にだけ有り得る話ではなく。インタビューされた自身でさえ、「自分の人生ってこんな物語だったんだ」と内面化してしまう可能性がある。

人生の物語化が持つ力は絶大です。消し去りたい過去の出来事にさえも、意味を付与することができる。けれど、物語として語ることで、指の間からこぼれ落ちてしまうものも、絶対に存在する。

「書くこと」が持つ、ある種の暴力性。西山さんは、この暴力性にとても自覚的な方でした。

記事を書く以上、“情報の切り取り”は絶対に発生します。相手の本意でないストーリーも、自分が書くことで“真実のようになってしまう”かもしれない。人に話を聞いて書く行為は、相手の人生に大きな影響を及ぼし得るものなんだ。そう気づいてから、僕にとって書くことはずっと、おそろしい行為なんです
書く仕事は、おそろしい。人の話を“切り取る”ことに怯えるライターが、それでも書き続ける理由【書くと共に生きる人|西山武志さん】 より引用)

この“おそろしさ”を理解すればするほど、なぜ僕は「書くこと」をしたいのだろう、という疑問が深まっていきました。もちろん、「書くこと」は尊いです。まだ知られていない知見を世に共有できる。過去からのバトンを未来に受け継ぐことができる。迷い悩んでいる多く人の背中を押すことができる。挙げ出したら止まらないほど、「書くこと」には魅力があると思っています。

それでも、僕は“おそろしさ”のその先に行けなかった。その先に行こうともがく理由が、僕の中に見つけられなかったからです。

「書くこと」には、世の中を変える力があると思っています。ひとりの書いたものが、大多数に届けられる。その可能性は計り知れません。僕が現在携わっている「書くこと」もそう。多くの人に価値を届けるため、一言一句に気を配っています。顔も知らない方から「記事を読んで救われました」と言っていただいたことも。意義は、大きい。

けれど、いや、だからこそ、目の前で悩んでいる大切な人に対して、すぐに手を差し伸べることはできないとも感じていました。「人生が辛くてさ……」と語る友人を前に、何もできなかった自分がいる。多くの人に価値を届けているのに、大切な人に寄り添えていない。

あぁ、僕は誰のために生きていたいんだろう。

誤解のないように言うと、これは「書くこと」の限界ではなく、僕の力量不足です。たったひとりに向けた「書くこと」も、目の前の人を救うための「書くこと」も存在するはず。

けれど、いまのまま漫然と書いていても、そこにたどり着くことはできない。目の前の人に対してどうありたいのかを、もっと考えたい。悩んでいる大切な人に向けて、どう一緒にいたらいいのかを考えたい。

僕は、多くの人のためではなく、大切な人のために生きていたい。

そのためには、もっと“人”と向き合う必要がある。悩んでいる人は、何に悩んでいるのか、どう悩んでいるのか、なぜ悩んでいるのか。前を向きたい人は、何を欲しているのか、どんな言葉を待っているのか、どう関わって欲しいのか。

そこが分かっていないのに、大切な人のために生きることなんて、できない。いまの「書くこと」からステージを変えないと、目の前の人の側を歩けない。

だからこそ、今回ライターを手放す決断をしました。

この意思決定に至ったのは、西山さんの「書くこと」への向き合い方に触れたからです。こんなに真正面から悩む方の存在を知らなければ、きっと深く考えないままに書き続けていたはず。勝手ながら、尊敬の念が尽きません。

sentenceを退会する際、西山さんに感謝をお伝えしたところ、胸が熱くなるメッセージをいただきました。

あくつさんは「伝える」ことに真摯に向き合える方だと思います。それはきっとライター以外でも必要な姿勢。新たな道も、応援しています。

あぁ、“おそろしさ”を前に茫然としていた時間は、無駄じゃなかったんだ。

「誤解を生む表現じゃない?」
「この単語選びで良いんだっけ?」
「文章の流れ、これで伝わりやすいかな?」

ライター活動で培われた姿勢は、これからの糧になる。そう信じて、僕は次の道を進みたいと思います。

そして、いつの日か。大好きな「書くこと」を手に、目の前の大切な人に寄り添えるよう。

2月いっぱいでライターを手放します。でもそれは、僕なりの「書くこと」を見つけるための選択。

“おそろしさ”のその先へ――

僕にしか歩めない道を、少しずつ進みたいと思います。

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