当たり前にケアしたいし、当たり前にケアされたい

子育てを、夫婦ふたりでしている。お子はかわいい。笑顔を見せてくれるたび、妻と黄色い声をあげる。天使だと思う。本当に、生まれてきてくれてありがとう。

そんな感謝が真ん中にどっしり構えている前提で、子育ては大変だ。なにが大変なのか、一つひとつを書き連ねると大したことない気がしてしまうけれど、なんだかもう大変だ。

このケアをめぐる疲労。一筋縄ではいかない。

最近強く思うのは、お子をケアしている親は誰にケアしてもらうのだろう…ということ。

僕たちはふたりで動けているので、互いをケアできる日も多い。でも、ときには、ふたりともぐったりの日もある。

今日がそうだった。なんとかなったし、いままでもなんとかなっているのだけれど、この“なんとか”を過信していると、近いうちに痛い目をみる予感がする。

なんとかなるはず…と力み続けると、いつか心はぶっ壊れると知っている。

これは子育てに限らないはずで。人間が生きていく営みに、ケアは必須だと思っている。でも、ケアの矢印を出しているだけでは、なにかが澱んでしまう。

誰かを当たり前にケアしたいし、誰かから当たり前にケアされたい。

心が壊れるのを見たくない。心を壊したくない。ただそれだけを、貫くのがなんで難しいんでしょうね。


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