寂しいときに、歌う娘
朝、陽の当たるベランダで、夫と洗濯を干していると、階下で娘が歌っているのが、聞こえた。
娘の歌声は、大きい。鼻歌なんてもんじゃない。
腹の底から歌っていて、よく響く。
曲は、
ピアノで習っている曲だったり、
学校で歌っている曲だったり、
自分で作った曲だったりする。
「今日もご機嫌だね」
「楽しそうだね」
夫と私は、よくそんな風に言い合っていた。なんならそれは、幸せな家族の一場面だと思っていた。
食事の時に何気なく娘に、言った。
「今日も朝、楽しそうに歌ってたね。」
「歌ってたけどね。私はね、寂しい時に歌ってるんだよ」
「えっ?」
予想外の答えが返ってきて、私は娘の表情をじっと見た。
「そうなの??楽しいときじゃなくて??」
「うん、寂しいとき。一人で一階にいる時とか、お留守番している時とか、一人でお風呂に入る時とか」
そうだったんだ。
「こどもが歌を歌っている=楽しいんだな。」と思い込んでいた。
でも、もっと小さい頃、彼女は本当に、楽しんで歌っていたはずだ。持っている人形を幾人も並べて、その隣に私を座らせ、お客さんに見立てて、アイドルみたいに歌って踊って聞かせてくれたことがあった。その時は紛れもなく、楽しくて歌っていた。見ていれば分かった。
いつからだろう。
いつから、寂しいときに歌うようになったんだろう。
私が二階にいても、追いかけて来なくなった頃からだろうか。
「一人で待てるようになったのね」と、私が思い始めてからだろうか。
そういえば、最近、娘が歌っている顔を、正面から見たことはなかった。
本当は寂しいのに、そばにいてほしいのに、
寂しさを紛らわすため、それとも自分を振るい立たせるために、
娘は歌っていたんだろうか。
あの時も、あの時も。
この子は寂しかったのかな、と思うと、胸の奥をギュウっと掴まれたように感じた。どこ見てるんだ大馬鹿やろう、ともう一人の私が掴んだのかもしれない。
そうやって、寂しさを乗り越えながら大きくなるのかもしれないと思いつつ、娘の気持ちを分かっていなかった自分が許せなかった。
子供の気持ちは、急速に変化する。
良く知っていたはずだった。
私自身、小さい頃好きだった食べ物を、いつまでも好きだと思って、そればかり買ってくる母にイライラしたことが何度もあった。飽きたし新しいものが食べたいと何度言っても、全然、今の自分の言葉は届いていない、見てくれていない。母の中での自分は、5歳くらいで歳が止まっていると感じた。
その頃、10代は、つい最近のことだと思っていたのに。
もう、娘も2歳3歳の子供ではない。
二人きりで、一日中過ごしていたあの時の娘ではない。学校に行き、一人で過ごす時間も増えている。
違う気持ちが育っていて、当たり前だ。
そのことをもう一度、よく考えて、
「今」の娘を見ないといけないな、と思った出来事だった。
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