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小ささの大きさ日誌〜生後5ヶ月目〜

キリの良さというものは、人間が勝手に世界に定規をあてているだけで。なんの意味もない…とは知ってるのだけれど、やっぱりどこかで節目として感じてしまう。

こんなことを書いているのは、先日お子が生後半年を迎えたから。6ヶ月。毎月こうした振り返りを残しているけれど、<6ヶ月=半年>という変換が可能な数字というだけで、急に特別になってくる。でもそれだけじゃなく。宇多田ヒカルさまが「ただの数字が特別になるよ」と歌っているよう、その身勝手な定規は、ときとして愛情でできているのかもしれない。

まだまだ半年。されど半年。やっと半年? いやいや、あっという間の半年。

今月も、お子とのおはなしを書き残そう。最近は箇条書きでまとめていたけれど、筆が進むままにつらつら書いてみる。なんてったってキリが良いからね。文章は逆に雑然とさせましょう。

お子、おしりにくまさんを宿す

なんだか、ぽにんぽにんになってきたお子。この世に生まれ出てから、なんなら妻のお腹のなかにいたときから、可愛くなかったことはないんだけれど、より一層可愛くなった。まんまるお顔に、ぷにぷにおてて、むちむちあんよ。マスコットかな…?と思えば、自分の意志を丸出しにして泣き喚いている。「人間だぞ!」と叫んでるかのよう。

半年も経てば、親の自覚だったり、家族がひとり増えた実感が生まれるのかな…と思っていたのに、なんにもないのが事実で。いまでも、「そっか、目の前の天使は我が子なのか」と二日に一回くらいは感動している。

半年前に頑張って生まれてきてくれた、お子。1年前はエコー写真でしか存在を確認できなかった、お子。2年前には一欠片の存在もなかった、お子。なのに、いま腕のなかでは7kgほどの重み。この途方もなさ。あなたはどこから来たの?

存在自体が不思議なお子は、この世界すべてが不思議みたいで。好奇心の赴くままに、いろんなものを掴んだり舐めたり叩いたりしている。その姿を見るのが、とても面白い。ずっと怖がっていたシャワーヘッドを見つめるようになったり、おもちゃ箱をひっくり返しそうになったり、吊られているプーさんの人形の両腕を両手で掴んだり。両腕を引っ張るとね、磔の刑みたいなんよ。生贄になったプー。

なにかに興味津々なお子の目を覗き込んでみると、とても真剣な目をしていた。この子は、本気で不思議がっているんだなと思う。「なんだこれ!」「変な音するぞ!」「知らない感触や!」と、好奇心と一体化して、なにかにひたすら魅せられている。その真っ直ぐさには、なんだか大切なことが宿っている気がする。

むちゅむちゅに夢中につき

先月の振り返りをする直前、お子ははじめての寝返りをした。そして1ヶ月後。もはや得意げな顔もすることなく、当たり前のようにころころしている。僕らも、「すごいねぇ」と言う回数が減っていった。思い返せば、笑っていなかった時期もあるし、物を掴めない時期も、目が合わない時期もあったんだなぁ。ものすごい速度で“できること”が増えている。それらは、気が付くと当たり前のことになって。これからはじまるであろうハイハイや離乳食を食べること、おすわり、つかまり立ち、おはなし…もすべて、最初は感動の対象だったのに、あたかもずっとそこにありましたよ顔を見せるようになる。それが成長を見守る、ということではあるけれど、はじまりの感動の影は捉え続けていたい。その影は、お子の存在そのものへの感動へと繋がっているはずだから。

お子の存在に感動することは、世界に感動することで。それって、自分の存在にも感動することで。エーリッヒ・フロムが『愛するということ』で、「一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛するということであり、世界を愛し、生命を愛すること」と記していた気がする。数年前に読んだときは「なぁに言ってんだか」と鼻息で吹き飛ばしていたけれど、なんとなくわかる気がするようになった。なんとなく。愛する、は個人的になんだかおさまりが悪いので、感動するに言い換えているけれども。

最近、「驚きと驚嘆は違う」と論じている文章を読んだ。驚きというのは、予想や予測がはじめにあって、そこからの逸脱に対して衝撃を覚えること。一方の驚嘆は、はじめになにもない。なにかとのズレではなく、そのものに対して目を見張ることなんだそう。僕が言いたい感動は、この驚嘆だと思う。センス・オブ・ワンダーという用語で言われることも多いかな。

お子にまつわるすべてに、目をまんまるにし続けたい。それこそ、お子がなにかに取り憑かれているかのように。そのためには世界に驚嘆しないといけないし、自分にも驚嘆しないといけない。あらゆるものを不思議がることで、お子の存在そのものに感動し続けることができる。はず。

書いていて感じるけれど、昨年の3月2日、お子の存在がわかった日に、僕が一生見つめていたいと願うものが生まれたのだと思う。言い回しや濃淡は変われども、真ん中にあるものは一緒。

本当に、お子は大切なことを教えてくれる。僕がお子に教えることなんて、ほんのちょびっとしかないのだろう。お子先生に教えを請いながら、感動・驚嘆・不思議を見つめ続けたい。

半年、ありがとう。やっと半年? もう半年? いやいや、まだまだ半年ですよ。これからも、ずっとよろしくお願いします。

妻目線の5ヶ月振り返りはこちら


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