安久都智史/とろ火

その人を“その人”たらしめるドロッとしたものを探る「とろ火」という活動をしています。こ…

安久都智史/とろ火

その人を“その人”たらしめるドロッとしたものを探る「とろ火」という活動をしています。こちらでは断片的なものを。妻とお子がだいすきです

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最近の記事

いい感じの短歌研究:三首目

このシリーズは、僕が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を考えてみる試みです。日課にしていきたいので、1000字以内。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 蒼井杏さんの『推しとショボンヌ』に収録されている歌。 部屋から外の雨模様を眺めながら、予定のない一日を憂う…といった、言ってしまえばありきたりな絵が浮かぶのに、なんで雰囲気を持っているんだろう。 雰囲気という言葉で逃げるのは良くないか。なんてことのない景色も、視点を変えてフィルムカメラで切り取れば、そこに

    • いい感じの短歌研究:二首目

      このシリーズは、僕が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を考えてみる試みです。日課にしていきたいので、1000字以内。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 穂村弘さんの『短歌ください 君の抜け殻篇』に収録されている、後藤葉菜さんの歌。 ぱっと浮かんだのは、「取り戻せないもの」という単語だった。 どんな時代にも色はある。世界は、いま僕が感じているような色合いを帯び続けている。なのに、僕たちはそんな事実を忘れてしまう。白黒写真や映画の影響で、ここ数十年でようやく

      • いい感じの短歌研究:一首目

        このシリーズは、僕が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を考えてみる試みです。日課にしていきたいので、1000字以内。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 昭和時代後期の歌人・小野茂樹の歌。 夏って、世界は濃い色をしていて生命力に満ちているのに、なぜか切なさが透けている。よくよく考えると、どの季節にも切なさはあるけれど、僕は夏の切なさが一番好きかもしれない。 この歌は、その好きな部分が香ってくる。「香ってくる」とつい書いてしまったよう、五感が勝手に駆動する感

        • 小ささの大きさ日誌〜生後5ヶ月目〜

          キリの良さというものは、人間が勝手に世界に定規をあてているだけで。なんの意味もない…とは知ってるのだけれど、やっぱりどこかで節目として感じてしまう。 こんなことを書いているのは、先日お子が生後半年を迎えたから。6ヶ月。毎月こうした振り返りを残しているけれど、<6ヶ月=半年>という変換が可能な数字というだけで、急に特別になってくる。でもそれだけじゃなく。宇多田ヒカルさまが「ただの数字が特別になるよ」と歌っているよう、その身勝手な定規は、ときとして愛情でできているのかもしれない

        いい感じの短歌研究:三首目

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        • 小ささの大きさ日誌
          7本
        • 生活者の探究
          3本

        記事

          迷いと熱

          いろいろと「やってみる」を重ねている今日このごろ。それ自体は自分でも褒めてあげたいくらいだけれど、中途半端さに嫌気が差すことも多い。足取り軽くやってみることは良い。でも、「やってみる」は手段でしかないはずで。じゃあ、その先にある目的を見据えられているのか、というと全くそんなことはなく。 このあいだ、友人に「やってみるって怖い」という話を聞いてもらった。うまく言葉にできなかったのだけれど、もし言い直せるとしたら「本気になるって怖い」こそが、いまの僕が感じていることなのかもしれ

          小ささの大きさ日誌〜生後4ヶ月目〜

          お子が生後5ヶ月目に入った。数字が持つイメージだと思うが、4と5のあいだには大きな壁がある気がする。お子を抱っこしていると、「かわいいねぇ、いまどれくらい?」と聞かれることが多いけれど、「4ヶ月目です」と「5ヶ月目です」という返答では感覚がだいぶ違う。遠くまできたな…と感じるくらいの月日が流れたのか。既に振り返らないと見えなくなった思い出たちを眺めつつ、これからもお子の“いま”の横に居続けよう。 寝返りをした 4ヶ月目の最大ニュース。先月も身体をねじってはいたので、もうち

          小ささの大きさ日誌〜生後4ヶ月目〜

          小ささの大きさ日誌〜生後3ヶ月目〜

          お子が生後4ヶ月を迎えました。ひと月過ぎるたびに、「もう一ヶ月経つんやねぇ」と妻と振り返るのが、恒例の楽しみになっています。あっというまの4ヶ月。忙しない日々なので、手がかりなしに思い出そうとしても掴みきれないのですが、写真や記録を見返すと、お子のたくさんの成長に気付きます。 けれど、なにかができるようになったという感動は一瞬で、いつのまにか当たり前の日常になってしまう。慣れは怖いものです。抱っこに慣れた、寝かしつけに慣れた…など、滑らかな日々をもたらしてくれる一方で、目の

          小ささの大きさ日誌〜生後3ヶ月目〜

          小ささの大きさ日誌〜生後2ヶ月目〜

          お子が生後3ヶ月を迎えた。先月書いた記録を読み直したり、1ヶ月間に撮りためた写真や動画を見返したりすると、「こんなに変わったのか…」と驚く。それは毎月のことだけれど。 この子にとっての世界は、とんでもない速度で変化しているんだろう。赤ちゃんには、メンタルリープという、脳が急速に発達する時期が何回もあるらしい。五感の発達や、意識の誕生などなど。僕はもう、「世界に反応しているけど、意識はない状態」なんてわからなくなっているけれど。お子の世界は、毎日のように目まぐるしく変わる。

          小ささの大きさ日誌〜生後2ヶ月目〜

          当たり前にケアしたいし、当たり前にケアされたい

          子育てを、夫婦ふたりでしている。お子はかわいい。笑顔を見せてくれるたび、妻と黄色い声をあげる。天使だと思う。本当に、生まれてきてくれてありがとう。 そんな感謝が真ん中にどっしり構えている前提で、子育ては大変だ。なにが大変なのか、一つひとつを書き連ねると大したことない気がしてしまうけれど、なんだかもう大変だ。 このケアをめぐる疲労。一筋縄ではいかない。 最近強く思うのは、お子をケアしている親は誰にケアしてもらうのだろう…ということ。 僕たちはふたりで動けているので、互い

          当たり前にケアしたいし、当たり前にケアされたい

          連絡の見ない振りをやめてみる(おためし その2)

          Slackのメンションが苦手です。あの“スコココンッ”て音が聞こえると、身体がかすかに固まってしまう。 その他のメッセージもそう。通知とにらめっこしながら、「なにか怒らせることしたかな…」とか「傷つけちゃったかな…」とか、妄想が羽ばたいていく。 そして、伝家の宝刀「見ない振り」。通知はそのままに、メッセージアプリをそっと閉じる日々。たいていは、数時間後に「んーー、えいや!」と開いては、どうでもいい連絡たちで。勝手に疲弊した時間だけが、積み重なっていくのでした。 そして、

          連絡の見ない振りをやめてみる(おためし その2)

          “試しに”書いてみるエッセイ(おためし その1)

          毎日noteをしている友人J…の話を一緒に聞いていた友人Sが「エッセイ書いてみる!」と言っていたのもあり、触発されて筆をとってみます。 というのも、なにかの本でエッセイの語源についてを読んで、それいいなぁ…と思っていたから。(なんの本か忘れてしまい、その文には出会い直せない…) どうやら、エッセイとはフランス語で「試す、試みる」を意味する“essayer”から来ているらしいです。「おためし」が持つゆるさとわくわくのブレンドに惹かれる身としては、語源の意味するところに興味が

          “試しに”書いてみるエッセイ(おためし その1)

          小ささの大きさ日誌〜生後1ヶ月目〜

          少し過ぎてしまったけれど、先日お子が生後2ヶ月目に突入した。生まれてから60日。まだ60日しか共に過ごしていないなんて。なんだかずっと前から一緒にいる気がする。 0ヶ月目を終えて、1ヶ月目も終えてしまった。前回の日誌にも書いたけれど、生後1ヶ月のお子にはもう会えない。その事実が寂しいし、その事実が楽しみをもたらしてくれる。 あのときブカブカだった服も、いまやつんつるてん。先月にはできなかった動きも、たくさんするようになった。お子は日々変化する。そのスピードには驚かされてば

          小ささの大きさ日誌〜生後1ヶ月目〜

          小ささの大きさ日誌〜生後0ヶ月目〜

          小さく大きな存在が、この世界に来てくれてから、はや1ヶ月が経った。いつの間にか、新生児と呼ばれる期間は終了。いまは乳児と呼ばれるらしい。 時間の流れがおかしい。あれ、先週生まれたんじゃなかったっけ?と錯覚するくらい。もう1ヶ月か。子育てを経験した人が、「生まれて数ヶ月は記憶ないかも」と言っているのをよく聞くけれど、こういうことかと思う。ふと気付くと1日が終わっていて、ふむ…と首を傾げていると1週間が終わっている。そして、1ヶ月。うん、おかしい。 「お腹へった!」「眠たい!

          小ささの大きさ日誌〜生後0ヶ月目〜

          あなたの存在は、それだけで愛されるに値するんだよ

          この文章を、いつかのあなたは読んでくれるのだろうか。葛藤もすべて書いてあって、複雑な気持ちになるかもしれない。でも、あなたを愛してきたこと、愛していることもたくさん記しているから。生まれる前のあなたを祈る気持ちは、いまのあなたへの想いと同じ。 あなたに宛てた手紙なのか、記録のためなのか、書き連ねるほどにわからなくなってくる。でも、ここにある全ての言葉は、あなたが紡がせてくれたもの。いつかのあなたの足元を照らす…とは言えないかもだけれど、たしかな足取りを少しだけ支えられること

          あなたの存在は、それだけで愛されるに値するんだよ

          ほとばしらせる

          いまだから浮かぶ言葉があるはず、とエディタを開いたものの、言葉はいつだって、逃したら二度と会えないものであって。だったら、僕はいままでどれだけの言葉を蔑ろにしてきたのだろう。 ここでいう言葉とは異なるけれど、5年ほど前から、「思考とことばが生きる意味」を掲げ続けている。スローガンではなく、僕の信念に近い。ことばは、その人が現れる媒介。それは、言葉・絵・作品・料理・写真などなど、さまざまな形で現れる。 僕にとってのことばは、いまのところ言葉だと感じている。言葉といっても、形

          宙に浮く言葉

          たしか小学六年生のときだったと思う。昼休みと地続きになった総合の時間かなにかで、フルーツバスケットをするため、僕たちは椅子を丸く並べていた。先に並べ終わった僕と友人は、いつも通り窓際でふざけあっていた。「なんでやねん!うっさいわ、死んどけ!」と強めのツッコミを入れる。友人がウッヒッヒと笑う。何十回も繰り返したやり取り。 ふと「どうしたの?」という声が、僕の横を通り過ぎる。顔を動かすと、同級生の女の子が泣いていた。「大丈夫?」「具合わるい?」正義感が強そうな人たちが投げかける