人に伝えたくないこともある
映えるとかバズるとかフォロワー数とか、やたら発信、共有、手をつなごうという風潮。
良い面はたくさんある。気軽に自分の思いが発信できる。共有できる。今まで伝えられなかった過程や思いが届いたり届けたりして新鮮。
機器の発達はすごい。そしてそれでビジネスするというのも、自己承認するというのもちょっと前までは考えられなかった。
反面、何故思いを自分の中に留めておいてはいけないのかという気になる。何もかも伝えなくてはならないのかという気にもなる。
思いは伝えるためにあるのではない。自分の中にとどめて消化するだけのものもある。何かことがあればすぐ伝えましょう、というのもどこか気に入らない。
ただひたすら消費されていくような感覚。自分の思いも消費されていくような感覚。商品として記号のように陳列されてるような。
私は消耗品ではない。私の思いも消耗品ではない。自分の商品化というのにどこか抵抗がある。人の手垢に塗れるのに抵抗がある。
多分どこか聖域のようなものを自分の中に作り出しているんだろう。そこでは沈黙を守って修道女のように佇む存在がある。周りにはなんの価値もないのだろうけれど。それがなんの役に立つのかはわからないのだけれど。
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