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最近の記事

子供たちへ

人はわかりあえるもの だからわかりあう努力をしなさい だなんて 自分でも信じていないことを子供に教える 表面は毅然と 内面は揺れながら 子供たちよ 大人になってからあなたは気づくでしょうか 私のついた大きな嘘に そして失望するでしょうか 大人は皆嘘ばかり言うと そんな理想はどこにも転がっていないのだと 子供たちよ 事実はどうあれども あなたが生きているこの世の中は美しいものだと伝えたかった 信じるに足るものだと教えたかった あなたの明日が希望で満たされるように

    • 報復

      私の全てをわかった風なことを言わないで 標本台の上に広げられた虫のように 私にあなたの字でタグをつけるのはやめて メスのように切り刻む言葉を私に向けないで 私になすりつけられた泥をそのままあなたに返してあげる あなたの顔に塗りつけてあなたの体を切り刻み 憎しみを全部あなたに返してあげる あなたにされたことをそっくりそのまま あなたに受けた感情そのまま あなたに返してあげる

      • ダン、ダン、ダダン!

        優しい人に囲まれる幸せ そして優しい人の中で窒息する 人間関係は関係性を重要視すれば 生の感情など美徳の名の下で鎮圧される それは美しく麗しいこと 自分が関係を大事にすればするほど 荒々しく奔放で身勝手極まりない感情は 相手への尊重と共に削られていく 関係に囚われ縛られるほどに自由は損なわれ身動きは取れなくなる 汚らしい身勝手ではなくて 自分であるために 逃走する

        • 笑顔の下に苦しみを隠すこともある

          noteの記事を読むと、何がしかの苦しさや辛さを抱えながら生きている人が少なからずいることに気づく。 理由は様々あれども、皆個々の事情を抱えながら日々を生きている。叫びのようなものもあれば淡々と語るものもある。 それでも、辛い、悲しいと語るうちはまだ救いがある。そんなことをおくびにも出さずにいた人の事情を知り慄然とすることがある。それは現実世界でもそうだ。 今まで笑顔でいた人のその裏の悲しみや苦しみに気づいた時、今まで自分は何を見ていたのだろうと思う。いつも笑顔でいる人

          可哀想な人

          ほんと、あなたは意地が悪い 優しい言葉をつかっても意地の悪さが漏れ出てます 隠そうとしても無駄なのです ちらちらと底意地の悪さが見えるのです ほんと、あなたは可哀想 偉ぶってはいるけれど 心の中は空っぽで 自信がなくて何も成さなくて 可哀想な人です、心から 人の欠点をあげつらい 自分が偉くなったつもりになる ほんと、あなたは可哀想

          可哀想な人

          バカにはバカと言いたい

          社会に生きる者として バカにバカとは言いません   お前嫌いとは言いません 気に入らないとは言いません お前の意見は求めていないとは言いません ウザいともキモいともアタオカとも言いません 社会に生きる者なので 思ったことをそのまま口に出すような はしたない真似は致しません 余計な一言は申しません そしてどっと疲れます 感情を殺して生きています 社会に生きる者として

          バカにはバカと言いたい

          努力は報われないこともある

          そう発したのは羽生結弦選手だったか。 努力故の怪我、金メダル保持者としての重責。羽生選手にそれほどの思い入れがなくとも大きなプレッシャーを強いられ多大な努力を重ねてきたのだろうことは推察できる。 いろいろな見方があるだろうけれども、オリンピックでは運がなかったのだと思う。ここでは、羽生選手ではなく「努力は報われないこともある」という言葉自体について切り離して考えたい。羽生選手に関しては素晴らしいフィギュアスケート選手だと思っている。 努力が報われないことは多々ある。努力

          努力は報われないこともある

          自己主張すること

          日本に生まれた人なら、自己主張はさほどしない、明確な意見は避けるというのが習い性になってるかと思います。特に、地域社会ではまだまだその感覚が生きています。 学校教育で自分の意見を明確にして話す、話し合えるのを掲げているのに比べておかしなことです。その裏には、立場を明確にすると自分の足元が危うくなることがある、と世間知がある人は知っているからなのでしょう。 外国では、とにかく意見を戦わせる、相手の話など聞かなくても自己主張するような雰囲気があります。どちらがいいのかはその国

          自己主張すること

          雨宿り

          縁側に小鳥が雨宿りに来ました。 わずか1メートル足らずの位置から人間が覗き込んでいるというのに、気づかない様子。 窓ガラスがちょうどいい具合に曇って向こうからは見えなかったのでしょうか。 こんな近くで野鳥を見た経験がなく、この小鳥は生き延びていけるのか心配になりながらも、羽繕いをする愛らしい姿を堪能しました。 小鳥の種類が分からず、ネットでも調べてみたのですがわからずじまい。 雨の日の可愛いお客様でした。 画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしたものです。似て

          テントウムシ

          てんとう虫 天道虫 ここまでは知っていたのですが、次のようにも表記するそうです。 紅娘 ネットの記事で見たのですが、ちゃんと文字の変換例の中にもありました。 暖かくなり花が咲き出したのが嬉しくて散歩中にスマホで撮ってたのですが、テントウムシを見つけました。(見出し画像は、みんなのフォトギャラリーからお借りしたものです) てんとう虫の季語は夏、晩夏だそうです。そういえば、子供の頃よく見かけたのは秋の初め頃だったような気がします。 真っ赤な色に黒い斑点が可愛らしい

          テントウムシ

          立場による解釈の違い

          とある文学作品の解釈を聞いたことがあるのですが、文章というものは、受け取る側の立場や経験によって随分解釈が違うものだと思いました。 詳しくは述べませんが、同じ作品を読んでも若い人と年経た人では力点の置き方が違ったりします。自分の立場から考えるからです。 理解の浅い深いもありますが、感覚や何やらの違いは人によりある気がします。巧拙じゃなくとも。どちらが良いかとなると、もう好みとしか言いようがない。 良いものは良い、というものも確かに存在するのですけど。

          立場による解釈の違い

          部下の操縦法

          もういい年なんだから あれはやだ、これはできないって言わないようにしないとね 少し上の先輩が自分自身に言い聞かせるように言う そんなものかと思ったけれど 今だに私は嫌いなものが多すぎる 器が本当に小さくて 表はイエスと言いながら 心でノーと言っている 自分を高めるならばいいけれど 誰かの犠牲、誰かの後始末、誰かの代わり そんなことばっかり 君にはその程度の価値しかないとふんぞり返った上司にはわからぬように楯突いて 君は凄いという上司には 身を粉にして

          部下の操縦法

          これからの子供

          子供があどけなく無垢でなんていうのは、大人のたわごと 子供は子供なりに知恵を絞り、嘘をつき、なんとかこの世を生きている それでも子供時代が他と違うのは、それが長く長く自分の核となる部分を形作るからだ それを形作るのは周りの大人 愛情であれ干渉であれお節介であれ 巷では呪いなんてもいうけれど ちゃんと関わる大人があれば核は形成されるのではないか 気弱な子を叱ってばかりでは萎縮する エネルギーに満ちた子を放任すれば野放図になる 親が関わらなくても周囲の大人が

          これからの子供

          スタンス

          その時の感情の断片を時間があれば書き出しているのですが 多いときもあればまったくないときもあります 無理に吐き出す必要もないと思うので ほとんど自己満足に過ぎない独り言のようなものです 人のためというよりもっぱら自分のためなので 大量に投入する場合もあり フォローしてくださってる方の負担にならなければいいなと思います 全部読む必要もないわけで 気が向いた時に時々読んでいただけたら それだけでありがたいのです 優しい人ほど全部読まなければと思うようで それ

          スタンス

          へそ曲がりのお仲間

          書くことを趣味と言うな、とか 自分の作品をへりくだって言うな、とか うるさいなあ 常識に反発して気取っている人を見ると 逆に反発してやりたくなる ええ ヘソが曲がっているのはどちらも同じ 同じ穴のムジナ

          へそ曲がりのお仲間

          続けること

          毎日書かないとダメになってしまう 長いこと書かないでいて また書き始める日は 一番はじめと同じ ぎこちなく不安で自分のスタイルを思い出すまで時間がかかる 繰り返しているうちに自分の型を思い出す 時々型を破ってはみるものの 本質は変わらない 書かないでいると本質にたどり着くすべさえ わからなくなる 反復の重み 続けることの分厚さ 毎日は習慣でできている 習慣が束になった日常の揺るぎなさ

          続けること